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 城勤めをしていても見習いの名を持つ者は、どちらかと言えば学生に近い。実習としての仕事が半分以上ではあるものの、時には座学などの授業も行われているからだ。アイルの専属護衛官見習いであるシェザとルクセラの午前中は、本当ならその座学に参加する予定であったらしい。しかしシュオがなりふりかまわずアイルの元へ走った一件で、二人は遅刻となってしまい、その罰として昼休みを取り上げられたらしい。
 そこまでなら、アイルにも理解できる。理解できないのはそこからだった。罰として掃除や雑用を言いつけられるのならば分かるのだが、休み時間を取り上げられるということは、その時間も働いてこい、ということなのである。罰護衛ってなんか私に失礼じゃないのかなぁ、と眉を寄せながら沈黙するアイルに、床にしゃがみ込んでいたシェザが顔をあげた。そんな顔したらいけません、という声はざわめきに混じって響かない。
 アイルが居るのは、食堂の一角だった。セルキストの城で務める者たちが食事をする為の巨大な部屋で、その一角には王族専用の空間も作られている。壁による区切りもない、ただ机と椅子が豪華なだけの一角は、空間として繋がっているからこそ食堂の騒がしさを耳に伝えた。一度に十人は食事ができるであろう大きなテーブルに、向かっているのはアイル一人だけである。へしょ、とアイルは頬を机にくっつけた。
 一人でお昼食べるのヤだー、と駄々をこねると、私たちが居るじゃないですか、と笑顔で言ってくるのはルクセラだ。ルクセラはシェザと同じく、なぜか床にしゃがみ込んでいる。アイルは椅子に逆向きに座りながら背もたれを手でつかみ、足をふらふらと動かして口を開く。
「なんでそんなトコでしゃがんでるの?」
「アイル様の目線の高さがちょうどこれくらいなものですから。だんだん楽しくなってきました」
 にこ、と笑いながら告げるルクセラの言葉は、答えになっているようでまるでなっていなかった。ぷくぅーっと頬を膨らませながら視線をうつすと、シェザは苦笑しながら授業でやった復習みたいなものですよ、と告げる。自分の目線の高さで居ることがなんの為になるのかも分からず、アイルは行儀悪く足をふらつかせたままで首を傾げた。足動かしたらいけません、と穏やかに注意を飛ばし、シェザは遅刻した授業名を告げた。
「セルキスト王族護衛論:脱走する王族をいかにして捕まえるか、の、三回目。今日は王族の目線でものを見て、あらかじめ逃げそうな進路を把握しておく、という内容だったものですから」
「一度ヴァン・カルニエから逃がしちゃいましたからね。今度はそうは行きませんよ? 遅刻したとは言え、授業受けてきましたから。多少はなんとかなるんじゃないかな、と思います。ねえシェザ」
「おう。……にしても、アイル様の目線ってこんな風なんですね」
 低い、とくすくす笑うシェザに、アイルはむくれた顔つきになる。それはシェザと比べればアイルの身長は腰くらいの高さではあるが、好きで低くある訳でもない。シェザきらーい、と文句を言うアイルに、護衛官二人は顔を見合わせて楽しげに笑った。はいはい、嫌いですね分かりました、といなされてしまって、アイルの機嫌はまたすこし悪くなる。椅子にきちんとした向きで座りなおし、アイルは不機嫌な視線を上へ向けた。
 二階まで吹き抜けの天井になっている食堂は、屋根にあたる部分の一部がぶ厚い硝子で作られているから、今日のように陽が射す天気であれば眩いほどに光が降り注いで来る。明るさに満ちた食堂の床は白い大理石で出来ていて、この時期だけの影の模様を与えられていた。咲き乱れる花の、風によって飛ばされた花びらが硝子にくっつき、薄い影となって下りてきているからだ。ゆらゆらと、光と薄影が揺れている。
 水面を眺めているような気分だった。穏やかで優しくて、すこしだけ眠くなって来る。繊細なレースのテーブルクロスを頬の下に感じながら、アイルはふぁ、とあくびをした。ぼんやりと意識をまどろませながら食堂を眺めていると、ちょうど十二時になったばかりの時間だからだろう。護衛官や侍女官、文官や大臣、貴族や市民までもがごちゃごちゃに混ざりあいながら、食堂の席についていることに気が付いて目を和ませる。
 食堂という空間を一歩出れば、そこに身分の差は確かに存在していた。けれど今この場において、それは些細な事柄でしかないようだ。王宮の内装をどうするか、について議論する装飾科の青年らの隣で、きらびやかなドレスを着た貴族の少女たちが楽しげに恋の話をしている。
 それなのに、アイルは一人だった。なんで王族だけ特別扱いなのっ、さびしいーっ、とがばりと身を起して叫ぶアイルに、食堂中から視線が集まってくる。すぐに注意はそれて行ったが、好意的な笑い声がさわりと空気を揺らして消えた。ぷぷー、とますます頬を膨らませたアイルの頭に、こつん、と硬いものが触れる。驚きながらも視線だけを上にあげれば、見えたのは頭の上に乗せられて、そして離れていく皿だった。
 かすかな音すら立てずにサラダの盛られた皿を机に置き、目の下にうっすらクマのある青年は、穏やかに笑う。
「はい。おまたせしました、アイルさま。お腹が空いたのは分かりますけど、あまり騒がないでくださいね?」
「違うもん。お腹空いてたからじゃないのっ。なんで私だけ誰も一緒に御飯食べてくれないのっ?」
 ひどいひどい、差別だ差別だっ、とむくれて騒ぐ幼い王女を、コックコートの青年は困った笑顔で眺めやった。そんなこと言われてもなあ、という意思がありありと分かる顔つきで沈黙し、青年はゆっくりとした仕草でアイルの護衛官見習いたちに視線を移す。なにも言わずじっとシェザとルクセラを見つめたあと、青年は納得した笑みでうん、と頷き、アイルに向き直って開いている椅子を指差した。迷いのない仕草だった。
「あの二人座らせて、一緒にご飯食べればいいだけじゃないですか。いいですよ、二人分持ってきます」
「アニシア頭良い! その手があった!」
 くるりと椅子の上で体を半回転させたアイルは、頭を抱えてしゃがみ込んでしまっている二人を笑顔で手招いた。一緒にご飯食べようねー、と暢気な主君の誘い声に、シェザは涙目でコックコートの青年、アニシアを睨みつける。無理に決まってるでしょうっ、と噛みつかんばかりの叫びを、アニシアはめんどうくさそうな顔つきで否定した。
「無理じゃないですよ。私は出来ます」
「アニシアが出来ても俺たちは無理! 教育官なら許されても、護衛官の、しかも見習いに同席は許可されない!」
 だって俺たちは護衛するのが役目であって一緒にご飯は仕事内容に含まれないからっ、と叫ぶシェザに、アニシアはやれやれ、と肩をすくめて溜息をつく。確かに王族特別席に同席できるのは、原則として王家の者かその教育官のみである。法による明確な規定こそないが、暗黙の破れない了解であることは確かなのだ。しかしアニシアは真面目さんはこれだから、と呟いて溜息をつき、それから腕組みをして言い放つ。
「じゃ、許可あれば良いんですね? 主君以外の王族の許可が」
 主君のワガママならば退けられることも、他の王族から許可を下されれば、それはもはや命令に等しい。たとえ教育官でなくとも、同席は許されることだろう。じゃあそういうことで、と護衛官見習いの言葉さえ待たず、アニシアは食堂の厨房に向かって視線を流し、すっと息を吸い込んだ。アニシアは王宮付き料理人にして、教育官である。そして教育官がそこに在るなら、その対となる王族も、必ずそこにあるのだった。
 セルキストの国内のみならず、国外にも変人として名高い王族の名を、アニシアは迷わず口にする。
「レスティー! ちょっと来てください。今すぐ!」
 びしっと言い放たれた言葉は王族に向けるもの、というよりは犬を呼びつける響きに似ていたが、ごくあっさりと声が返ってくる。春の穏やかで浮かれた陽気そのもののような、ほわほわふわふわした頭の悪そうな響きの声が、今行くのねーん、と響き渡った。アイルは大きく息を吸い込んで、そして諦めにまみれさせながら吐き出す。そしてアイルは、いまさらすぎて城内の者は誰も気にしないことを、あえて呟いた。
「なのねんって、なんの意味があるの……? 語尾につける意味あるの……?」
「レスティーの行動に意味を求めないであげてください。意味があった試しがありませんから」
 王族の唯一の対。運命の相手である教育官の青年は、弱く微笑みながら言い切った。元気出してね、聞いてごめんね、とアイルが言っていると、やがて厨房の入り口から青年が出てくる。薄茶色の長い髪を編み込みの三つ編みにして可愛らしいピンで留め、アニシアと同じくコックコートを着こんでいる、可愛らしい顔立ちの青年だった。まあるい瞳は桃色で、さらに青年に可愛らしい印象を付け加えている。
 黙って立っていれば、見かけだけは普通の青年だった。レスティー、ともう一度アニシアが青年の名を呼ぶ。するとすぐに視線を向けて来たレスティーは、にぱあぁっ、と花が咲き乱れるような笑い方をして、たんっと軽やかに足を踏み出した。そしてくるん、とその場で回転する。くるくる、くるくるくる、とごく軽やかに回りながら近寄ってくるレスティーを死にたそうな目で眺め、アニシアは血を吐くような溜息をついて落ち込んだ。
 回る必要が、どこにもない。それにも関わらずくるくる楽しげに回りながら食堂を横断したレスティーは、王族専用席の前まで移動して来ると、風を抱く動きも柔らかに足を止めた。ふわ、と花を愛でる春風が吹いたかのように空気が動く。ごく穏やかな静止だった。それからレスティーはごく普通に歩き、回っていたとは思えない足取りでアイルとの間にあった数歩の距離を縮める。浮かぶのは、人懐っこい印象の笑顔。
 ちょこん、と首を傾げて、レスティーはアイルの目を上から覗き込むようにして口を開いた。
「アイルちゃん、こーんにーちはーなのねん。なーあーにー? なーのねんっ」
「……えーっと」
 レスティーを呼んだのはあくまでアニシアであって、アイルではない。だからこそ困ったようにアニシアを指差すと、レスティーはきょとりと瞬きをしながら己の教育官に視線を向けた。アニシア、と呼ぶ声は柔らかく響き、耳障り良く空気に溶けていく。どしたのねーん、と独特この上ない口調で呼びかけられて、アニシアはレスティーを睨みつける。今回る必要ありませんでしたよね、と感情を抑えつけた声が問いかけた。
 そんなもんある訳がないのねん、と全面肯定の呟きと頷きを放ち、レスティーはえへんと胸を張る。
「僕は回りたいからそうしてるだけなのねん! くるくるすると楽しいのねん。アニシアも一緒にやるといいのねん」
「するわけな……もういいです。分かりました、もういいです。いいです……」
 途中まで意気込んで反論しようとしていたアニシアの声から、ふと力が抜け落ちた。とたんにどんよりとした顔つきになったアニシアは、決意のある表情で腰にくくリ付けていたエプロンから果物ナイフを取りだした。それをやけに手なれた仕草で逆手に持ち、アニシアは世を儚んだ微笑で言い放つ。目が本気だった。
「あなたの教育を間違えたことを、死んで貴方の御両親にお詫びを申し上げて来ます」
「んなことしなくていいのねん」
 即座に喉を突き刺すべく動いた刃を見て、レスティーは慌ても騒ぎもしなかった。慣れきった呆れの呟きを放つと同時に足を跳ね上げ、果物ナイフがアニシアの喉を傷つける寸前で蹴り飛ばす。アニシアは反射的な動きでナイフを追おうとするが、それをレスティーは許さなかった。腕を伸ばして回転して落ちてくるナイフを指で挟むようにして捉え、手首の動きだけで机に突き刺してしまう。トン、と音を立てて刃が机に立つ。
 それを見もせず、レスティーは腰に手を当ててアニシアに向かって身を乗り出した。
「もー、すぐそうやって死のうとするんだからー。ダメだって言ってるのねん。あと僕の両親はまだ生きてるのねん」
「じゃあ私が死にたくなるようなことしないでください! 誰のせいだと思ってるんですかっ!」
「僕には分かんないのねん。それでアニシア、なんの用事なのねー?」
 ほらほら聞いてあげるからお話するのねん、とにこにこ笑いながら、また無意味にくるんと回るレスティーを見て、王族だと思えたら変人だ。アイルはしみじみとそう思って、目を細めて息を吐き出した。アイルは国王の娘で直系王女という扱いになっているが、対してレスティーは国王の姉の息子である。王子であることは代わりないものの、レスティーは見かけも言動もそれらしくなく、恐らく本人もそう思ってはいないだろう。

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