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 五階の窓から見下ろす中庭の人影は、夕陽に染まって紅だった。暖炉の前で感じる熱を思い出しながら、アイルはぼんやりと窓に寄せた椅子に座ったまま、中庭の風景を眺め続ける。朝夕と掃き掃除がされているからだろう。いくつもの花壇を繋ぐ散歩道に枯れ葉やゴミは落ちておらず、あったとしてもまばらなものだった。咲いていた花は、陽が落ちるのに合わせてもう眠ってしまっている。華やか、とは言い難い庭。
 それでもきちんと選定された草木の形は目を楽しませるのに十分で、そして繰り広げられている光景は、暇をつぶすのに最適だった。高さも距離もあるから、見下ろしているくらいでは顔の判別もつかない。それでもそこに居るのが兄たちだと分かるのは、それぞれが銀と青の髪という特徴的な外見をしているからで、また、ラライが言っていたからだ。中庭に埋めて来ました、と。それから、掘り返してもらったのだろう。
 無事に、と言い難いのは遠目でも分かるほど服が汚れてしまっているからで、そしてもう一人の兄にしっかりと抱きついて泣きじゃくっていたからだ。気晴らしと愛情表現、という冗談のような理由で埋められた弟を掘り返した兄は、服が汚れるのもかまわずに抱きとめ、落ち着くようにと頭を撫でてやっている。二人の傍には愛情表現で主君を生き埋めにしてみた教育官がおり、泣きじゃくる主君を悦った表情で眺めている。
 反省していないに違いない。アイルの実兄の教育官は、主君の悲鳴が聞きたかったからという理由で、これまでも様々な凶行に及んでいる。五階の窓から突き落としたこともあった。珍しい肉食の魚が泳ぐ池に、突き落とそうとしたこともあった。ちょっと突き落とされすぎじゃないかなぁ、と呆れて沈黙し、アイルは室内に視線を戻す。この部屋に来てから、すでに数時間。景色を眺めて待つのは、もうとうに飽きが来ていた。
「まーだー?」
「……うーん。あと三十分くらいですね」
 すみません、と苦笑したのはアイルを迎えに来た護衛官の男だった。胸にぶさいくない犬のぬいぐるみを、首吊り自殺しているとしか思えない芸術的なバランスで括りつけた男は、必死に机に向かっている存在の隣に立ち、呆れた目を向ける。はー、と心底どうしようもないと思っている溜息が、静かな部屋に響いて行った。
「ほら、陛下。王女がお待ちですよー。さっさと仕事終わらせろってんだばーか」
「だ、だれが馬鹿だっ! 不敬罪で泣くぞっ?」
 机に拳を打ちつけた男こそ、この国の王であるひとだった。威厳を感じさせる落ち着いた顔つきというより、落ち着きのなさそうな、愛敬のある面差しをしている。十二歳の息子が二人、五歳の娘が一人いるとは思えない童顔で、三十を目前にしているとは到底見えなかった。即位から十三年。現在二十九歳。どう頑張っても二十五くらいにしか見えない、と城内で満場一致を見る国王は、艶のない銀色の髪をしていた。
 短く切られた髪は、書類仕事の邪魔にならないようにだろう。頭の高い位置で二つにくくられ、ウサギか何かの耳のようにぴょい、と跳ねていた。前髪も目にかからないようにとの配慮なのか、ピンクと黄色のお花が付いたヘアピンで留められている。威厳が音速で逃げそうな格好で仕事に励む国王を、怒鳴られた護衛官は『なんでこれが上司なんだろう』と心底疑問に思う表情で数秒間見つめ、諦めた様子で口を開く。
「いいよ、泣けよ……泣いて書類をダメにしてやり直しになって、困るのは陛下で、俺じゃない」
「……お前、久しぶりに会った主君に対してそんな態度で良いと思ってるのか?」
 怒っている、というよりは、なんだか泣きそうな男の声に、護衛官はほとほと呆れた息を吐き出す。四十代に差し掛かったくらいの落ち着きある顔立ちを脱力と呆れに染め上げながら、護衛官は命令したの陛下でしょうが、と呟いた。愛娘の護衛官を育てる為に優秀な人材が必要だから、お前ちょっと行って来い、と軽い口調で指名したのは他ならぬ国王自身で、そして男の主君である人なのだ。拗ねられても、本当に困る。
 アイルの専属護衛官となる者が幼い頃から傍にあるように、男も国王が王女と同じくらいの年齢から傍に居た。居なくなって寂しい気持ちも、久しぶりに会ってちょっと優しくしてもらいたい気持ちも分からなくはないが、護衛官はそっと額に手を押し当てて国王に言い放つ。
「あのさ、陛下。なんで俺がこんな冷たい態度なのか分かんね?」
「ふ、残念だな。俺は、なんでも言われないと分からんっ!」
 間違っても威張って言うことではないその台詞を、セルキスト王国の国王たる人は腰に手を当てた姿で椅子の上でふんぞり返り、ものすごく自信に満ちた顔つきで言い放った。娘からあんな大人になるのだけは止めよう、という視線を向けられているのにも気が付かず、国王はなぜかわくわくした様子で首を傾げ、なんで怒ってるんだお前、と護衛官のお腹を指先で突っついた。気持ち悪いと手を叩き落とし、護衛官は言う。
「俺たちが……王女を迎えに行って! 帰ってくるまでには余裕で終わってる書類仕事が、こんな時間になってもまだ終わってないからに決まってんだろ! ほら見ろよく見ろっ! 暇を持て余してるのに文句言わずに待っててくれてる王女に心底感謝しながら仕事を、終わらせろっ!」
「……もう今日は終わりということに」
「しない! ……あのな、本当にそれでいいと思ってんのか? あ? 実家に帰られるぞ?」
 アイルに対しては敬語を崩さない護衛官の、やけに低くうねる声で一番最後に告げられた言葉に、国王の体がびくりと跳ねた。実家に帰るぞ、ではない。帰るのは、目の前の護衛官ではないからだ。そう言えば居ないねえ、と室内をきょろきょろ探すアイルは、そうだよー、と己の護衛官の教育係の言葉に同意した。
「『貴方は私が居ないと仕事の一つも出来ないんですがこの脳なし鳥頭が。私が不在でも滞りなく国政を進めろと私に何回言わせるおつもりで? 分かって頂けるまで、実家に帰らせて頂きます』って言われちゃうよ?」
 いつか聞いたことのある言葉をそのまま暗唱してやれば、国王はみるみるうちに青ざめた顔をぶんぶん横に振り、涙目で嫌だと絶叫した。うるさいので耳を手で塞ぐアイルに代わって国王の頭を拳で殴り、護衛官は溜息混じりに告げてやる。
「叫ぶ暇があるなら仕事を終わらせろ。そうしたら、夕方まで書類仕事終わらなかったの、教育官に黙っておいてやるから」
「ほ、本当か……? ないしょにしといてくれるのか?」
「あー、うん。ないしょないしょ。ほら、指きりでもなんでもしてやるから」
 かくしてアイルは良い年をした男が二人で指きりをする、という珍妙な光景を目の当たりにすることになった。なんとも言えない気持ちでそれを眺め、よし、とやる気を出して書類に戻る父親の姿を、頬杖をついて見つめる。
「トリアーセはなんでいないの? 会えると思ったのに……」
「俺だって一緒に居たかったのに……」
「いやお前王女の質問に答えろよ……。教育官はですね、軽い視察だそうです」
 今日の昼前に出て、夜には帰ってくる予定だそうですが、と告げられて、アイルは思わず壁の時計に視線をやった。五時を過ぎたばかりで、夜とする時間はまだ遠い。がっくりと残念がるアイルに、必死に書類を読んでサインしながら、国王は父上が居るじゃないかっ、と主張する。居るけど、と残念そうな表情を崩さないまま顔をあげ、アイルは深々と溜息をついた。
「トリアーセが居れば、父上の仕事が遅れてても、私を呼び出してそのままほっとくとかしないもん」
 トリアーセ、というのが国王の教育官の名である。常に国王の傍にある教育官は、今日に限ってどうしても行かなければいけない仕事が発生したということで、アイルと入れ違いになる形で城を出てしまっていた。ヴァン・カルニエの家から城に戻って来て数時間。城門でシェザやシュオ、ラライに出迎えられた所で国王が呼んでいると知らせが来たので、アイルはそのまま執務室にやって来て、放っておかれて今に至る。
 そもそも国王が第一執務室ではなく、第三執務室に籠っているという時点で嫌な予感はしていたのだ。集中時間は十五分が限界、事あるごとに窓から脱走したり書類を紙飛行機にして飛ばす悪癖を持つ国王は、仕事を円滑に進めさせる為にいくつかの執務室を持たされている。第三まで部屋があり、第一執務室がいつも使っている部屋で、南向きの日当たりの良い二階にあった。第二執務室は、その上の三階にある。
 第二執務室は主に気分転換用に使われ、仕事ばっかりで気がめいる外に出かけたい、とごね始めた時の為の部屋だ。日当たりは変わらないので部屋も明るいし、高さが変わっただけでも気持ちとしては新鮮なものになる。通常はだから、第一と第二を交互に使っているのだった。その二つと違って第三執務室は、どちらかと言えば日当たりの悪い裏庭に面した一角の、しかも五階に作られている。上はすぐ、屋上だ。
 なぜそんな高所に作られているかと言えば、この部屋の目的が逃亡防止だからだった。扉は入り口っ、そして窓が出口だーっ、と叫んですぐ脱走しようとする国王も、さすがに五階の窓からそう簡単に飛び降りようとはしないのである。万一があったとしても門までは距離がある区画なので警備の者を向かわせて捕まえやすいので、缶詰させる時に好都合なのだ。この部屋は主に、仕事が滞っている時に使われる。
 もしくは飴と鞭を鞭と鞭と鞭で国王をびしばし働かせる教育官が、やむなく傍に居ない時にも使われるのだ。やだやだトリアーセが傍に居ないと元からない俺のやる気がさらに無くなる、とついに駄々をこね始めた国王を遠慮のない仕草でぶん殴り、護衛官はあと一枚だろう名前書いちゃいなさいっ、と言い聞かせた。国王の手がペンをにぎり、ナメクジの移動速度になら勝てるくらいの動きで書類に名を書きこんで行く。
 ロスタリカ・グロウド・セルキスト。その文字がしっかりと、間違えもなく書かれているのを確認して、護衛官はよし、と頷いてやった。手早く書類をまとめて持ち上げながら、護衛官はアイルに向かって笑いかける。
「お待たせしました。終わりましたので、もういいですよ……ほら陛下、あのこと、話すんだから」
 しっかりしろばか、と溜息と共に後頭部をはたかれて、ぐったり机に突っ伏していた国王がのそりと体を起こす。そのまま恨めしげな表情で見つめられてもなにも気にした様子がなく、護衛官はじゃあ俺の仕事は終わりましたので、と言って書類を持って出て行ってしまった。扉が開かれて閉まる寸前、部屋の前で警護している数人が部屋を覗き、国王が室内に居ることを確かめて頷いた。ちゃんと居る、と言わんばかりだ。
 彼らの胸にもぶさいくな犬の人形が、思い思いの形で括りつけられていた。普通にマスコットとして付けている者も居れば、上下逆につるしている者も、出て行った男のように首吊りさせている者もいる。ぶさいくな犬の人形は『国王直属護衛官』の証であり、そして国王自身を象徴するものである。その扱いによって、その日の護衛官の機嫌も分かるらしい制服の一部を、しかし取り外している者は一人としていなかった。
 愛されてはいるのである。国王はんーっと腕を上に伸ばしながらアイルを見て笑い、椅子から立ち上がって窓辺まで歩いて来た。ちらりと中庭に向けられた視線は、すこし前までそこで繰り広げられていた救出劇を知っているようでもあったが、すでに人影はなくなっている。陽が、だいぶ陰って来た。夕陽の紅は薄くなり、黒い夜がすぐそこまで来ていた。夜の冷たい風が、木を揺らす音が響く。アイル、と国王の声が響く。
 ぱっと視線を向ければ、国王はアイルの座る椅子の前にしゃがみこみ、にこにこ笑いながら軽く両腕を広げていた。アイルはすこしばかり恥ずかしそうな、嫌そうな顔つきになったあと、ぴょんと抱きつくようにして国王の腕の中に飛び込む。よしよし、と満足げに笑い、国王はアイルを抱きしめたまま立ち上がった。ぎゅぅっと大切な宝のように抱きしめられて、なんだかひたすら恥ずかしい。離してよー、と言いかけて。
 あることを言い忘れていたことに気が付き、アイルは国王の耳元に口を寄せた。
「父上、あのね? ただいま」
「おかえり。ヴァン・カルニエはどうだった? なにか変ったことはなかったか?」
 アイルのものとは違う黒い瞳が、帰宅を告げられて喜びを滲ませる。安堵しながらも弾む口調で問いかけられて、アイルは楽しかったよ、とだけ言った。不自由なこともなく、忙しすぎることもなく、暇すぎることもなかった。ちゃんと本読んだり剣のおけいこしてたりしたよ、あと歌もいっぱい歌ったよ、と言ってくるアイルの頭をぐりぐりと撫でまわしながら、国王は頷いた。
「そうか。それはよかった……父上に会いたくなったり、父上が居なくて寂しくなったりしたか?」
「しないよ?」
 わくわくどきどきしながらの国王の問いかけは、なに言ってるの、とばかり満面の笑みで切り捨てられた。ちょっと首を傾げているのが可愛らしいからこそ、国王は数秒間落ち込んだ。大きくなったな、と哀愁と未練たっぷりに呟くと、アイルは国王の首に腕を回し、ぎゅうぅっと抱きつきながらも楽しげに言う。
「だって五歳だもん!」
「そうだなぁ……これから、もっと育って行くんだったな」
 覚悟はしてるけどでも寂しい、と溜息をついて、国王はアイルの頭をぽんぽんと撫でた。撫でる手にも首筋にも、とびきり嬉しそうにすり寄って、アイルはにこにこと笑う。
「それでね、父上。私、なんで一週間もお泊りしてなきゃいけなかったの?」
 一週間のお泊りはアイルの意思ではなく、国王の半ば強制的な命令に近いものだった。とにかく一週間はお城に帰って来ちゃいけません、と言い聞かせて送り出された日のことを思い出しながら尋ねると、国王は物憂げな溜息を吐きだした。今仕事をしようと思っていたのに教育官に注意されたので、やる気がなくなった、と言いわけする時と同じ溜息だった。え、なになに、と目を瞬かせるアイルを、国王はそっと離す。

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