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 私の特別が、世界で特別になった日

 すくすくと無事に育ったナリアン。父親の歌唄いのハルを母親のハープ弾きのラフィアを、見つめてくるだけだった存在が、にこりと微笑み、ころりとうつ伏せになり、だでぃまみぃと舌っ足らずで呼ぶようになり、移動手段を覚え、柔らかくとろとろに煮込んだ野菜を食べられるようになり、気づけばハルに抱っこしてねだるようになり、歌を唄うようになった。なんにでも興味を示し、それは何? あれは何? ねえ、これは? と矢継ぎ早に問いかけてくるようになった。周りの大人たちは、また始まったと、笑っていた。
 ことあるごとに、ラフィアはハープに興味を持って欲しかったのに、ナリアンはハルに歌ばかりねだると嘆いていた。ずるいわ、あなたばっかり。ナリアンにハープを教えたいのに、嫌って、嫌だって。ずるい。口にする度、最後は、ずるい、で終わる。お決まりの締めに、いつもハルは笑っていた。


 ナリアンは、ラフィアに何度も同じ曲をねだっていた。世界の始まりを告げる喜びの曲。明るく、暖かで、心地の良い。聞き惚れているうちに、眠ってしまうほどの優しい曲。その曲ばかりを、あんまりにもねだるので、ナリアンも弾いてみる? とラフィアは誘った。キラキラした瞳で、恐る恐る頷いたナリアンが、弦を弾き音を生む。最初の一音に感動したが、次第に目を見開き唇を噛み締めた。慌てたラフィアに、理由を聞かれるが、ナリアンは、もう弾かない、の一点張り。頑として譲らない、ほだされない、理由を言わないナリアンにラフィアの方が泣いた。ナリアンを抱きしめたまま、青色の瞳から透明な雫をぽたぽたとこぼした。そんなラフィアの頬にナリアンは触れた。透明な雫は、熱い。冷たいと思っていた雫が、思いの外、熱くて驚いた。ナリアンは、慌てた。母親は具合が悪いのではないかと。自分が、我侭を言ったから、どこか悪くしてしまったのではないかと。
「まみぃ……? どうしたの、どこか痛いの……?」
 シクシクと泣くラフィアに寄り添い、不安げに瞳を揺らし、眉尻を下げる。ラフィアの悲しいが伝わったのだろう。やるせないが伝わったのだろう。ナリアンの心が張り裂けた。
「うわああああああああん! だでぃいいいいいいいいいい!」
 大きな大きな声に、飛び込んできたのは歌唄いのハル。ナリアンの父親で、ラフィアの夫。さめざめと泣く妻に、ぼたぼたと涙の落ちる音がしそうな息子。二人に駆け寄り、それぞれをまとめて抱き締める。右腕にラフィア、左腕にナリアン。同時にすがりつく二人に、不安に襲われる。動転した気持ちが収まりそうもない。 どうした? 何があった? と問いかけても、二人とも泣くだけ。途方にくれ、二人を抱き締めるだけのハル。愛する妻に、目に入れても痛くない愛しい息子。泣かないで、お願いだから。二人の涙に胸が苦しくなる。泣いている理由がわからない。なにか、重大なことを見落としてはいないだろうか。不安が、ハルを襲った。二人の背中をあやしても、一向に収まる気配はない。かける言葉も見つからない。どうしよう、と悩んだ末に口をついて出たのは、子守唄だった。子守唄は短い。何度も繰り返し歌う。二人が聞き入れてくれるまで、何度も。
「……子守唄なんて、久しぶりに聞いたわ」
 幾度と無く繰り返し、ようやくラフィアの口が開かれた。ラフィアは、泣き腫らした顔を夫に向けた。頭は肩に預けたまま、甘えるように寄り添った。そんな彼女に、私が団長に怒られそうだな、とぼんやりと思いつつ、優しく微笑みかける。
「ナリアンには歌ってたんじゃないのか?」
「歌ってないわ。ハープを聞かせてたもの。あなたが、ナリアンに歌ってくれてたでしょう?」
 私が聴かせるより、ずっといいわ。そう、微笑む。
「君の歌声も、私は好きだよ」
 微笑み合う夫婦に、ナリアンの頭が持ち上がる。真っ赤なお目々。あらあら、とラフィアは糸を引くナリアンの鼻水を布でぬぐってやった。
「ハル、あなた、襟元大変なことになってるわよ」
「えっ。あ、ナリアン、鼻水つけたな!」
 衣装なのに。と青ざめるハルに、きゃっきゃとナリアンは喜ぶ。ナリアンと、ラフィアにハルは、優しく問いかける。
「さて、二人とも。教えて欲しいのだけれど」
 きょとんと見つめてくる、アメジストとベニトアイト。優しく見返してやりながら、私は心配したんだからね? と前置きをする。
「どうして、泣いていたの?」
「まみぃが」
「ラフィアが?」
「な、ナリアンが、ハープを弾きたくないって、理由を教えてくれないのだもの」
「ラフィア……」
「なによ……!」
 ハルの意地悪。と呟くラフィアに頬を寄せて、ナリアンに向き直る。
「ナリアン、どうしてハープを弾きたくないんだい?」
 仲睦まじい両親を見て、嬉しそうに笑っていたが、ハルからの問いかけに、きょとんと見つめ返し、それからそっぽを向く。楽しくなさそうに、だって、と言う。
「だって、ぼくがひくと、まみぃみたいな おとに ならないんだもの。ぼく、まみぃのはーぷ、だいすき」
 そして、またあの曲を弾いて、とねだるのだ。
「練習すれば、ラフィアみたいな音が出せるよ?」
「れんしゅう?」
「たくさん、ひくこと」
 しばし考えるように、眉根を寄せる。難しそうな顔をするナリアンを気長に待つ。そうして、両親にきっぱりとナリアンは言った。
「ぼくは、まみぃにはなれないもの。まみぃのおとは、まみぃだけのものだから、ぼくはまみぃになれない」
 だから、ねぇ、ひいてほしいの。ラフィアに笑う我が子に、ハルは二の句が継げられなかった。


 そんな一件もありながら、ナリアンは日々成長していく。母親に曲をねだり、父親に物語をねだる。父親から聞く物語は、他の誰から聞く物語よりも面白かった。同じ物語を聞いても、父親の方が何倍も面白く、内容を知っているのにも関わらず楽しめた。ドキドキ、ワクワクするような言い回し、表現。難しい言葉も使ったが、その度に、ナリアンの手を取り教えてやるのだ。


 うれしいって、なあに? 花が咲くこと。笑顔になること。ありがとうと言われること。ここが、胸があったかくなること。
 かなしいって、なあに? ナリアンが怪我をすること。ラフィアと喧嘩してしまったこと。ここが、胸が冷たくなってしまうこと。
 だでぃは、かなしいの? ナリアンの怪我が治れば、それは嬉しい。ラフィアと仲直できればとっても嬉しい。悲しい、は減らせるんだよ。


 こんな風に、毎日を過ごし、喧嘩をして笑い合って。当たり前の幸せが、ずっとずっと続くものだと思っていた。ナリアンはハープよりも物語、それも語り部と呼ばれるものに興味があったようだし、家族でいずれは1つの演目を任せてもらえたら嬉しいなって思っていた。楽しみで、仕方がなかった。ナリアンが、その日得た喜びを共有してくれるその時まで、ずっとそうだとハルは思っていた。


 星降の国。5カ国ある中で唯一、妖精が住む国。ナリアンたちが所属する楽団は、星降のとある街を訪れていた。公演の最終日。明日の朝には、次の街へ向けて出発する。落ち着くまで遊んでおいでと言われたナリアンが、元気いっぱいに戻ってきた。土にまみれ、頬にかすり傷。ラフィアは卒倒しかけていたが、ハルは元気で何より、と笑った。そして、興奮したように今日、あったことを教えてくれる。
「あのね、きょうね、ちいさくて、ふわふわしたこと、あそんだの!」
 無邪気にこれくらいのと我が子が手で示す大きさは、明らかに人でないそれ。星降の国には妖精がいると聞いていたが、もちろんハルは妖精を見たことがない。風の噂や、書物で知るのみである。隣で彼の妻が息をのむ。顔に出さないように努めて明るく、そう、と微笑んだ。
「ハル……」
 ラフィアが懇願するように呟き、後ろからハルの裾を引っ張った。そっとその手を掴む。ぎゅっと握り返すが、そちらは見ない。我が子の、きらきらと煌めくアメジストの視線に合わせるようにしゃがみ、問いかける。
「それはよかったね、楽しかったかい?」
「うん! ニーアとね、おいかけっことね、かくれんぼをしたの!」
 とってもたのしかったんだぁと、うっとりとした顔をみせる。ひきつった笑みを見せているであろうラフィアは、握る力を強くする。白い手のひらを人差し指で優しく撫でる。落ち着きなさいと暗に込めて。
「ナリアンと、ニーアちゃん? だけで遊んだのかい?」
「うん!」
「このことは、私たち以外に言ったかい?」
「いってないよ!」
 マミィとダディにだけ。楽しくてたのしくて仕方がないと、我が子の周りの空気が踊っているように感じる。ハルには魔術師の素質は欠片もなかったが、なんとなく感づいた。我が子が生まれてからなんとなく感じていたそれ。我が子は何かに護られ、愛されていると。人ではなく、妖精でもなく、魔力の込められた道具でもなく、加護でもなく。きっと我が子と、それに類する者にしか正体はわからないのだろうと。そして、我が子は、愛おしい我が子は、自分で道を選べないのだと。連れて行かれたら、私たちの元には帰ってこないと。ずっと一緒にはいられないのだと。
 泣いてしまいたかった。人目を気にせず、愛する妻のラフィアにすがりついて、みっともなく喚いて。渡り歩いた街で聞いたことがあったが、自分の身にそんなことが起きるなんて夢にも思わなかった。
 どうしたの? と黙ってしまった父の瞳をのぞき込む、父親よりも明るいアメジスト。なんでもない、首を振って無理矢理笑顔を作って、握られていたはずだったが、逆に握りしめていたラフィアの手を離して、我が子を抱きしめた。苦しい、と言われても放せなかった。我が子の後ろ頭を手で覆い頬を寄せる。すんと、鼻をすすれば太陽の匂いがした。
「ダディ?」
 うん。
「ダディ?」
 うん。
「ダディ」
 うん。ナリアン、なりあん。わたしの、かわいい。
「ダディ?」
 もうちょっとだけ、もうちょっとだけ。
 温かな体温と、ぽんぽんと頭をなぐさめるようになでられ胸が熱くなった。
 ハルは、1つ、自分に罪を背負うことにした。我が子の思いに、記憶に少しだけ蓋をする。これはおまじない。ただの刷り込み。格好良く言えば、催眠術。
「ナリアン」
 ようやく顔をあげた父親に、ナリアンは嬉しそうに笑う。
「ナリアン、私の目をようく、見て」
 同じアメジスト同士が、覗き込み合う。ゆっくりと、ハルは願いを込める。
「ナリアン、今日のことは忘れなさい。誰にも言ってはいけない、覚えていてはいけない。楽しかった気持ちだけ持って、忘れなさい」
 揺れ合うアメジスト。言葉は力だ。なんのことはない、親が子に言い聞かせるだけ。ただ、少し念を押すだけ。いつもにこやかで、力を持っていた父親の瞳が、ガラスのように無機質に、何も感情を映し出さくなったことにナリアンは怯えた。父親の袖口を握りしめることだけで精一杯。怖いのに、目が離せない。互いに瞬きもせず、時が過ぎていく。終わりを告げたのは父親の方。瞬き1つで、目に愛おしさを込める。息子を抱き寄せて、ポツリとこぼした。
「いいね、ナリアン。約束だよ」
 強く、強く抱きしめて。高い体温を感じる。両腕にすっぽりと収まる小さな体。包めなくなるほど大きくなってしまう寂しさと楽しみを込めて。
「ナリアン、私の、可愛いかわいい息子。どうか、どうか、幸せに、なって」
 ぎゅっと服を握る小さな手が、たまらなく愛おしかった。

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