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 二人で過ごすこと

 朝起きたらナリアンは一人だった。正確には、オリーヴィアと二人だった。ぎゅっと抱きしめて、よくおねむりと両親そろって額におまじないをくれた。おかげで、よく眠れていた。眠り過ぎていた。
「ダディ? マミィ?」
 いつも優しく揺り起こしてくれるマミィの手はなく、今日はナリアン一人で起きた。ここはどこ? 見慣れないタンス、見慣れない壁。見慣れない布団。いつものテントではなく、しっかりとした壁。ふわりと香る花の香りは昨日と変わらない。空気は変わらない。それなのに、違う。景色はこの際違ってもいい。よくあった。でも、この胸騒ぎは味わったことがない。
「ダディ……? マミィ……?」
 ベッドの上で呆然と空を見やる。いつも、名前を呼べば、ダディとマミィはどこにいても名前を呼んでくれていたのに。どんなに小さな声でも、拾って抱きしめてくれたのに。
「ダディ! マミィ!」
 大きな声で、のどが千切れそうなほど大きな声で。でも、空気は動かない。聞きたい声を、ナリアンの元には返してこない。心細い。なんでもない、大丈夫、ちょっと遠いところにいたの、もう平気、ここにいいる、そう言って温かい両の手で抱きしめて欲しくって。泣かないの、男の子でしょう? とたしなめて欲しくって。
「だでぃい、ま、みぃい」
 声が震える。ぼたぼたと涙が落ちる。空気は動くが、欲しい言葉を運んでは来てくれない。ふわふわと髪を揺らし、頬を撫で涙の跡を乾かそうと風が踊る。お前じゃない。そう、首を振っても風は撫でるのをやめない。ちがうの、ちがうの!
 わあわあと声をあげて泣いていると、オリーヴィアがようやっと顔を見せた。あらあら、べしょべしょねぇ? 白いエプロンで、涙をぬぐい、鼻水をかんでくれる。
「泣くんじゃないよ、男だろ?」
 ナリアン。たしなめられても、苦しくって悲しくって、寂しくって。いくらでも、次から次へとこぼれていく。首を振っていやいやと。すがりたい存在はいない。それでも、目の前にいるのはオリーヴィアしかいなくて、誰かにすがりたくて、マミィのように全然細くないし、どこか冷たい香りもしないし、少しだけひやりとした手でもないのに。マミィよりも柔らかくって、太陽と洗剤とパンの匂いと、あったかくてかさついた手なのに。抱きしめられて、苦しくなるほど抱きしめられて、泣き声は全部、オリーヴィアの胸に吸い込まれて、ほんの少しだけ、少しだけ寂しさが紛れた。
 泣き疲れて、もうちょっと寝て、起きたらお昼を過ぎていた。ぐぅと鳴るお腹を抱えて、見慣れぬ扉を開け、見慣れぬ廊下を行き、階段を降り、こっちだよと風に誘われるまま歩いて行く。たいして広くはない家だけども、小さい体に慣れない家は大冒険だった。
 ここ、という風にくるくると回る風に導かれゆっくりと扉を開けば、ぶわりと食卓の匂いが香る。思い出したように鳴る腹の虫に、オリーヴィアが気づき振り向く。
「おはよう」
「おは、よう」
「そこすわんな。今、ミルク入れてあげるから」
 椅子に近寄り、よじ登る。そっと風が後押しをするのも手伝って、無事に座ることが出来た。準備されたパン、ベーコン、サラダに、スープ。楽団で食べてたご飯とは様相が全然違う。
「はい」
「あり、がとう」
「いい子だね」
 挨拶は基本だからね! と快活に笑うオリーヴィア。彼女はハーブティーをいれ、席に着く。たんとお上がり。と促す彼女の前にご飯はない。彼女の顔を見れば、うん? と首を傾げられる。
「ああ、いいんだよ。私は先に食べた。冷めないうちにおあがり」
 そっか、と納得し手を合わせていただきますとつぶやく。バターの匂いをたっぷりとさせているパンを手に取り、かぶりつく。じんわりと口の中に広がる甘い香り。一口、二口。はぐはぐと、丸一個を食べ、ホットミルクを飲む。ちょうどよく飲める温度に入れられたホットミルクに胃が温まる。
 おいしくて、温かくて、守られているような気がした。お腹が満たされて、ホッと息を吐き出せば、襲い来る不安。
「ばっちゃん」
「なんだい、ナリアン?」
「ダディと、マミィはどこ?」
 目の前が揺らいだ。それでも、ナリアンはオリーヴィアの瞳をみた。そらされることのない瞳、漠然とダディもマミィもいないのだと気づいた。
「次の街に行ったよ」
「……ばっちゃんは?」
「私? わたし?」
 質問責めにされると思っていたのだろう。構えていた質問ではなくて、予想外のことを言われ戸惑う。悲しいほどに、聡い子。
「私は、退団したんだ。今日から、ここが私の家。ついでに、ナリアン、あんたもうちの子」
「ばっちゃんの子?」
「そう」
 ばっちゃんの子、そう繰り返して微笑む。ばっちゃんの。ふふ、っと顔をほころばせる。ナリアンの周りが少しだけ、にぎやかになった。本当に、”そう”なんだねぇ。

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