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 悩みのタネは尽きぬけども

 眠さで死にかけている人なんて、初めて見た。


 各々が武器を手にし、戻ってきたところにいたのは、鬱陶しい寮長ではなく、ガレンと名乗った副寮長であった。あれ、と首を傾げる新入生を、ガレンは満足気に眺めた。
「皆さん、武器を手に入れられたようですね。では、あなた方の担当教官が来ていますので、案内します」
 にこやかに歩き始める副寮長に、四人は話しかけるタイミングを失い、とぼとぼと後ろをついていく。お決まりのように、談話室に通され、四人はそこにいる存在に頭を抱え、目を覆い、視線を背け、溜息をついた。
 不機嫌という言葉が逃亡しそうなほど、顔をしかめた女性が談話室の一番日当たりのいい、すわり心地のよさそうな椅子に深く腰を下ろしていた。それまではいい、その足元に片膝をついた、焼け焦げた土の色をした髪の青年がいた。見覚えがある。非常に。なんか先程まで一緒にいたはずで、その人の先導で戻ってくるはずだった気がする。
「ロリエス、俺の天使! ああ、麗しい。日毎、美しく輝くお前が、女神さえ霞んで見える……! ずっと、会いたかった! 会いたかったんだ、ロリエス。ロリエスから送られてくる返事だけじゃ、物足りなかった……! ロリエスの字にすら、愛を覚え、苦しみを覚えた。今、お前を目の前にして、抱きしめたくてしょうがない!」
 ああ、聞き覚えがある声だ。おかしいな、なんだろ、変なセリフが聞こえてくるよ、うふふ。胸焼けがしてきた。見てはいけない、そう本能が伝えているのに、ナリアンは、好奇心に負けた。
『見なきゃよかった』
 椅子にふんぞり返っている女性は、気だるそうに足を組み、肘掛けに肘をつき片手は唇へ。その顔は天使どころか般若そのもの。眠いのが限界突破するとあんな顔になる気がする。そうなったことが一度だけあったナリアンは直感的に思った。この人、いつから寝てないのだろう。その足元に片膝をついて、騎士が王に忠誠を誓うようなポーズを気高くきめて、真摯に見上げ、うっとりとした表情の寮長。
「ロリエス。そのみずみずしい唇に泉の女神は嫉妬し、その指先の煌めきは、妖精の光ですら物足りない。どうして、こんなにも、こんなにも! ああロリエス、好きだ、結婚してくれ! 俺に、その権利を! ロリエスを未来永劫愛するという権利と、この腕に抱き守れるという職をくれないか!」
「断る」
 長々、延々、天使だとか妖精だとか、眩しいだとか美しいだとか。よくもまぁ、そんなに次から次へと言葉が出てくるのか。感心するほど寮長の言葉は語彙に富んでいた。たくさんの書物を読み、写したナリアンでさえ、そこについては舌を巻くほど。それでも、だ。それでも、余計に、視界におさめるべきではなかった。本当に。
『本当に、見なきゃ、よかった』
「ナリアン、見たのか」
 メーシャに声をかけられ、力なく頷いた。そっと視線をよそに向ければ、ソキが頭を撫でられている。なんだろ、あそこに行きたい、混ざりたい。そう思うのに。
「おい」
 ああ、なんだろ、嫌な方向から声をかけられている気がする。聞こえないふりをしたい。空耳、そう、きっと空耳だ。女の人が、こんなにも低い声を出すなんてこと、ありえない。
「おい」
『空耳』
「ナリアン」
 自分の名前を、更に低くした声で言うのはやめて欲しい。油を注していないような機械の音を立てて、ナリアンが嫌々視線を向けた。女王様と下僕に。闇夜にいそうな目の据わった女性と、空に輝く太陽のような明るい笑顔を振りまく寮長。二人の表情は天と地ほども違うのに、きっと抱いている思いは真逆なのだ。ああ、寮長の笑顔が怖い。喋れ、と言われた記憶が蘇る。ああ、とっても嫌だ。
『なん、ですか』
「来い」
 恐る恐る、つっかえそうになりながら言葉を吐き出す。座ったまま、単語で命令する女性に抗えるはずもなく、寮長になるべく近寄らないように女性に近づいた。未だに床に片膝をついている寮長の見上げてくる視線がこの上なく鬱陶しい。だいたい分かる。女神に名前を呼んでもらえるだと、俺も呼ばれたい。そう、目が言っている。うっとうしい。女性の座る椅子の横まで行けば、ふんぞり返っていたその人は組んでいた足を下ろし、立ち上がる。少し揺らめいたのを咄嗟に支えようとして、手を伸ばした。しかし、その手は空を切る。下から伸びてきた手が女性の手を引き寄せ、あっという間に腰を抱き支えていた。なんなのこの人。
「大丈夫か、ロリエス」
「……離せ」
 甘く囁く声を至近距離で聞き、口の端がひくり、と震えた。誰が、好き好んで、他人の甘い声など、聞きたいか! 仰せのままに、とこれまた無駄にいい声で囁くのを聞き、全身に鳥肌が立つ。寮長の腕から逃れた女性が目の前に立ち、ナリアンの瞳を射抜いた。オブシディアンの瞳。目を逸らすことは出来なくて、蛇に睨まれたカエルのように動けない。
「ロリエスだ」
『……ナリアン、です』
「担当教官だ」
『……はい』
 それだけをいい終わり、疲れたようにまた椅子に戻るのを見届ける。その横を、当然の顔をしてエスコートする寮長に頭痛を覚える。なんだろう、家に、帰りたくなってきた。魔術師とかどうでもいいから、とりあえず帰りたい。それか、ニーアに会いたいと、無性に思った。ナリちゃん、と鈴の鳴るような声で呼んでもらいたい、癒されたい。そしてまた、大丈夫かロリエス、水でも飲むか、部屋まで行くときは声をかけてくれ運んでいくよ、と寮長の独り言が続いていく。ロリエスは相槌を打つでもなく、否定をするでもない。寮長が喋り続けているのを黙って聞いていた。下がっていい、とロリエスが一言言ってくれたなら、俺は喜んで離れるのに。それでも、俺の先生は、眠さと格闘し、他に気を配る余裕がないのだろう。ほんと、なんでこの人、こんなに眠そうなの。こんな感じで、やっていけるのかな、と窓の外を見た。腹が立つほど、太陽の光が眩しかった。

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