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 幕間

 凍りついた空気が密やかに肌を刺す。耳鳴りがしそうな静寂の中で、公園の滑り台の一番上に腰かけて足を投げ出し、少女は目を閉じて空を仰いでいた。繰り返される呼吸が、白く染まっては消えていく。冷たすぎる空気に晒されて頬はやや赤く、どんよりと曇った空は薄い灰色の絵の具を塗りたくったようだった。
 原色で塗られた遊具が、やけに刺々しい色彩を放つ。だからこそ、たちこめる空と高い位置でそれを仰ぐ少女は、やけに非現実的で存在感のないものだった。響かない鼻歌を歌いながら、少女がゆらりと足をばたつかせる。鋭い空気が、弱い風に変わった。
「遅いなぁ……」
 不満そうな色はなく、ただ事実を指摘する声で淡々と、少女は呟いた。閉じていた目をゆっくりと開いて空に視線を注ぎ、求めるように手を開いて高く掲げる。何処からか、テレビの音が耳に響いた。アナウンサーの声が、今日中に初雪が降ると告げている。
 その声にどこかほっとした表情になりながら、少女の視線は空から降りない。動かない重い雲を心配そうに見つめて、ゆっくりと瞬きをして。てのひらを伸ばして、時折握り締めては開く動きを繰り返して。足を、暇そうにゆらゆらと揺らして。吐き出す息を雪の結晶のように真っ白く染め上げて。赤い唇を、動かす。
「年々遅くなってるよね。仕方ないのかも、しれないけど」
 人工的な造形物に囲まれて、少女は呆れた息を吐き出す。生み出される白だけが、光景の中で唯一優しい色をしていた。空は泣き出しそうな色で切なく、地から生える鉄の遊具は温かみなどまるでない。周囲に人の気配はなく、足音さえ響いてこない。ゆらめきながら過ぎていく風が、悪戯に声を孕む。それが音の全てだった。
 木には枯葉の一枚も残っていない。静寂を降ろした公園で、少女はまた目を閉じて空を仰ぐ。祈り、耳を澄ませるような表情で、一人。その時に恋焦がれ、同時に恐れる表情をして、待っていた。時折、気まぐれに鼻歌を響かせて。
 世界はとても静かだ。壊れる音も、生まれる音もせず静かだ。全て終わってしまった後の平和のように、静かだった。だが本当はそうではなくて、瞼を閉じた薄暗闇の中、少女はそっと溜息をつく。
 今も、どこかで。本当は何かが壊れている。本当は何かが生まれている。本当は全てが歌っている。何一つ終わっていない波乱が続いているのに。今、この場所。感じられる『世界』は、とても静かで平和だった。少女はゆっくりと瞼をひらき、どんよりと泣きそうな空を再び瞳に映し出す。
 とがった色の遊具に座り、赤い頬をして吐き出す息は白く、灰色の空を見上げて。少女は呟く。
「おりて、おいでよ。はやく」
 手を。両手を、高く掲げて。祈るような気持ちで。
「待ってるんだから。……ずっと、待って」
 目を、閉じて。涙が流れないように、切なさを閉ざして。
「待つの、あきたよ」
「ごめんね」
 不意にそんな言葉と共に、掲げた両手がぎゅっと握られる。冷え切った指先で温かさは伝わらなかったけれど、確かにそれを感じたように安堵した笑みを浮かべて、少女は涙を浮かべた目を開いた。少年が、そこには立っていた。
 照れくさいような、申し訳ないような、それでいて何処か泣きそうな切ない顔をして。差し出された少女の手を取って、ぎこちない笑みを浮かべて立っている。地上から生えた滑り台の上、凍る空気に晒された場所に、一人は座り、一人は立つ。その、非日常的な光景。
 少女は何も言わない。少年も何も言わない。ただ手を繋ぎ合わせて、寄り添っているだけだ。やがて、少女が口を開く。
「雪が、降るね」
 歌うように。
「白く、染まるね」
 焦がれるように。
「一面、抱きしめて」
 愛しむように。
「冬が、来るね」
 溜息に乗せて。
 繋いだ手を、少年がそのまま自分の背に回す。抱きとめ、抱きしめるようにして、少女へと囁く。
「おまたせ」
「うん」
「……またね」
 微笑して、言葉は返される。
「またね」
 ひとひら、雪が舞った。とがった色の遊具が、うっすらと雪化粧で染まっていく。美しい光景の中、少女の姿は無く、少年は一人涙を流して微笑する。



 冬がはじまる。秋が終わった。誰も知らない交代劇の幕は落ち、雪が街へと降りてきた。

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