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 職業を問えば、レスティーは胸を張って言うに違いない。王宮付き料理長、兼、王子、と。セルキストでは、直系王族以外の王子王女に対しては十五歳を過ぎた時に、王位継承権を保持するか放棄するかの選択肢が与えられている。諸国であれば時に血族内ですら王を巡った争いが起きると言うのに、セルキストでは継承権の放棄が認められている王族は、ほぼ例外なくその道を自ら投げ捨てる傾向にあるのだった。
 王様するの、めんどくさい。かつてレスティーが王位継承権を放棄する理由を問われて言い放った言葉こそ、直系王族以外の真意そのものだろう。かくして継承権を放棄したレスティーは、毒味しなくても王族が食事を食べられるようにする為に、と料理人の道を選んだのだった。現在、王族に提供される料理の八割程度をレスティーが手掛けているので、料理に湯気があるうちに口にできるようになったのだという。
 その功績の大きさを微塵も感じさせない態度で、レスティーはご機嫌にくるくる回っている。せめて回転するのを止めてください、と涙ぐんで頭を抱えるアニシアに、レスティーはにぱぁ、と笑って普通に立った。
「それで、ホントにどうしたのねん? 僕に会いたくなっちゃったのねん?」
「いえ。アイルさまが一人で食べるの寂しいそうなので、そこの二人を同席させる許可を」
 一々訂正するのも諦めたらしいアニシアは、さらりと流してシェザとルクセラを指差した。困りきった護衛官見習いにすがるような目で見つめられて、レスティーはやや落ち着いた笑みを浮かべて頷いてやる。なんだそういうことなのねん、と納得した呟きを響かせて、レスティーはごく自然な動きでアイルの隣の椅子を引いた。そして、ぽすんと可愛らしい音を立てて腰を下ろしてしまう。アニシアは、その動きを茫然と見つめた。
「……え、レスティー? なにしてるんですか?」
「アイルちゃん、一人で食べるの寂しいなら僕が一緒してあげるのねん。アニシア、あと運ぶだけだからよろしくなーのねん」
「忙しいんじゃないの?」
 時間はちょうど、昼食時だ。城の殆どの者が、時間をずらしているとはいえ、昼休みの時間なのだ。食事を取りに来る人々が続々と食堂に訪れるのは考えなくとも分かることで、アイルがそう言っている間にも、空気のざわめきは増して行く。今からが、厨房は一番忙しい時間である筈なのに。お仕事しなきゃダメだよ、とアイルに睨まれて、レスティーは楽しげに微笑んだ。大丈夫なのねん、とその笑みが言っている。
 その笑みを崩さないまま、レスティーはアニシアに視線を向けた。にこ、と笑われて、アニシアはやや考えるそぶりを見せた後に、アイルの頭をぽんと撫でて立ち去って行く。許可、ということらしかった。本当にダメそうだったら行くのねー、と言いながら手を振って見送って、レスティーはどこか不服そうなアイルに向き合う。言わなきゃ分かんないのねん、とにっこり笑うレスティーに、アイルはすーっと息を吸い込んだ。
「なんの用事なの?」
 否定を許さず、誤魔化しも認めない静かな響きだった。まっすぐに向けられた紫の瞳は、軽い怒りすら込めてレスティーを見つめている。レスティーはやや苦笑して、アイルの前に置き去りにされていたサラダを指差した。とりあえず食べようね、ということだ。アイルはとてつもなく困った顔つきになって眉を寄せ、えと、と口ごもってから首を傾げる。
「レスティーのお話が先でいいよ? 先にしようよ。そっちの方がいいよ」
「よくないのねん。こら、好き嫌いしちゃダメなのねん。お野菜食べないと、立派なうさぎさんになれないのねん!」
「うさぎになる予定ないからいいの!」
 だから野菜よりお話だと思うの、というアイルの口に、レスティーはスティック状に切ってあるニンジンを突っ込んだ。もぐ、とアイルの口が動き、涙目でレスティーを見上げてくる。普通は葉物の野菜をふんだんに使って作る所を、アイルの場合は特別に、せめて食べやすいようなものを選んで切ってやっていると言うのに。はいもぐもぐなのねー、と笑顔で言い放ってやると、アイルの瞳にゆっくりと絶望が広がって行った。
 もぐ、と口が動く。もぐもぐもぐ、と一生懸命噛む様子は、本当に野菜が嫌いなのだと告げていた。それでも、出したりは決してしない。口に入れたら絶対に飲み込むこと、ときちんと教えられているからだった。ごく、と最後は水で飲み込んだアイルの口の前に、レスティーは笑顔で茹でたアスパラガスの先端を差し出した。再び、ものすごく嫌そうな顔をしながらアイルはぱく、と口に入れ、もぐもぐもぐ、と泣きそうに食べていく。
 その様子を呆れた風に見つめながら、レスティーはこれどうにかした方がいいんじゃない、と言わんばかりの視線を護衛官見習いたちに送る。どうもアイルは本能的に、口の前になにかを出されたらぱくりと食べにかかる習性の持ち主なのである。たとえ泣く程嫌いなものであっても、とりあえず口に入れてしまうのだった。毒だったら本当に、どうするつもりなのだか。習性を利用して野菜を食べさせ、レスティーは息を吐く。
「ちゃんと食べなきゃ、強くなれないのねん。分かってるのねん?」
「知ってるもん! 食べたもん!」
 だからもういい今日はもう食べない、と涙目でふるふるするアイルの夕食にもサラダを出すことを決めて、レスティーはさて、と首を傾げて呟いた。厨房の入り口で様子を伺っているアニシアに目配せして、今から話すから、という意思を伝える。アニシアは苦笑いをして、レスティーに手を振って厨房へと消えて行った。これでレスティーが厨房へ戻るまで、アイルの食事が運ばれてくることはない。会話の邪魔は、入らない。
 警戒でいっぱいの目を向けてくるアイルに、レスティーは楽しげに微笑んだ。薄々、話題も分かっているのだろう。全身で拒絶を表すハリネズミのような雰囲気で、アイルは唇を軽く噛んでいる。レスティーは唇に指先を押し当て、肩を震わせて笑った。アイルちゃん、と呼びかけると紫の瞳が睨んでくる。宝石色の瞳。まっすぐに視線を合わせて、レスティーは聞いた。
「教育官、いらないって聞いたのねん。ほんと?」
 一瞬、アイルの瞳に本気の苛立ちが走り抜ける。嘘か本当か、など聞く前にレスティーは分かっているからだ。どいつもこいつも本当に、と怒りを吐き捨てるような苛烈な光は、しかし一瞬だけだった。アイルは苛立った様子で全身を使って息を吐き出したものの、怒りをレスティーにぶつけることをしなかった。代わりに靴先でレスティーの座る椅子を軽く蹴り、いらない、と呟きを落とす。いらない、いらない。絶対欲しくない。
 頑なな、拗ね切った様子で繰り返すアイルに、レスティーは思わず苦笑した。
「ほんとーの、ほんとーに? いらないのねん?」
「ほんとーの! ほんとーに! いら! ない! のっ!」
 言うたびに椅子を蹴ってくるアイルに、しかしレスティーは軽い様子で笑い続ける。拗ねちゃってもう、と言わんばかりの余裕に満ちた態度だった。アイルがさらに抗議しようと、息を吸い込むのと同時に。レスティーはじゃあ、とさらりと続ける。
「アイルちゃんの教育官。見つかったら、僕にちょーだい、なのねん」
「……は?」
「アイルちゃんは教育官いらないのねん。僕は、教育官欲しいのねん。だから、ちょーだい?」
 ぽかん、として二の句が告げない様子のアイルに、レスティーはあくまでにこにこと機嫌良く笑ったままで言いつのる。からかっている様子ではなく、ごく普通の頼みごと、といった口調だった。とっさにシェザが反論しようとするのを、レスティーは視線で黙らせる。いいから待っててくれるかな、と言いたげに護衛官候補を睨みつけた従兄の様子に気が付かず、アイルは混乱した様子で首を傾げる。意味が理解できなかった。
 そもそも教育官は、その王族だけの存在だ。ちょうだい、と言われて譲渡できるものではない。
「できないよ。ダメだよ、そんなの」
「なぁんで? いらないんだったら、くれたっていいのねん」
「で、できないよ! 大体、レスティーにはアニシアが居るでしょ?」
 一人。世界に一人。たった一人、対の相手。それを二人持とうとするなんて、とんでもないことだった。しかもアイルの教育官が欲しい、だなんて。だめだめ、絶対だめっ、と必死に言うアイルに、レスティーは大丈夫なのねん、と言い切った。
「アイルちゃんが僕にくれるって言ったら、それで平気なのねん。だから、ちょーだい?」
「……だめ」
 吸い込んだ息の切なさで、アイルは自分が泣きそうになっているのを自覚した。教育官なんて、いらないのに。欲しくないのに。大切に過ぎる想いを抱いてくれるであろう相手が、傷つくかも知れない未来など欲しくないのに。だめ、ともう一度言おうとして、アイルは唐突にそれに気が付いた。あ、そうか、と思う。なんだ、と思った。守ればいいのだ。ただそれだけのことだった。教育官を、アイルが守ってやればいいのだ。
 大切に想ってくれる相手。アイルが、大切に想うであろう相手。傷つく所を見たくないのであれば、全ての脅威からアイルが教育官を守ればいいだけのことだ。その存在を奪おうとする者からも。きゅ、と唇を噛んで睨んでくるアイルに、レスティーは楽しくて仕方がない様子で首を傾げた。くれないのねん、と問いかければ、アイルは勢いよく頷いた。
「あげない!」
「なーんで?」
「私の教育官は、私のだから! レスティーには、あげない!」
 言い放って、アイルはよし、と満足に頷いた。これでもう、大丈夫だ。教育官が現れたとしても、それはアイルのもので、レスティーには取られない。よしよし、と頷いて拳を握って嬉しく思って、アイルはぴたりと動くのを止めた。レスティーはそんなアイルから視線を反らしつつ、椅子の上で体を二つ折りにして爆笑を堪えている。えーと、とアイルは自分の思考と発言を順に辿って考えた。そして思わず、顔を赤く染めてしまう。
 ひぅっ、と妙な悲鳴をあげて真っ赤になったアイルを見て、レスティーは耐えきれずに笑いだした。
「ひ、ひっかかったのねん……! アイルちゃん、誘導しやすすぎるのねんっ!」
「騙した! レスティーが騙したっ! ばかーっ!」
「騙したんじゃないのねーん。僕はただ、アイルちゃんの教育官チョーダイ、って言ってみただけなのねーん」
 まあ良いよって言われてもアニシアが居るから必要ないのねん、と笑顔で言ったレスティーを、アイルは悔しげに睨みつけた。幼い従妹の睨みなど、怖くもなんともないのだろう。にっこり笑って立ちあがったレスティーは、アイルの頭をぽんぽん、と撫でて去って行く。その一連の仕草が、悔しいくらいにアニシアとそっくりだった。どちらがどちらに似たのかは分からないが、片方の仕草が移ったからそうなったのだろう。
 ふにゅぅ、と呻きながら頭に手をやって、アイルはどうにか思いなおそうと考えてみた。やっぱりあげる、と言うだけでいい。そう思って、口に出すだけでいい。いらない、だからあげる、と。考えた言葉は、口に出す前にぐずぐずと崩れてしまった。
「な……なんで?」
 胸の中に、気が付かなかった火が灯っている。それは不安定に揺れていて、アイルの心をじりじりと焙るように急かした。教育官。その存在を想うだけで、そのことを考えるだけで、どんどん気持ちが浮足立って行く。なにか、水をせき止めていた物が壊されてしまったようだった。己の意思とは関係なく、落ち着かない気持ちになって行く。赤くなる顔を隠そうとしながら頬に手を当て、アイルは落ち着かなく視線を彷徨わせた。
 誰かを探してしまっていると、気が付かずには居られなかった。受け入れがたい気持ちは、まだ残っている。それでもアイルはそっと唇を開いて、呼ぶ名も知らぬ誰かを求めるように、かすかに唇を動かした。なんとなく近くに居るような、そんな気がした。返る声など、なかったけれど。



 感じたのは、火の温かさだった。冷えていた心が急に温められた気がして、少女はふと足を止めて立ち止まる。訳もなく緊張していた体から、力がゆるりと抜け落ちた。デューグの店をあてもなく飛び出してから数時間、どうにも浮上しなかった心が軽くなっている。己の存在ごと否定されたような、理解しがたい苦しみも消えていた。なんだったのだろう。機嫌が悪かっただけかな、と首を傾げて、少女は歩き出す。
 けれど数歩を歩んだ所で、少女は立ち止まって振り向いた。なんとなく、誰かに呼ばれた気がするのだ。少女の名前を、ではなく。存在そのものに対して、呼ばれたような感覚があった。胸の奥が、ひどくざわめく。少女は己を呼ぶ誰かを探すように人ごみに視線を彷徨わせ、眉を寄せて首を傾げる。勘違い、だったのだろうか。確かに、誰かに、呼ばれた気がするのに。やっぱり、長旅で疲れているのかも知れなかった。
 よく眠れたと思っていたのだが、疲れが取れ切れていなくて、それで無性に苛立って落ち込んでしまっていたのかも知れない。そう自分で納得して、少女はふと視線を持ち上げて街並みの続く奥を見た。城下町、と呼ばれる区域であれば、わりとどの位置からも見ることのできる王城が、遥か向こうにそびえている。遠すぎる場所にあるとは思わないが、さして近いとも思えない。ましてや、声の届く距離などでは決してない。
 それなのにどうしてか、少女はそこから呼ばれた気がして眉を寄せる。誰かが。少女が名も知らぬ誰かがそこから、呼びかけて来たような気がした。考えて考えて、少女は溜息をついて首を振る。常識的に考えて、そんなことある筈もない。そう感じること自体が、疲れている証拠だった。朝食も食べていないせいでお腹は空いていたし、貧血で意識がくらんだせいでの錯覚に違いない。そう思い、少女は視線を城から外す。
 もう、宿に戻ろう。デューグに急に出て来てしまって悪かったと謝って、それから食事を取らなければ。計画を組み立てて足を踏み出した少女は、にぶい痛みを頭に感じて息を飲む。ずきん、と頭の奥が傷んだ。その場から離れて行くのを、責めるように。応える声を持たないことを、悲しむように。ずきん、ずきん、と痛みは鼓動と同じ速度で繰り返し、やがて急激に引いていった。は、と息を吐き出して、少女は頭を振る。
「……なんなんだ」
 痛みが再び来る前に、と早足で去って行った少女を、呼びとめる声はなかった。

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