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 春の森は、喜びにあふれていた。城下町から城へと続く大きな道の両脇には、薄紅の花弁を持つ木が等間隔で植えられており、春という季節の幸いを歌いあげている。降り注ぐ花弁と踊るようにくるくると回りながら、アイルはラッセルの元へ駆け寄ってぎゅっと手を繋ぐ。微笑ましくも転びやしないかとハラハラ見守っていたラッセルは、ふと和んだ気持ちでアイルを見返した。すでにアイルの視線は、森へと向いている。
 セルキストの城下町と城は、森で区切られている。もしも首都を天空から覗きこむことができれば、大きな円が幾つも重ねられていることに気が付くだろう。中心の円が城であり、それを取り囲むように森があり、そして町が広がっているのだった。木を植えて区切ったのではない。森がある場所に城を建て、木をそのまま残して街を建てたのだ。今も城をぐるりと取り囲む森は伐採が禁じられ、立ち入れない場所も多くある。
 獣が住み、鳥たちのねぐらとなり、虫が騒がしくもひっそりと息づいている森は、人々に清涼な空気と水を与えてくれる。春は絢爛の喜びを、夏には輝かしい木漏れ日を、秋には紅葉、冬には静かな感動を与えてくれる森と共に、首都の民は生き、王族はそれを見つめている。道を守るように植えられている花の木こそ薄紅に染まっているものの、そのすこし奥からは吸い込まれる程に濃い、緑の葉がしげる木があった。
 長い冬を越えて新緑に黄緑で華やぐ若木があれば、黙して眠るような濃緑の木もある。黄色く枯れてしまったような葉も、一つ季節を飛び越えてしまったような赤い木の葉もあった。幹の色も白から黒っぽいものまで様々で、それらが混然一体となって命を抱き、森となっている。街道にだけ煉瓦が敷かれ、人が植えた木が等間隔に並んでいた。森の脅威から人を守るようでもあり、神秘の流出を防ぐ為でもあるようだった。
 かつて、この国にも妖精の存在はあったという。今は物語の中と、無数の国が存在する大陸の中でもたった二国でしか確認できない妖精の存在は、乱世が終結し、人の世に平和が広まって行くにつれ各国から消えて行ったという。人が、見えなくなったのか。それとも、住む場所を定めてしまったのか。知る者は存在しない。ただ彼らが居た証のように、人の踏みこめない恐ろしさと神聖さを残し、森はそこにあった。
 首都と森の区切りから、城まではゆっくり歩いて二十分だ。そこまで急ぐ理由もないラッセルは、アイルから目を離さないようにしつつ、好きに歩かせてやっていた。店を出る時はややふてくされていたアイルは、花びらが舞う中で機嫌を良くして行ったのだろう。ラッセルの近くを歩きながらも手はまた繋ぐことを止め、自由にふらつかせながら歌を奏でていた。春を愛し、花を愛し、光を尊び、晴れ渡る空の青さを喜ぶ歌。
 歌詞もない旋律だけの鼻歌は、細く清く途切れずに奏でられ、空気を揺らして消えて行く。風が吹いて、花びらがまた散って行く。木の下を歩むアイルの存在を喜ぶように、触れたい、と願うように。この国の祝福であるように、花はアイルに向かって降っていた。時折、髪に絡む花びらを指先でつまんで取りながら、アイルはくすくすと笑いながら歩んで行く。人通りもすくなく、森の切れ目から見る空は雲一つない晴れだった。
 散歩するには絶好の天気だ。春だねぇ、とアイルは嬉しそうに笑う。春になったね、と頷いてやって、ラッセルは機嫌よく踊りながら行くアイルを眺めた。どこもかしこも光に溢れた空間の中で、アイルの存在だけが涼しげな夜の落し物のように浮き上がっている。それは青銀の髪と紫の瞳が織りなす色彩の錯覚かも知れず、それでいて、それだけとはラッセルには思えなかった。恐らくアイルは、昼より夜に愛されているのだ。
 幼い歌声は月の奏でる旋律に似て、月光のように人の心を惑わせた。今は幼さでごまかされてしまっているそれが、成長するにつれ形をハッキリさせて行くのかと思うと末恐ろしい。その気になれば国のひとつやふたつ、簡単に傾けることも出来るであろう人の惑いを、アイルは幼い体に秘めている。野放しにしておくには危険すぎた。それを考えれば今回の、アイルの一週間のお泊りは、ある準備の為だとして適切だろう。
 セルキストの王族は、多かれ少なかれ、野放しにしておいてはいけない魔性を持っている。アイルはすこし強めだが、デューグもかつてはそうだったのだ。今は落ち着いているが、それはラッセルが傍に居るからで、デューグが『それ』を見つけたからだ。溜息をつきながら、ラッセルはアイルを呼ぶ。アイルは満面の笑みで駆け寄ってきて、ラッセルの足にじゃれつくように抱きついた。まるで、普通のこどものようだった。
 先程までラッセルが感じていた、背が冷える程の魔性も消えてしまっている。春の花が見せた、幻覚であったかのように。なになに、と呼ばれたことに嬉しそうにするアイルの頭を撫でて、ラッセルはそろそろだから、と手を差し出した、もう城は随分近く、すぐそこに見えていたから、ここではぐれる訳にはいかなかった。もう逃げないよー、と笑いながらも素直にラッセルと手を繋ぎ、アイルは遠くに見える城門に目をやった。
 城に続く城門の前では、警護兵と一緒に三人の者がアイルを待ち構えていた。道を歩きながら遠目にそれに気が付き、アイルは三人に向かってただいまー、と手を振った。二人が歩いてくる姿で薄々予想はしつつ、声をかけられたことで確信まで辿りついたのだろう。ぱっと明るい笑顔を振りまいて、侍女服を身にまとった女性がアイルの元へ駆け寄ってくる。シュオ、と嬉しそうなアイルに、女性は満面の笑みで頷いた。
「おかえりなさい、アイル様……! お怪我はされませんでしたか?」
「え? 道に罠とか張ってあったっけ?」
 怪我をする、という所から罠があってある、に辿りつく思考がラッセルには理解できない。なんでそんな野生動物みたいな思考してるんだろう、と思いながらアイルの手を離してやれば、王女は嬉しそうにシュオに飛びついて行った。シュオは今ならこの幸福感で世界が支配できます、と言わんばかり幸せに満ちた笑顔でアイルを抱きとめ、直接怪我がないことを確認して息を吐き出した。言葉を信じていない訳ではない。
 しかしアイルの基準は一般と比べて遥かに高い所に設定されているので、骨折くらいは怪我のうちに入らないのも事実なのだった。おかえりなさいませ、と改めて微笑みかけてくるシュオを至近距離で見つめ、アイルはぷーと頬を膨らませた。
「シュオも心配性なんだから……あれ、シュオこそ、手、どうしたの? なんか赤くなってるよ?」
「あ、お気になさらず。これはちょっと、兄を折檻しただけですから」
 兄と折檻、というのはあまり組み合わせない単語だが、アイルはものわかりよく頷いてやった。それからそーっとシェザへと視線を向けると、頬にクッキリと赤い手形を付けた護衛官見習いと目が合う。
「……痛い?」
「わりと……アイル様、お願いですから護衛官をぶっちぎって逃走しないでください」
 ため息交じりに懇願してくるシェザに、アイルは歌うような声でごめーんね、と言った。悪いとは思っているのだろうが、反省はしていない声だった。今後も逃亡を企てているのは明らかだった。いつまでも逃げられると思わないでくださいね、と言う将来の専属護衛官にこくこくと頷き、アイルは待っていた三人目へと視線を合わせた。空色の瞳が、アイルを認めてにこりと笑いかけてくる。にこ、と笑い返し、アイルは首を傾げた。
 どうしてここに居るのか、分からない相手だったからだ。シェザはすこし前、置き去りにしてきた護衛官だから待っているのは理解できる。シュオは見習い侍女官であるが、アイルの溺愛を公言しているのでなんとなく理解できた。シュオはアイルと違って仕事を終わらせて待っていたので、脱走した訳でもない。ラライ、とアイルは三人目の名を呼んだ。二人とと違ってアイル付きではないから、居る理由が分からなかった。
「ラライ、こんな所でなにしてるの?」
「アイル様をお待ちしてたんですよ。久しぶりです、ラッセル。送ってくださってありがとうございました」
「どういたしまして。王子に付いてなくてもいいのか? 教育官なのに」
 旧知の二人が親しげに言葉を交わすのを、アイルはうんうんと頷きながら聞いていた。『教育官』は、一人の王族に一人存在する。それは代えがきく存在ではなく、その者でなければいけない、という厳密さで存在しているのだという。教育官はその名の通り王族の教育係であるが、話し相手や護衛官の役目も務める、専属の世話係なのである。そして教育官は、常に王族の傍にあるのが普通のことだった。
 もちろん、ラッセルのようにデューグの傍を離れてアイルを城まで送るくらいのことはするが、あくまで送り届けるだけ、である。主君の傍を離れてアイルを待っていたラライとは、意味が違った。もちろん、常に傍にある、というのは規約ではない。最強の身辺警護役であり、なによりもれなく主君を溺愛するのが教育官という存在で、いきものだ。そう簡単に傍から離れたがるものではないので、ちょっとした異常事態だった。
 不審げに問いかけたラッセルに、ラライはにこ、と小奇麗な笑みを浮かべる。
「僕の王子は、今ちょっと忙しそうだったもので。傍に居ると怒られそうだし、逃げてきちゃいました。あとはまあ、護衛官君から連絡が入って、ちょっと責任を感じたもので」
「ロイル兄様、なにに忙しいの?」
 アイルには二人の兄が居て、一人が異母兄、もう一人が実兄である。ラライが主君とするのは、アイルにとっては異母兄で、名をロイセイル・サーザニス・セルキストといった。今年で十二歳になる、アイルより七つ年上の、この国の第一王子である。同時に王位継承権第一位保持者でもあるので、王子王女の中では自由になる時間も少なく、忙しい、というのも納得が出来るのだが。怒られそう、という理由が掴めない。
 ラライは笑顔で言い放った。
「きっと今頃、中庭を一生懸命掘り返してらっしゃいます」
「掘り……?」
「ちょっとした悪戯……もとい、親愛表現的ななにかで、落とし穴にセルカ様を突き飛ばして落として埋めて来たもので」
 セルカ、と呼ばれるのはアイルの実兄の方だった。セリィアイス・クレイニア・セルキスト。第二王子にして王位継承権第二位保持者の、ロイルとは三日違いで生まれた弟である。異母兄弟で三日違いの王子たちは大変仲が良く、些細な兄弟喧嘩をするくらいで、いがみ合ったことがない。アイルは、そっかセルカ兄様埋められたんだ、となんだか泣きそうな気持ちで考え、道端にしゃがみ込みながら問いかける。
「え、なんで……? ラグリアは?」
「兄さんですか? 進んで協力してくださいましたけど、それがなにか」
 ラライはロイルの教育官であるが、その兄のラグリアは第二王子セルカの教育官である。最強の剣にして盾。身を守る者にして、主君を愛する者。それこそが教育官だ。間違っても、主君の為に落とし穴を掘って落として埋める悪戯を決行する存在ではない。え、なんで、ともう一度灰色の声で呟いたアイルに、ラライはにこにこ笑いながら告げた。
「兄さんの愛情表現、ちょっと特殊ですからね」
「埋めちゃダメだよ……! セルカ兄様しんじゃうよ……!」
「大丈夫ですよ。その辺りはバッチリ加減して埋めて来ましたから、ロイル様が掘りあてるくらいまでは持ちますって」
 王子生き埋め殺人事件の犯人とかなりたくないですしー、とキラキラした笑顔で言い放つラライに、アイルは頭を抱えたままそっかぁ、と頷くのが精一杯だった。殺人未遂事件の犯人にならなれるであろう教育官の青年は、呆れてものが言えない様子のラッセルを振り返り、あ、もう帰っていいですよ、と告げる。
「お手数おかけしました。あの馬鹿が逃亡させちゃったばっかりに」
「馬鹿?」
「……ヴァン・カルニエの当主です」
 さすがにシェザを前にして護衛官を馬鹿呼ばわりはしないだろう、と思いながら問いかけたアイルに、ラライは苦虫を噛み潰した表情で呟く。ああなんだ、と頷きながら、アイルは眉を寄せて呟く。
「ダメだよラライ、ライアのことそんな風に言ったら。お父さんでしょー?」
「やめてくださいやめてくださいやめてください……! 血の繋がりが存在する事実を思い出したくないんですっ!」
「ラライ・ヴァン・カルニエ・キリア」
 身もだえて本気で嫌がるラライの正式名称を口に出せば、青年はなんだか泣きそうな顔で沈黙した。
「……なんでそんな嫌なの?」
「嫌いだからに決まってるじゃないですか! 顔見るのも嫌なのに! あのバカがアイル様を逃がしちゃったってそこの彼から聞いた瞬間の申し訳なさを解消するためにセルカ様をうっかり罠にハメて埋めて来たのに……嫌なこと思い出しちゃった。気が晴れない……!」
「……まあこんなのが身近に居て、それが日常だったら、怪我してないか聞かれたら罠なかったよにもなるか」
 俺今すごく王女サマの思考の動きの原因を理解した、と半眼でラライを見ながら呟くラッセルに、シェザとシュオも溜息をつきながら同意した。二人の兄は七歳年上だけあって、アイルが生まれた時にはすでにこの教育官が傍に居たのである。愛情表現とストレス解消法がこの上なく物騒な教育官に囲まれて育てば、こうなるのも仕方ないのかも知れなかった。埋められるですんでいるなら、まだ可愛らしい方なのである。
 ラッセルは溜息をついて、しゃがみ込んだまま立ち上がれないアイルの肩を、ぽんぽんと叩いた。
「うん。王女サマ、こういうのでもないと良いな」
「……なにが? ねえねえなにが? ねえねえねえなにが?」
「国王陛下に聞いて。俺からはナイショ。じゃあ、帰るから。またお店おいでな」
 引きとめようとする手をひらりと避けて、ラッセルは小走りに来た道を戻って行った。その背がちいさく、見えなくなるまで見送ってから、アイルは唇を尖らせて立ち上がる。言われた言葉の意味を、ラライは分かっているのだろう。苦笑気味の表情で唇に手を押し当て、一定の理解を示しながらも、こればっかりはどうしようもならない、と沈黙している。見ればシェザもシュオも、なんとなく理解している顔つきで苦笑していた。
 分かっていないのは、アイル一人だけらしい。えー、と不満げに首を傾げ、アイルは三人に問いかけた。
「なんのこと?」
 三人はそれぞれ思う所がある笑みで、けれど口を開かず。ただ揃って、おかえりなさいとだけアイルに告げた。

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