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 セルキスト王国。大陸北部に位置する大国である。天使を始祖として持つ伝説のあるこの国の王族は、戦争が始まると王族が最前線で戦う、という特異性を持っていた。それ故、セルキストは『戦闘王国』の異名を持って呼ばれる国である。王族は生まれてすぐに戦う術を教わり、身を守ることよりもはやく、民を守護することを叩きこまれるのだ。王家は王族であり、民の守護者である。戦う者であり、守るものである、と。
 冬が終われば春がめぐるのと同じくらい自然なこととして、王族はそう教育される。かけがえのない存在は、この国に住まう民であり、そしてもたらされる平和であることを、教わる。汗ばんだ頬を撫でて行く春風に気持ち良く目を細めて、アイルは道行く者たちを嬉しそうに眺めていた。観光客らしき者もちらほらと居るが、商業区の中でも食材を扱う市場の入り口であるから、通って行くのは多くがセルキストの民だった。
 隠れようにもアイルの顔を知っている者たちばかりなので、先程から不審さと不思議さの入り混じった視線が向けられてる。まさか本人ではないだろう、と思われないのはセルキストの王族だからだ。王子王女の城からの脱走率は、大陸一位なのである。よって向けられる視線も、まぎれもなくアイル本人を不思議がるものばかりだった。察しの良い者は周囲に護衛官の姿がないことを確認し、逃げているのか、と苦笑する。
 幼い王女を見守る視線は温かく、微笑ましいものだった。一人で出歩いて転んで泣かなければ良いな、と心配の目も混じるので、そのあたりの子供と代わりがないのだった。そんなことも知らず、アイルはいまさらだけどちょっとは隠れなきゃね、と意気込み、マントを外して頭からかぶる。アイルの髪色は青銀、特徴的なものである。現在の王家でその色彩を持つのはアイルただ一人で、それは天使の先祖返りとされている。
 始祖とされる天使の色彩も、青銀の髪に紫の瞳だった。その影響か、時折、セルキスト王家には両親の色を全く受け継がない、アイルのようなこどもが生まれるのである。だからと言って特別扱いされることもない。せいぜい国王が、俺に似て欲しかったのに、としょげるくらいなので、些細なことだった。マントで髪の毛を隠してしまい、アイルはこれでよし、と満足げに頷いた。髪を隠せば王女だとバレない、とでも言いたげに。
 自国の王女を見守る民衆の視線は、よりいっそう微笑ましくもなまぬるいものになるが、アイルは全く気が付かなかった。変装ってすごいよねっ、とうきうきしながら、人でごった返す市場にかけて行く。市場自体に用事はなく、目的とするのはそれを抜けた先にある一軒の店だった。ヴァン・カルニエの本家からは市場を通って行くルートが一番の近道なので、そうしたにすぎない。アイルは、人にぶつかりもせず歩いて行く。
 市場には、たくさんの食材が売っていた。南国から輸入された色鮮やかな果物や、新鮮な葉が美味しそうな野菜。牛や鳥、豚は切り分けられずに店先に並び、必要な部位と量を切り分けて買うことが出来る。ハムやチーズは、アイルには覚えきれない程の種類があって目に楽しかった。パンの焼き立ての匂いと、甘いお菓子の香りが空気に混じっている。うきうきしながら歩いていると、アイルに向かって小袋が飛ぶ。
 ちょうど胸に当たるように落ちて来たそれを反射的に受け取り、アイルはすぐにそうした主を見つけて首を傾げた。色とりどりの甘いお菓子の向こう側から、店主らしき男が手を振っている。人のざわめきに負けないように、アイルは声を張り上げた。
「なぁにー?」
「あげるよ。持ってきな!」
 ぱちん、と瞬きをして、アイルは袋をそっと開けて中を覗いた。きつね色に焼かれたまあるいクッキーが数枚に、チョコレートが三つ。え、え、とお菓子と店主を見比べてオロオロしたアイルは、はっと気が付いてポケットに手を突っ込んだ。しかしすぐに、お金持ってなかった、としょんぼりしてしまう。どうしようどうしよう、と意味もなく辺りを見回して挙動不審になる幼い王女に、店主は大笑いをこらえながらいいよ、と言ってやる。
「『お店』に行くんだろう? あとでそこの店主から貰うから、そのまま持ってきな。いっぱい食べて大きくなって、ウチを王女様御用達の菓子店にしてくれればそれでいいから」
「が……がんばる!」
 御用達っていう響きが格好良いよね、とずれたことを言いながら、アイルは袋からクッキーを一枚取り出し、その場で口に入れた。バターを多めに作られたクッキーは口に入れたとたんにホロリと崩れ、しっとりとした甘さがどこまでも広がって行く。美味しさにひとしきりジタバタした後、アイルはだいすきっ、と店主に言い放つ。そりゃよかった、と笑いながら見送る店主にありがとねー、と手を振って、アイルは身をひるがえした。
 その背を苦笑しながら見送って、店主はぽつりと呟いた。
「毒でも入ってたらどうするつもりなのかね……」
「あら、あなたそんなことするの?」
 咎めるでもなく問いかけたのは、お菓子を買いに来た若い女性客だった。アイル様超可愛かった、と目を細めて笑い、ガラス瓶に入れられたお菓子を眺める視線は真剣だ。季節のオススメはこれとこれ、と指で差して示しながら、店主はいいや、と否定する。そんなことはしようとも思わないし、考えたことすらない。言葉に出さなかった思考が伝わったように、女性は顔をあげてにっこりと笑った。
「だからよ。アイル様に差し上げたのは、どれ?」
「これ」
「じゃあ、それ以外でアイル様に食べさせたいのを包んでちょうだい。夕食の後、デザートに出すから」
 言われるままに包みながら、店主は顔なじみの女性に嬉しそうな笑顔を向けた。
「ようやく王女様付きになれたのか? シュオちゃん」
「まだ見習い。でも私、いつか絶対アイル様の『専属』侍女官になってみせるんだから……。できれば、お兄ちゃんより早く!」
「シェザもまだ見習い護衛官だって言ってたもんな……まあ、がんばれよ」
 ところで脱走してたようだけど主君追わなくてよかったのか、と問いかけてくる店主に、お菓子の包みを受け取りながら、シュオを呼ばれた女性はおかしそうに微笑んだ。
「いいのよ。帰れば会えるもの」
「……いや、護衛抜きで走ってったぞ?」
「……帰ったらお兄ちゃん呼び出して、事と次第は聞いておくわ。大丈夫……だとは思うけど」
 だってアイル様向かったのは『お店』でしょう、とシュオは主君の消えた方角を眺めやりながら呟く。そうだと思うけどな、と頷いた店主に代金を支払いながら、シュオはだったら、と言い放った。
「そこからは、保護者が送って来てくださると思うもの。行くまでも危ない場所は通らないし……水たまりと、道に落ちてる小石と、階段の段差に気をつければ」
「足元見て歩いてくれるといいな……」
「アイル様ったら、転ぶ時は器用に顔から転ぶのよね……びたーんって」
 なんであんなに運動神経に長けてて身体能力も高いのに、そういうトコだけ抜けてるのかしら、可愛らしいから別に直さなくてかまわないんだけど、とさらりと言い放ったシュオに、菓子店の店主は深々と頷いて呟く。シュオちゃん、そのうち絶対専属侍女官でもなんでもなれるよ、と。この国で王族付きになる為に必要なのはほんの少しの努力と才能と運、そしてなによりも王族個人に対するちょっとおかしいくらいの愛なのだ。
 そうかな、と嬉しそうに笑うシュオに、店主は心の底から頷いた。



 市場を抜けてさらに歩いて行くと、飲食店街に辿りつく。主に観光客用に飲食店が密集する区画は昼過ぎという時間のせいなのか、歩く者もまばらで落ち着いた雰囲気だった。クッキーをくわえながら足取りも軽く通り過ぎ、アイルは区画の中でも特に大通りに面した、一軒の店の前で立ち止まる。ひときわ大きな店だった。古木を組み合わせて作られた店からは、落ち着く香気と食べ物のにおいが漂って来ている。
 ざわつく店内は、今日も繁盛しているようだった。思わず笑顔になりながら、アイルはその店の屋根を仰ぎ見た。『二十四時間いつでも営業!』『信用第一デューグのお店』の看板が、今日も派手に飾られている。信用第一、から、お店、までが店名だ。観光局からもオススメされている店だけに、うさんくささが倍になる。笑みをぬるいものにしながら、アイルはそっと店の扉をくぐった。とたん、いらっしゃいませ、と声がかかる。
「こんにちはー! ……って、あれ。アイル様? どうしたの、ひとりー?」
 ひょい、としゃがみ込んだ店員の女性が、親しげに語りかけながらアイルがかぶっていたフードを取ってしまう。悪あがきが好きなのは血縁ねえ、と微笑ましそうにからかわれて、アイルはぷっくり頬を膨らませた。
「悪あがきじゃないもん! 変装だもん!」
「うんうん、そうだね。変装だねー。それで、ひとり? 護衛官はどうしたの? 撒いて来たの?」
 それとも罠にでもハメて足止めしてきたの、と笑顔で尋ねてくる女性に、アイルはえへん、と胸を張った。脱走したの、と誇らしげな言葉は自慢にならない上に満足な答えにもなっていなかったが、女性は慣れた風にそうなの、と頷いてやった。それからアイルの頭をぽん、と撫でて立ち上がり、女性は王女の背を奥へと押してやる。
「店長なら、いつもと同じに奥にいるからね」
「はーい。ありがとー!」
「……それ、どうしたの? もらいもの?」
 すぐさま駆けだして行こうとするアイルに、女性は笑いながら問いかけた。それ、と指差されたのは、市場で貰った小袋である。アイルが普段、現金の類を持ち歩かないことを知っているので、買ったとは思いにくかった。女性の予想にたがわず、アイルはうん、と勢いよく頷く。
「あのね、あとでお金貰いに来るって。払ってくれる?」
「……いいわよ。わかったわ」
「うん! ありがとう!」
 ばいばいねー、またねー、とぶんぶん手を振って、アイルは店の奥へと消えて行った。ウエイターやウエイトレスもアイルの姿に気が付き、手を振ったりしているのを見つめ、女性はくすくすと肩を震わせて笑う。市場を通って店に来る時、アイルがなにかしらを貰ってくるのはいつものことだった。そして、後で店に支払いを頼みに来る、と言われるのも。どの店からも、誰も、一度たりとて取りに来たことなどないのだが。
 いつ気が付くようになるかな、と思いながら女性はにっこりと微笑んだ。胸の中で、気が付く日など来なければいいのに、と思いながら。大事に見守るように、誰にも愛されているのだと。それだけ自覚して育ってくれれば、それで十分なのだった。店内から向けられる訳知り顔の微笑ましい視線をくぐりぬけ、アイルは店の一番奥にあるバーカウンターの、足の長く高い椅子によじ登った。よいしょ、と呟きながら腰かける。
 すると、気が付いたのだろう。背を向けてグラスを磨いていた男が振り返り、アイルの姿を認めて嬉しそうに笑った。
「アイルちゃんじゃん。なになに、どしたの? 俺に会いに来たの?」
「お城に帰る途中に顔見に来たの! デューグ伯父様、お久しぶりですっ」
 店名になっている『デューグ』の名を持つ男はアイルに取っての伯父であり、まぎれもない国王の兄であり、そして王族だった。元から国政にさして興味のなかった王子は、王位を弟に押し付けることに成功すると、私財を投げ打って城下に飲食店を作った。料理やさんがしたかったんだよね、という理由らしい。店員は九割が元城仕えの者であり、デューグの専属護衛官であったり、専属侍女官であった者ばかりである。
 おかげで開店して以来、強盗の類にはあったことがないそうだ。そんな命知らずも少ないだろうなぁ、とアイルは思い出して納得した。それから、いつまで経っても反応してくれないデューグの顔を、不思議そうに眺めやった。
「……デューグ伯父様?」
 もしかして聞こえなかったのかな、と思ってもう一度呼びかけたアイルの声にも、男は反応しなかった。にこにこと機嫌の良い笑いを浮かべたままで、問いかけに対する答えをじっと待っている。にらめっこのように視線を交わし合って数秒、アイルはハッとあることに気が付き、軽い眩暈を感じてバーカウンターに突っ伏してしまう。あんまり久しぶりすぎて忘れていたが、デューグはとてつもない悪癖の持ち主だったのだ。
 視線を合わせると泣きそうだったので、突っ伏したまま、アイルはもそもそと言葉を紡ぐ。
「おひさしぶりです……デューグ、お兄さま」
「うん。久しぶり、アイルちゃん」
 ようやく、耳に届いたのだろう。嬉しそうに姪っこの頭を撫でるデューグは、三十代の半ばである。アイルの父親の兄であるので三十代後半なのかも知れないが、正確な年齢は本人の口から聞けた試しがないのだった。俺、二十から年齢数えるのやめたし、とけろりと言い放つデューグの悪癖とは、己が伯父であることを認めない点だった。認めないというより、脳が理解を拒否して聞こえていないらしいのであるが。
 伯父さんが『おじさん』で、年かさっぽくて嫌なんじゃないか、とため息交じりに言ったのは実の弟であり、国王であるその人だった。血縁はすでに諦めているらしく、説得もなにもしないで好き勝手にさせているのが現状だった。アイルも本当は呼びたくないのだが、そう言わないと反応すらしてくれないので仕方なく呼んでいる。悪意があって無視しているのではない。本当に、本当に聞こえていないから仕方がないのだった。

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