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 邂逅

 それは、唐突に起こった。
 ぐらりと揺らぐ視界の先で、ルノンが振り返ってメーシャの名前を呼んでいる。が、その声はメーシャには届かない。ここは自室。ちょうどルノンと一緒に天体観測をしようと窓辺に向かっているところだった。突然、何かを『受信』した。
 視界がゆらぎ、平衡感覚が失われる。
 膝をがくりと折ったメーシャに、ルノンが血相を変えて頬をぺちぺち叩く。痛みは感じず、その音でさえクリアに聞こえない。くぐもった音は、メーシャの世界に違和感を与えた。まるで、――ここではないどこかの世界にすとんと落ちたような、そんな気分だ。
 魔術師でもないメーシャにとって、その「何か」というのはわからない。どこから発信されたものを受信しているのかでさえも、だ。きっとラティだったら現状を教えてくれるだろう。しかし、今ここにラティはいない。
 次第に状況は悪化し、今度はさまざまな音とともとれる“声”が聞こえてきた。年齢も性別も関係ないさまざまな声とそれに伴う感情の洪水が次々とメーシャに流れ込む。困惑、恐怖、恐慌、絶叫。十六という年齢には受け止めきれないほどのそれは、涙となって溢れ出した。対処のできないメーシャはただ涙を流し、ぐるぐるとまわる世界とおびただしいほどの声の中にソレを垣間“視た”。


『ごめん』


 透き通る声だった。
 はっきりとした謝罪の言葉が、すべての雑音と感情の奔流を止め、閉じたまぶたを押し上げさせる。
「……」
 ぐるぐると回る世界はどこかへ消え、男の姿が見えた。その後ろには、メーシャも体験したことのある星の降る世界。ガラガラと崩れ落ちていく白い欠片は、星のように彼の真後ろを次から次へと流星のごとく流れていった。そのたびにメーシャの心も痛む。それは同じ体験をした者だからこそわかる感情だった。
 諦めたら、だめだ。
 なぜか強く、メーシャは思った。手を伸ばして、儚く笑う彼に向かって叫ぶ。
「だめだ、だめだよ!!」
 なにがなんだかわからなかった。わからないまま叫んだ。でも、失ってはいけないものだとわかった。不思議と。
「大切なものなんだろ!?」
 そんなことメーシャにわかるわけがない。でも、自然と口に出していた。泣きながら手を伸ばしていたのは、どうしてなのか。その理由すら覚えていないが、メーシャは必死に声を張りあげ、彼に向かって手を伸ばす。届かないと心のどこかで知っていながら。


『大切だから、……犠牲にできるんだよ』


「だったら自分を棄てるな!! 否定するな!! そんなの、俺が許さない!!」
 誰もそんなことは言ってないのに。言葉が溢れてくる。流星はさらに膨大な量となって、彼自身を覆っていた。
「俺にできることがあったらがんばるから……、おまえがそうならないように、俺がおまえの希望になるから!!」
『……』
「だから……っ、幸せに、……幸せになろうぜ、みんなで!!」
 魂からの叫びだった。みんな、と言えるほどメーシャの周りに人はいないけれど「みんな」という言葉が適切だと思った。
「おまえひとりが抱え込んだらだめなんだよ! ひとりでも欠けたら、大切な未来はこないんだよ!!」
 溢れる涙。叫び続ける心。喉が壊れんばかりに声を張りあげる。その間にも彼は流星に隠れて、この声が、想いが、届いているのかわからない。ぐるぐると回る視界と記憶と声と星と、時空の狭間における何かの干渉に、メーシャは今できるだけの想いでもって応えるのが精一杯だった。


『……ありがとう』


 やがて、おさまりつつある眩暈の渦の中、最後に耳に残る声に心が震えた。
「……諦めて、ないなら……ないって、言えよ……っ」
 清々しいほどの感情がこめられた言葉に歓びが込みあがる。
「犠牲だなんて、思っても、ない、くせに……」
 あえて犠牲だなんて言葉使いやがって。
 安心からか笑みが浮かぶ。それなのに、涙は止まらなかった。


 彼を想い、
 すべてを失い、
 それでも諦めない彼の想いを受け、
 密かに灯った約束―「俺が、おまえの希望になるから!!」―という名の希望を胸に、メーシャは時空の隙間から隔離される。


「……」
 そして、視界が戻る。最初に映ったのは、床の木目とルノンの泣き顔だった。
「……めぇ、しゃ?」
 ルノンの泣き顔なんて初めてだ。メーシャは大事な友達の涙を止めたくて、だるさの残る体に力を入れる。そっと腕を伸ばし、指先をルノンの頭に乗せた。にっこり微笑むことで無事を伝える。
「だい、じょうぶ、なのか……?」
「うん……。ごめ、ん」
 せめて涙ぐらい拭いてあげたかったが、その気持ちを表情から察したのか、ルノンは袖口で目元をぬぐった。
「そ、そんな顔すんなよ! ちょっと心配しただけだって!」
「……うん」
 少し体に力を入れたら動いたので、起き上がれると思った。すぐにルノンが「無茶すんなよ」と言ったが、メーシャは笑って体を起こす。手を開いて握ってを繰り返すと体の感覚になじんできた。
「俺の、こと……」
 不安な瞳を揺らめかせるルノンに、メーシャは微笑む。
「大丈夫。ちゃんと覚えてるよ。あのときとは違う感覚だった」
「……じゃあ、なんだろうな」
「うーん。なんだろう? 俺、魔術師でもなければなんでもないからなぁ」
 あはは、と軽く笑うメーシャに、ルノンの表情が変わる。
「ルノン?」
「なぁ、メーシャ」
「ん?」
「俺は、……」
「うん?」
 言いにくそうに、というよりも、何かを迷うそぶりを見せるルノンを静かに見守った。
「……メーシャは、魔術師に興味あるか?」
「ないと言えば嘘になるな」
「じゃあ、そこに近づく方法があったらどうする?」
 真剣な表情と覚悟を見定める視線に、メーシャもまた気持ちを改める。この小さな友達の向ける気持ちに真摯な思いを口にした。
「教えてもらう。それが、ラティに近づくための方法ならね」
 その言葉に、ルノンがひとつ息を吐く。そして、ゆっくりと口を開いた。


「俺は、メーシャに問う。それは、ラティの背中を追ってのことか?」


 研ぎ澄まされた雰囲気にメーシャの背中も自然と伸びた。
「違う。俺は、俺のために魔術師になりたい」
 いつから、そう思うようになったか。
 最初はそう、ラティの背中を追ってだった。しかし、いつしかそれは魔術というものを学び、星の動きを読み始めてから少しずつ意思として形を成していく。自分に力があるのなら、それをコントロールするために、己を知りたい、と。
「ルノンもラティも、俺の疑問に対して答えを言わず、一緒に体験することによって教えてくれた。俺、それが楽しかった。でも、それは受身だ。楽しいだけじゃ自分を知ることはできない。だから、俺は選ぶ。知りたいんだ。俺のこの力に関係があるのなら魔術師にだってなる」
 それは決意だ。
 今まで口にしたこともない。静かに胸にともる灯のように。それはメーシャの心の中に在った。
「それで俺と別れることになってもか?」
「もう一生会えないってこと?」
「かもしれないな」
「じゃあ、また会えるように俺がんばるな」
 ルノンが目を丸くした。
「……は?」
「ん? だって、俺とおまえは一生の友達だろ」
 いつ、俺が一生だなんて言った?
 そう言いたげな表情を見せるルノンに、メーシャは笑う。
「友達と一生会えないなんて、俺には耐えられないよ。だって、もうひとりにしないんだろ?」
「メーシャ……」
「俺は、安心した。ルノンの言葉に、心から」
 にっこり。感謝を込めて、笑顔を向ける。そこに迷いなんてひとつもなかった。だって、ルノンとはまた会える。何があったって、会ってみせる。離したりはしない。大事なものはしっかり掴む。それを教えてくれたのは、他ならぬこの小さな友人だ。
「……わかった。わーかった!」
 だから、小さい妖精もこれ以上何を言っても無駄だということを悟る。
「試すようなこと言って悪かったな」
 緊張と解いて頭の後ろをがしがしとかきながら、ルノンは言う。
「まぁ、俺やおまえの意思に関係なく、学園には行かなきゃいけないんだけどな」
「……がく、えん?」
「そ! おまえはこれから学園に行って、魔術を学ぶことになる。これは強制だ。……強制だって、……わかってたんだけど、俺のわがままで、おまえの覚悟を知りたかった」
「ルノン? 俺にはいったい何がなんだか……」
 わからない、といった表情で憂い顔のルノンを見るメーシャに、妖精はぱっと表情を変え声を張りあげた。
「俺が、おまえを学園まで案内する!」
 突然の言葉に混乱を始める脳内に、さらにルノンが告げる。
「俺が、おまえの、案内妖精だ!」
 ふよふよ浮いているルノンが誇らしげに言ったあと、ルノンはメーシャの頭上を旋回して窓辺に向かう。星と月の光を受けたソレはキラキラと輝いているように見えた。
「これが、入学許可証だ。……おめでとう。魔術師のたまご!」
 目の前に差し出された封筒に、息を呑む。
 ラティからよく聞く「学園」での話。密かに憧れていたところに、自分も行けることになろうとは思いもよらなかった。
 すごい立ち姿の寮長というのは今もまだいるのか、図書館の蔵書はどれぐらいあるのか。いけるかわからないところへ馳せる思いは、いつか捨てなければならないものだと思っていた。
 その憧れを現実にするものが、まさか目の前にあるなんて。しかも。
「案内妖精、が、……ルノン?」
「むしろ、俺以外の適任がどこにいるってんだ?」
 ルノンは、清々しいほどの笑顔をメーシャに贈る。
「さぁ、そうと決まれば旅の準備! メーシャ、星降の王宮に向かうぞ!!」
 高らかに声をあげたルノンは、珍しくはしゃぐようにして部屋から出ていく。きっと旅支度でもするのだろう。メーシャもこうしてはいられないと思う反面、魔術師のたまごだと言う友達の言葉に実感が沸かない。心ははやるのに体が動かなかった。
 呆然と夜空を見上げる。
「ラティ」
 メーシャは、心に浮かんだ人物の名前を紡いだ。
 自分を世界に繋ぎ止めてくれた恩人に、この事実を早く伝えたい。
(喜んで……、くれる、かな)
 馳せる思いは星となって思い人へ届くだろうか。
 届くといいな。なんて呟いて、メーシャは旅支度をするべくようやっと立ち上がった。

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