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 座っていた椅子にもう一度座り直させて、国王はその前にしゃがみこんだ。視線が、同じ高さで出会う。じっと見つめてくるアイルの瞳を見返しながら、国王はごく真剣な表情で口を開いた。
「お前の、教育官を探していた」
 息を、ゆっくりと吸い込んで。アイルはきょとん、と目を瞬かせ、意味が分からないと首を傾げた。王族は大体五歳で教育官を持ち始める。どの国でもそうであるように、セルキストもそれくらいの年齢を基準として、王族が教育官を得るのが通例だった。早くて五歳になってすぐ、どんなに遅くとも、八歳を数えるまでに。いくつかの例外はあるものの、五歳という区切りで、セルキストの王族は教育官を見つけだすのだった。
 王子や王女の教育に相応しい人物を選定し、あてがう諸国と違い、セルキストの教育官はその主君が存在を見出す特質性を持っている。選ばれた数人を前にして、じゃああの人、という選び方ではない。この王国のみならず、大陸中に存在する者たちの中から、たった一人を見つけ出して来るのだ。一人の王族に、たった一人。生まれた瞬間から決まっているという、その対の相手を。かけがえのない唯一を、探し出す。
 相手の手掛かりとしてたった一つ分かっているのは、探す王族と同性であるということ。セルキストの歴史の中で一名の例外もないその法則にのとって、アイルはこれから、アイルだけが見つけ出すことのできる一人を探すのだ。それは、見れば分かるのだという。見た瞬間に、間違いがないと思うのだという。この人が己の教育官であり、この人以外は何者であってもそうなれないのだと、息も出来ない強さで感じるのだと。
 教えられていたことを、何度も繰り返し語られたことを思い出し、アイルは息を吸い込んだ。
「……どうやって?」
 その一言で、口の中が乾いてしまっていることにアイルは気が付いた。それは思っても見なかったことに対する衝撃の大きさでもあり、そして裏切られたような、突き放されたような気持ちがしたからだ。そんなこと、アイルは頼んでも居ない。そして、可能なことでもないからだ。教育官を教育官と見定めることが出来るのは、その相手となる王族だけ。教育官には自覚すらなく、ただその瞬間まで、普通に生活しているのだ。
 どうして、とも響いたようなアイルの声に、国王は真剣な顔をしたままで告げる。
「教育官は……すぐ傍に居るとは限らない。お前の兄たちの教育官、ラグリアとラライは、たまたま国内貴族で城に出入りがあったから見つけやすかった。俺のトリアーセは……出会うまで、三年以上かかった。探しても、探しても見つからなかった。本当に偶然の積み重ねで、やっと、出会えた。……三年だ。そんな、長い間……探し続ける思いを、アイルに味合わせたくない」
 そっと伸ばされた手のひらが、アイルの頬を撫でて行く。大きな手のひらは指先まで温かくて、気持ちがじわりと滲んで行く。泣きそう、と思いながら息を吸い込んで、アイルはきゅぅっと目を細めた。
「そんなことして欲しくない」
「……だが」
「それに私、教育官なんていらない」
 胸にある想いを素直に告げれば、国王はすこし驚いたようだった。軽く目が見開かれたが、頬を撫でる手は離されないままで、温かい。そうか、とも言わず、アイルにしてみれば長い時間が過ぎて行く。沈黙の中で、部屋の暗さがすこし深くなった。もう、夕陽の欠片はどこにも見当たらない。地平線に沈んだ太陽は、光の布を引いて眠ろうとしている。空の色が深みを増して、ゆっくり、ゆっくり、星が姿を現し始めていた。
 部屋の中で、親子は向かい合いながら互いの瞳を覗きこんでいた。黒色の国王の瞳は、なぜか恐ろしい程の熱を持っている。それは燃え盛る炎のようだった。ゆっくり瞬きをして、国王は静かに問いかける。
「どうしてだ」
 単純な問いかけだった。怒りでもない。非難でもない。肯定でもなければ、否定でもなかった。ただそこにあるがままの言葉を、あるがままに受け止めて、理由だけを問いかけている。だからこそ、視線はそらせない。挑むように見つめ返しながら、アイルは大きく息を吸い込んだ。ワガママだということは、知っていた。
「誰かに、守ってもらうの、好きじゃない」
「……気持ちは分かる。でもな、アイル。教育官は、確かに護衛官の役目も請け負っているが、守護役ではないんだ」
 人を守れ、と王族は教育される。そのあまり、己は誰かを守る者であるという意識が強いあまりに、誰かに守られてしまう、ということを拒否する気持ちがおきがちだ。セルキストの王家に生まれた限り、誰もが一度は覚える感情。国王も、それを乗り越えて来た。
「共に生き、共に死ぬ相手。手を携えて、喜びと悲しみを共有する相手。それが、教育官だ」
「……でも、トリアーセは、昔……父上を庇って大怪我したんでしょう?」
 生死を彷徨う傷であったという。幸い命を取り留めて快癒したものの、わずかな後遺症が今でも残っているという。それを、詳しくはアイルは知らない。日常生活にさし障るものではなく、本人がそんなそぶりを見せたことがないからだ。それでも一度だけ、彼は穏やかな口調でアイルに話してくれたことがある。どうして守ったの、と聞いたアイルに、トリアーセは微笑みながら言った。死んでほしくなかったからですよ、と。
 ただそれだけ。たったそれだけの理由で、自分の命の危険を顧みず、飛び出していくような気持ちをアイルは知らない。けれど、それはとても、恐ろしいことだ。いやいや、いらない、と首を振ってアイルは言いつのる。
「誰かが……! 私のせいで大怪我したり、死んじゃうのなんて嫌。大丈夫だよ、私、自分のことは自分で守れるよ。剣のおけいこだってちゃんとしてるし、皆、強くなりますねって言ってくれるよ。大丈夫だよ。私、私には教育官いらないよ。シェザたち居れば十分だよ!」
「……そんなに嫌か?」
「嫌! すごく嫌! とっても嫌! そんな……すごく、すごく大事な人が、私のせいで傷つくの見たくない」
 苦しげに。時々、息をつまらせながらも必死で言うアイルを、国王は静かに見つめていた。言いたいことは、十分理解できる。その上で単純に、教育官という存在自体を否定しているのではない、ということも。大事な人が、とアイルは言った。まだ見ぬ、出会っていもしない教育官のことを、大事になるであろうと思って否定した。アイルはまぎれもなくセルキストの王族で、そしてその魂が、唯一を、教育官を求めていた。
 それが分かれば、今は十分だった。そうか、と呟いて、国王はアイルを落ち着かせる為に頭を撫でてやる。過呼吸気味に苦しげだったアイルの息が、それだけで落ち着いていく。やがて完全に平常の状態まで戻ったことを確認して、国王はアイルの顔をひょい、と覗きこむ。
「なあ、アイル。あのな、父上、教育官を探したけど見つかりはしなかったんだ」
「……そうでしょうとも」
 他人が探して、見つかるものではないのだ。親子であっても、血の絆があってもどうなるものではない。その一人を見つけられるのは、アイルだけなのだ。ここに至ってようやく、なぜ国王が『好きな女の人の感じ』を聞いて来たのか分かったアイルは、もうどうでもいい気分で息を吐き出した。アイルが答えたのは国王の教育官のような女の人、だ。性別が男であることを差し引いても、該当者はいないに違いない。
 国王を笑顔で蹴り飛ばし、実家に帰らせて頂きますの一言で国を揺るがす程の影響力を発揮する存在が、そうそう居る筈もないのだった。居ないからこそ、唯一無二の教育官、とも言える。居なかったから諦めてくれた、と期待混じりに首を傾げて尋ねてくるアイルの頬を突っついて、国王はいいや、と微笑んだ。
「父上には、やっぱり見つけられなかったようだ」
「……うん?」
 なんとなく嫌な予感がしたアイルは、もう父上のお話聞かない、とばかり、耳を手で塞ごうとしたのだが。その動きを見てとった国王は、それより早くだからな、と言った。
「頑張って、自分で探しなさい」
「いらないって言った! いま私、いらないって言ったー! 探さないもんっ!」
「最初はわりと誰でもそう言うものだ。大丈夫、探したくなって来るもんだぞー? 教育官の話題が振られたっていうことが、教育官を探して良くなったっていう一種の許可証代わりだからな。大丈夫、アイルは俺の娘で、まぎれもなくセルキストの王族だ。確実に、血がそれを求める」
 今ちょっとくらい嫌がっていようと、全くなんの問題にもならない。笑顔でさらりと付け加えた国王に、アイルは鳥肌を立てる勢いで嫌がった。
「私は嫌だって言ってるの! 探したくなんかならないの! だんだん探したくなったりもしないのっ!」
「なるなる。国王の座をかけても良い」
 なんなら辞任をかけても良い、と真剣な顔で言ってくる国王に、アイルは懸命にも深く聞いたりはしなかった。どうなった場合辞任するかなど、この国の未来に真剣に関わる。かけたりもしないのっ、だめなのっ、と言うアイルに、国王は娘のワガママを可愛がる顔で言い放った。
「諦めろ、アイル。それがセルキスト王家に生まれた者の呪いだ。……大丈夫、楽しいぞー?」
「の、のろい? い、いまいまいまいま呪いって言った? 言った? 呪いっていった? ねえ言った?」
 なにそれ私聞いてないでも聞きたくない知りたくないさよなら父上また今度ねっ、と一息で叫び、アイルは椅子から飛び降りて逃走を図ろうとした。しかし、相手は国王である。逃走に関しては右に出る者がさほどいない、ダメな国王なのである。アイルが扉に辿りつく前にひょい、と後ろからわきに手を差し入れて抱き上げられてしまった。そのままアイルは、高いたかーい、と遊ばれつつ説明されてしまう。
「そうだぞー、アイル。これは王家の血の呪いでな、どうにもできないことなんだ」
「いやー! 離して聞かないっ! アイル聞かないーっ!」
「まず第一に、教育官をなんらかの事故で得られない者は、十か十五くらいまでしか体が持たずに衰弱死する。ごくわずかな例外もあるが、探し始めて五年もすれば慢性的な疲労感で体を動かすのすら辛い状態になるんだそうだ。現在、教育官を得た最高年齢は十六歳。とびきりの、例外中の例外だ。それでも疲労が激しすぎて、教育官を見つけて半年はほっとんど眠っていたそうだ。……俺も、三年でもかなり辛かった」
 じたばたじたばた暴れて、なんとか父親の腕から逃れようとしていたアイルの動きが止まる。それを良いことに腕に座らせるように抱きなおした国王を、アイルは怖々と見つめる。本当か、嘘かを、アイルは尋ねなかった。そんな言葉で聞かずとも、アイルはそれを知る為の方法を知っている。じっと瞳を覗きこまれて、国王は弱く苦笑した。天使である始祖の先祖還りとされる王族は、アイルのように、特異能力を持っている。
 アイルのそれは、望めば相手の発言の真偽が分かるという、それだけのもの。瞳を覗きこんで、心を覗きこむように、静かに見つめればそれは分かるのだという。のろのろとした動きでアイルは瞬きをして、恐怖の横たわる表情で息を吸い込み、唇を閉ざした。国王は、嘘などなにも告げなかった。そういうことなのだ。
「第二に……教育官も、まあいずれはそうなるんだが。さっき言ったように、お前の教育官の話題を出した、それが引き金だ。もう多分……求め始めているだろうから、拒否できて一週間だろう」
「……なにが?」
「じわじわ来るぞー?」
 じわじわ体調が悪くなっていく、ということではなさそうだった。娘も息子も大好きな国王が、その体調不良を楽しがる訳もない。わくわくして仕方がない表情で、国王は嫌そうな顔つきをするアイルに告げた。それも呪いなのだ、と。
「一回気が付いて、認めたらもう恐らく抵抗できないだろうが……そうだな。一番簡単に言うと、そわそわする」
「そわ、そわ……?」
「どこかに居ると、必ずそう思う。どこに居るんだ、と心が叫び出す」
 ここが、と。国王の手が、アイルの胸に触れた。その奥に眠る心と、魂に。
「好きで……好きで、好きで、好きで好きで好きで好きで……好きで。どうしようもなく、好きで、好きで仕方がない相手が、この世界のどこかに居る。この世界のどこかに、確実にその存在がある。そのことが分かって、ものすごくそわそわする」
「し……しないしない! そんなの私絶対にしない!」
「今はまだ、な、明日の朝起きたら、アイルにもきっと分かる」
 今まで全然違う世界に居たような気持ちで目覚めて、足りないことがハッキリと分かる。断言する強さで言った国王を、アイルは悔しげな目で睨みつけた。そんなことない、絶対ならない、と何度否定しても笑ってムリだといわれてしまって、かえって心が頑なになっていく。絶対、ない、と意気込んで言うアイルを微笑ましそうに見つめて、国王はアイルを床に下ろしてやった。アイルは、だーっと扉に駆け寄って、開く。
 そしてなに騒いでたんですか、と苦笑して見つめてくる護衛官たちに、アイルは頬をぷくっと膨らませて宣言した。
「教育官、いらないんだから!」
「……反抗期ですか?」
「ちがうのおおお! いら! ない! のっ!」
 ものすごく微笑ましそうに首を傾げられてしまったので、アイルは地団太を踏みながら主張した。けれど主張を聞いた誰もかれもが、ああ反抗期ですね、とそれだけで済ませてしまったので、アイルはますます頑なに思う。教育官なんて、絶対にいらないんだから、と。

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