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 俺のお姫様

 風が頬を撫でた。目で風の出処を探れば、教え子であった。
「帰ってきたのか」
 一つ、肩の荷が降りたのをロリエスは感じた。新入生はみな、一度は踊らなければならないルールがあったからだ。いくら教え子といえども、私の女王陛下のお手を煩わせるわけには、と決意を固めていたロリエスは心から安堵の吐息をついた。その愛しの陛下も、今は席を外している。
 壁の花となっていたロリエスは、本日、誰とも踊っていなかった。それは、彼女が一つ一つ断っていたわけではなく、この場にいる男性が全員"彼"に遠慮したからである。決して、ロリエスと踊りたくなかったわけではない。断れることが目に見えていても、喋りたいと思うし、困ったように泳ぐ視線を見てみたいのだから。
 花舞のロリエス、といえば、在学が重なっていた者はもちろん、魔術師であるならば、必ず知っているほどの有名人だからだ。花舞マジ花舞の筆頭であり、寮の主である寮長ことシルの想い人である彼女を知らぬ、という魔術師はもぐりだと豪語されるほど。その事実をロリエスは一切知らないが。シルの想い人であることは、ロリエスが卒業し、教師として舞い戻ったときに、正式に拡散された。なぜなら、ロリエスが在学中は、それは公然の秘密であっただけで、大抵の魔術師は、拡散されたと同時に、うん知ってた、と遠い目をした。
毎年、花舞の女王陛下の護衛として、魔術師の礼服に身を包み、隙なく隣に立つ彼女に、ダンスの誘いなど到底出来る雰囲気ではなかった。その彼女が踊ったのは、彼女の師が学生最初のパーティと学生最後のパーティのとき。それから、シル寮長が毎年パーティの最後に必ずロリエスをパートナーに選ぶだけ。それもこれも、ロリエスの鉄壁の構えが、世の男達の挑戦を跳ね除けたからだ。ところが、今日はどうだ。普段なら絶対に見ることが出来ないドレス姿。いつもより高く結い上げられた髪に、化粧を施されたロリエスを前に、今日こそはダンスを、と胸を踊らせた男性も多数いた。礼服を着込んだロリエスの、仕事ですので、と硬い声に幾度と無く阻まれてきた。彼女の女王陛下ですら、口を挟めぬほどの真面目ぶり。王宮魔術師についてからの常套句。そのロリエスは、今宵、伝家の宝刀"仕事ですので"は抜けない。なのに、誰も彼女をダンスに誘えはしなかった。ロリエスが毎年行っていた仕事は、花舞の魔術師タルサが行っているのだから誘えばいいのだ、気軽に! タルサもさっさと、誰かと踊りに行けばいいのに、むしろ寮長とずっと踊っていればいいのに。さっさと、本当に、行けばいいのに、とにこやかに笑っていたのだから。ただ、寮長の無言の圧力の前に、苦笑いを浮かべて、壁の花に徹するロリエスに視線をおくるだけに留める他、なかったのだ。
 ロリエスのドレスは、寮長の、今年の俺の女神はこれが似合うリストから選ばれた、焦げ茶と薄いピンクを基調としたドレスだった。左の腰骨からひだをぐるりと幾重にも巻きつけ、厚みを持たせる。薄いピンク、茶色。胸元はすっきりとまとめられ、花舞の国章が彫られた銀のペンダントが首周りと胸元を飾る。そんな色気のないペンダント、と渋る同僚を振り払い、これだけは譲れぬ、とロリエス自身がつけてしまったのだ。他は全て受け入れたのだから、これだけは好きにさせろ、と頑なに言うロリエスに、あれやこれやと手を焼いていた魔術師たちは、仕方ない、と諦めざるを得なかった。そんなロリエスに、いの一番にシルがダンスに誘った。新入生の挨拶が終わり、パーティの最終準備が始まった直後に。
「あまりにも、あまりにも。神が与えし奇跡。春の陽射し、夏の弾けるようなみずみずしさ、秋の染まった木の葉、冬のきらめく白さ。全てが霞んでしまう、俺の女神。ロリエス、俺の女神。今日は、一段と美しい」
 ロリエスの足元に跪き、片手を取り、うっとりとロリエスを見上げ、いつの間にか口説いていた。ロリエスの無表情の奥は誰も読めない。タルサは、寮長の口説きにゲンナリし、女王陛下はニコニコと二人を見守る。
「ロリエス、踊ってきたらどうだい」
「いいえ、陛下。お側にいさせてください」
 ぺいっと、シルの手を放り投げ、一瞥足りともシルを見ない。ロリエス、氷の女。
「俺の女神の恥じらい。初々しく、この甘酸っぱい気持ち……! 俺は、俺は」
「寮長、気持ち悪い」
 ダンスの誘いはそれきりだった。もうパーティも終わる。最後までいたことにロリエス自身驚きつつも、浮かれていたことを悟る。この時限りの可哀想なドレス。ただ一言、シルに似合っている、と言われたかった。意味不明な口説き文句ではなく、ただ一言、似合っている、と。
 最後の曲が始まろうとしている。女生徒の相手を代わる代わる務めるシルを最後に見て、立ち去ろうと思った。それなのに、珊瑚の瞳は人混みのなかに見えず、少しばかり気落ちした。パーティの終幕だから、忙しいのだろう。
「今日という日に、感謝を」
 呟いて、踵を返した。左腕が掴まれ、優しく、けれど強引に引かれる。慣れないヒールで、足はクタクタだった。抗うことも出来ず、引かれるまま体が倒れていく。息を飲み、衝撃に耐える。誰だ畜生、覚えてろ。口汚く胸中で毒を吐く。
「ローリ」
 背中に、耳に、首筋に。触れる熱は、腰を覆い、腹を引き寄せられる。
「シル!」
「俺と踊らずに帰ろうとした?」
 あごを持ち上げられ、視線が上向く。至近距離で視線が絡まる。とろりと揺らめく珊瑚の瞳。サッと、頬に熱が集まるのを感じた。苦しい態勢なのに、視線が逸らせない。腹に回された手が、するりと腰を撫で、左手を取る。優しく引っ張り起こされ、くるりと向きあわされる。こつん、と額がぶつかる。いつの間にか、腰に手が置かれ引き寄せられる。唇が、ぶつかりそうになる。
「ロリエス?」
「っ」
 はあ、と熱い吐息が近い。抱き寄せられ、シルの肩口にロリエスがおさまる。
「一曲、」
「嫌、だ」
「どうして」
 腰を抱く力が強くなる。イエス、以外は聞くつもりがない、と言わんばかりに。
「お前と、踊りたい子がたくさん、いるだろう」
「誘いを受けた分は、全て踊った。後は、ロリエスだけ」
 私は、踊りたいなんて。
「俺が、踊りたい」
 卑怯だ。
「ロリエス、一曲、どうか」
 黙っていれば美丈夫なのだ。強引に引き止めて、こんなタイミングで紳士面しないで欲しい。
「ローリ」
「いや、だ」
「足なら、いくらでも踏んでいいから」
「……ばかっ」
「誰もロリエスのこと笑ったりしない。俺がさせない」
 君は俺のお姫様だ。耳元で、吐出された息が、熱い。



 半ば無理やり、引っ張りだして、ポジションに着く。ここまできても、嫌だと抗ってみせるロリエスだが、君の視線が踊りたいと、ずっと俺を呼んでいたから、この手を離しはしない。
「ローリ」
「話し、かけるなっ」
 必死にステップを踏むロリエスが愛おしい。かわいい。多少、意地悪をしたくなるのは仕方のないことだと思う。ぐんっ、と足を大きく踏み出す。慌てたように、ロリエスも足を大きく踏み出す。咄嗟に強く握られた、繋いだ手に笑みが溢れる。
「シル!」
 焦った声が心地よい。聞こえないフリをして、大胆にステップを踏む。シルの胸までしか上背のないロリエス。慣れない靴だということを差し引いても、シルの歩幅に合わせることなど出来ない。ほとんど、シルに持ち上げられるようにしながら、ロリエスは爪先で床を蹴る。ひだの多いドレスの裾が、男を誘う女の手のように艶かしい。要領をつかんだのか、ロリエスが床を蹴るタイミングと、シルがロリエスを持ち上げる呼吸が噛みあい始める。一際、二人は目立っていた。蝶をもてあそぶ花。花を惑わす蝶。ふわり、ふわりと見る者の目を楽しませる。無邪気に、いたずらっ子のように、互いを信頼している二人があまりにも、幸せそうで。
「ロリエス、ろりえす、ろーり」
 俺の、お姫様。


 曲の終わり。ホッとしたような顔を見せる君を、帰したくなくて、抱きしめた。

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