戻る


 ああ、だって君のことだろう

 廊下に置かれた椅子に座って、ぼんやりと順番を待っていた。メーシャと、ロゼアは先にそれぞれの部屋に入っていき、ただ一人ナリアンは残された。寒くはない、寂しくも、ない。あまりにも静まり返っていて、ここにいるのは自分一人のように錯覚する。扉一枚隔てた向こうに、最低でも四人はいるのに。
 ゆっくりと、二人に手を引かれてここまで歩いてきた。もう終わっているから、と白い女の子、ソキといっただろうか、を部屋に置いてここまで来た。ロゼアと離れるのを怖がっているように見えた。ロゼアが触れていた右腕がほんのりと暖かくて、きっと彼は火とか炎とかの属性なんだろうと、思った。大きくて、自分自身の手よりもずっとがっしりしていたように思う。そんなに歳も違わないように見えた。なのに、あんなにも、彼はしっかりしているように見える。ばっちゃんが死んでから、目に見えて減った筋肉と、脂肪。溜め込んでいたわけではないけれど、自分の手の骨が浮いて見える。脇腹を触れば、肋の骨が数えられる。服もズボンも、体に合わなくなった。びっくりするほど作り変えられてしまった己の体。あの白魔法使い、魔術師ではないと誰に聞いたか思い出せないけれど、魔法使いは言っていた。お前が手放せるようになったら戻るよ、と。手放すってなんだろう、と考えては見たけれど、もう己に残っているものなんてない。手放せるとしたら、きっと、この命だけ。
 ちくり、と左腕がきしんだ。触れてみれば、ほんのりと残る魔力。温かいような冷たい、ような。やんわりと伝わってくる熱。左腕を支えてくれたのはメーシャ。自分を見たメーシャが、泣きそうな、ああ、なんでそんなに苦しそうなんだろうと、不思議に思った。痛いのは、辛いのは君じゃないのに。彼が触れていた箇所をギュっと握っても、何も読み取れない。氷でもなく、水でもなく、火でもなければ、闇でも光でもない。ひんやりとしているのに、暖かくて、見守られているような気がして泣きたく、なった。
 泣きそうなと言えば、あの子。小さくて、名前を呼んでへにゃんと笑ったあの子。何度もナリアンと呼んで、嬉しそうに笑っていた。どこかで会っただろうか、と思い返してみても、己の狭い行動範囲にあの子はいなかった。白くて、滑らかで、シミ一つない女の子など見たら忘れようもない。
「会ったこと、あったっけ」
 思わず口をついて言葉が出る。それを確かめるすべなどないのに。口を手で覆った瞬間、ロゼアが入っていった扉が開かれる。顔を覗かせたロゼアが頷き、扉の向こうへ声をかけると、こちらへ歩み寄ってきた。
「お待たせ、お前の番だってさ」
『あ、うん』
 普段の通りに立ち上がろうとして、よろめいたところを支えてもらう。恥ずかしいけれど、ありがとう、と小さくお礼を言えば、いいよ、と返ってきた。
「大丈夫か」
 覗き込まれるのに、なんとか返事をして、ロゼアが出てきた部屋へ歩を進める。驚くほど、ゆっくりとしか歩けない。早く、行きたいのに。視線から逃れるように、ノックをし、返事を待たずに扉の中へ滑り込んだ。
「うっ」
 廊下との明るさの差に目がくらむ。しばし瞬いて、中央に立つ黒いのに輝いている女性を見つけた。銀の髪は星の色。トパーズの瞳は月の色。夜色の肌は、それらを輝かせるための空の色。ぱちぱちと彼女を見遣り、何をどう言えばいいのかわからなくて、ペコリと頭を下げた。
「ナリアン、君かしら?」
「は、い」
 喉が貼り付く。絞り出した声は届いただろうか。足元を見つめ、彼女の次の言葉を待った。
「初めまして。私は、パルウェ。この学園の職員をしています。どうぞよろしく」
 視線を合わせるのが怖くて、下を向いたまま頷いた。人に評価などされたくはない。人の視線が怖いのに。もう解き放たれたはずの苦痛をもう一度味わうのかと、体が緊張を覚える。
「さて、これから、あなたの属性と、適正を検査します。属性とは、この世からあなたが何を借りれるのか、といったところかしら。それから、適正とは、得意とする魔術の系統とはなんなのか。この辺りのことは、授業で聞いてね」
 何から唱えてもらおうかなーと、少し楽しそうなパルウェに、ナリアンは緊張しっぱなしである。属性? 適正? 何を調べられるんだ? 要不要? 怖い。少しの不安が立っていることを困難にする。フラっと、体が傾ぎ、すんでのところで踏み留まるが、立っていられるわけもなく、膝をついた。どっと汗が噴き出る。不安で、こんなにも体調を崩すなんて。過去の自分と照らし合わせてみても、異常だと気づいた。息をするのが辛い。
「あらあら、大丈夫……? フィオーレを呼びましょうか?」
 ふるふると、首を振るので精一杯。覗きこまれているのに、耐えるように手を握りしめた。指先が白くなっていく。立て、立てるだろ、ナリアン。自分に言い聞かせるように、立ち上がる。よろめいたけれど、自分の足で立っていることに安堵する。
『だい、じょうぶです』
 不思議そうに、首を傾げられるが、パルウェはふわりと微笑んだ。
「じゃあ、始めましょう。大丈夫、無駄に魔力は使わないわ」
 ゆっくり、無理せずいきましょうね。


「詠唱は人それぞれ、なんだけれど、初歩中の初歩。ずっと昔から伝わる言葉を属性と適正の検査に用いているの」
 私の後に続いてね、と彼女が言うままナリアンは唇を動かす。火、水、氷、月、太陽、自然、雷、炎。まだ他にもあったような気がするが、どれを唱えてもうんともすんとも言わなかった。魔術師なんて嘘じゃないのか、とナリアンが思い始めた頃、パルウェはどんどん楽しそうに笑う。
「これがね、最後。大丈夫、あなたは、魔術師のたまご、よ」
 泣きそうになりながら、すがるように後を追う。慣れた最初の言葉、違うのは最後。
「導いて。私の行く先を。風よ吹き渡れ」
 言い切る前に突風が吹き渡った。パルウェの髪を揺らし、天井にぶつかり、楽しそうに室内を駆け巡る。何が起こったのかわからないナリアンに、パルウェはただただ微笑む。目一杯遊んだ風は、あー楽しかった! と言わんばかりにしぼんでいく。最後に、ナリアンの頭をかき混ぜて、霧散した。暴風が終わるやいなや、クスクスと笑いが漏れ、次第に大きくなっていく。
「思った通り! 風は本当にナリアン君のことが大好きなのね!」
 何がツボに入ったのだろう。延々とお腹を抱えて笑うパルウェ。うふふ、クスクスと、しだいにすぼみ、いいもの見ちゃったわ、と目尻に浮かんだ涙を拭って、乱れた髪を直しもせず呆然と立ち尽くすナリアンに告げる。
「うふふ、決まり。あなたは、風の黒魔術師、よ」
 紙挟みにさらさらと書き留め、ナリアンに談話室にお戻りなさい、と微笑む。頷くことしかできなくて、来た時と同じようにのたのたと、歩いて行く。行きにいた二人はいない。一歩一歩確かめるように歩く。戻っている途中で、白魔法使いに捕まり、体調の確認をされ、こっちに準備があるからと連れて来られた先で、大皿と保温瓶を持たされた。それらを持って、殊更慎重に、談話室を目指すのだった。
 彼の周りを、ふわりふわりと風が通る。ねぇ、今度は、いつ、呼んでくれる? そう言わんばかりに。

戻る / 次:咲いた花はいつまでも

 ←Web拍手ボタン。ぱちっと押して応援できます。