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 熱砂の檻 終章・出発点



 花園は静寂に包まれていた。
 衣装の裾を花弁のように広げ、それぞれの瞳に虚ろを宿して、女たちが永遠の眠りに就いている。彼女たちからこんこんと湧き出る命の水が、磨き抜かれた大理石を赤く染め始めていた。
 死の臭気を覆い隠すは香のあまやかな薫り。金銀の糸で裾の縫い取られた絹綾がその主人ごと中庭を望む欄干にぶら下がり、あたかも舞台の幕のよう。
 横倒しになった燭台が、月光を受けて鈍色に輝いていた。
 静かだった。動くものはいなかった。生き残った者たちは壁際で息を殺して惨劇の観客となっていた。
 それでいい。邪魔をする者だけが屍となる。
 甘い香りが強く漂う突き当たり。部屋の明かりが戸布越しに漏れて廊下の壁に光の襞を描いていた。
 彼は立ち止まった。
 厚く護謨を張った靴底が踏みつけた血に滑ってかぼそく鳴る。絹地の戸を押し上げる。部屋の主が寝台の上で振り返る。
 彼は微笑みかけた。
 己の花嫁に。
「迎えに来たよ」


***


 扉に付けられた鐘鈴が、カラコロと軽やかな響かせ、ロゼアを送り出した。
 スターチスの鉢植えが両脇に並ぶ階段を下りて通りに立つ。煉瓦造りの外観を振り返ってしばらく眺め、ロゼアは大通りからほど近い立地の集合住宅を後にした。
『……残念でしたね』
 歩き出したロゼアにシディが声を掛けてくる。
『……ソキさんのこと、何もわからなくて』
「父さんたちに手紙を出せばわかる。……こうなったらもう、遅いか早いかだけの話だと思う」
 砂漠を――屋敷を、出立してからひと月強。ロゼアは星降の王都に到着した。それだけの日数があればソキの今後は確実に把握されている。同僚から連絡が来ているはずと踏んで、屋敷の保有する集合住宅に足を運んだわけだが、結果はなしのつぶてだった。
(もしソキが嫁いでるなら、話はどの家にも行くはずだしな……)
 近々に嫁いだ、もしくは嫁ぐ予定の花嫁はいるか。
 ロゼアは留守居の者たちに尋ねたが、誰も何も聞いていないようだった。昨年末に嫁いだ花婿が最後だと彼らは口を揃えた。
 こうなればもう両親と連絡が取れるまで、ソキについては何もわからないだろう。
「……ありがとうな、シディ。わがまま聞いてもらって」
 もう夏至の当日だ。王都に到着した時点で学園の入口があるという王城へ向かうべきところを、寄り道させてもらったのだ。
 傍らを飛ぶシディが微笑んだ。
『確かにぎりぎりですけど遅刻じゃないですし。お城へ行く前にぶらぶら街を見て回る人も多いです。大丈夫ですよ』
「シディは会ったばかりのときと比べると、ずいぶんやわらかくなったよな。名前、早まったかな……」
『反省したんですよ。ただ規則を頭ごなしに言うだけじゃダメなんだなって。……ロゼアも後半は大人しく旅してくれたので助かりました』
 互いの当てこすりに笑いあった。
 初めは険悪に近かった仲も二か月も経てば打ち解ける。今となっては生まれたときから傍にいたような親近感すら覚えていた。なのにもう別れなければならない。
「シディに会いに行ってもいいんだっけ?」
『もちろんです。ボクも会いに行きますよ。……新入生の人は忙しくて会いに来られない場合が多いようですから』
 発言の後半の声音がやや沈んで響くことをロゼアは聞き逃さなかった。濃密な旅の間は誰もが離れがたく思っても、ひとたび別れると会いに行く者は少数派のようだ。
 自分も学園の生活に没入すれば忙しさにかまけてしまうのだろうか。
  会いに行けるのに ・・・・・・・・
 会いたいと思えば会える。それがどれほどの幸運かをロゼアは知っている。
 ソキにはおそらくもう会えないだろう。
 ――また会うのよ。
 メグミカはそう言ったけれども。
 道は別たれたのだ。
「俺は会いに行くよ」
 ロゼアが断言するとシディは相好を崩して翅を震わせた。
 色分けされた敷石によって、路面に描かれた星座をたどり、ロゼアたちは大通りに出た。王城の城門まで街を真っ直ぐに貫く道だ。人々の賑わいに混じる。大通り沿いには数多くの店舗が並んでいたが、商品は硝子の窓の向こうに展示されるばかりで、ロゼアの故郷で一般的な露店はどこにも見られない。覗いてみますかとシディに勧められることもあったが、ロゼアは首を横に振って先を急いだ。
 王城に近づくにつれて店が少なくなる。そして王城が間近に迫り、高い塀が道の左右を囲み始めた頃、数人分の影が見え始めた。
 シディが前方の人影を指差す。
『ロゼア、見てください! わざわざ陛下が……』
「来たああああああっ!!」
「待てコラ走るなって言ってるでしょうが陛下ぁあああぁ!!」
「あああぁあっ!?」
 びたん、と正面から前のめりに倒れた影を周囲の者たちが城門へずるずる引きずって行く。
 しばらく立ち止まっていたロゼアはそっとシディに視線を送った。
「……で? ……誰が星降の王陛下?」
『……あの……引きずられていった……御方です……』
 シディが片手で目元を覆ってうな垂れる。ロゼアはそっと微笑んで歩みを再開した。
「星降の王陛下とお見受けいたします」
 ロゼアは城門前の丸石敷きに這いつくばる男の前で足を止めて礼をとった。男の腕を捻りあげていたひと組の男女がぎょっとした様子で目を剥いたがロゼアは無視した。
「お初におめもじ賜ります、ロゼアです。あなたに入学許可証をいただき、妖精の彼とここまで参りました」
 シディを示唆しながらロゼアは慇懃に振る舞った。
 最後に何よりもまず先に口にしたかったことを問いかける。
「……で? 王様は何をなさっているんですか?」
 地面に腹ばいになったまま臣下と思しきふたりに足蹴にされている王の姿を見れば、誰だって追求したくなるはずだ。
 星降の国王は想像していたよりもずっと愉快な人物らしい。
 ずっとロゼアが来るのを待っていたんだよ待っていたんだよ良かった無事に着いてロゼアああああぁ、と笑っているのだか泣いているのだかわからないぐしゃぐしゃの顔で抱擁を迫り、後退するロゼアの眼前でお目付け役だという王宮魔術師のふたりに殴られていた。さぁ、陛下。約束ですから執務室に帰りますよ。そうですよ陛下、繋がれていない犬みたいに新入生に飛びつかないでください。
 王と臣下という関係からは、とても想像のつかない会話を繰り広げて、王たちは去っていった。
「……王で間違いない、ん、だよな?」
『間違っていません。いえ……とてもよい御方なんですよ? これからロゼアもわかっていくと思いますが』
「……わかりたくない気がするけど……」
『……とりあえず、参りましょうか!』
 もうひと息ですよ、とシディが促す。ロゼアは気を取り直して王城の内部へ足を踏み入れた。
 向かうべきは王城の中庭のひとつ。
『そこに、学園の扉があります』
 シディがロゼアに示す最後の道だった。
 王城を行き交う人々の多くはロゼアにまったく気を留めないか、新入生か、と妖精を見て笑う者のいずれかだった。後者は当然ながら魔術師だ。壁際に寄って道を開ける彼らに目礼や会釈を返しながら歩けば、件の中庭は城門から目と鼻の先に感じられた。
「ここ……が?」
 ロゼアは思わず訊き返した。
 シディが即答する。
『ここですよ』
 驚くのも無理はないですが、とシディは言った。
 中庭はあまりにも小さかったのだ。
 回廊に取り囲まれたそこは猫の額の如き狭さで、設計の手違いで余ってしまった空間に見える。それでも、目的地であることは明らかだった。
 三階の高さまで枝葉を広げた二本の樹木が、中庭の両端を陣取っている。おおい茂る葉と葉の隙間から篭れる陽が、地面にまだら模様を投げかけていた。
 そのちょうど中間に、一枚の扉が浮いていた。
 支柱はどこにも見られない。文字通り扉だけがくるぶしの高さで静止している。
 ロゼアは唖然となった。
「……どういう扉だよ、これ」
『魔術で離れた空間同士をつないだ特殊な扉です。くぐればわかりますよ』
 シディの話によれば、新入生へ入学許可証の発送される春先から夏至の間しか、その扉は稼働していないらしい。だからこそ新入生たちは扉が稼働し終わるまでに、この中庭に辿り着くことを求められるのだ。
 ロゼアは扉に歩み寄った。緑の天蓋をしばし見上げる。梢は風に身を揺すりながら心地よい音を響かせて、ロゼアを歓迎しているようだった。
 ロゼアはシディと向き直った。
「シディは、どこまで来てくれるんだ?」
『この扉をくぐったら、ボクはそこでお別れです。学園の人がいるはずですから案内に従ってください』
「そっか……」
 予想通りであったが、寂しさは拭えない。ロゼアは微笑みを繕った。
「今日までありがとう」
『いいえ。こちらこそ。いろいろありましたけれど……ロゼアと旅ができて良かったです』
「俺もだ」
『また会いましょう』
「うん」
 さて、とロゼアは扉を見上げた。ここでいつまでも立ち話しているわけにもいくまい。
 意を決し、その取っ手に指を掛ける。

 長くも短い日々はいつもあっけなく幕を閉じる。
 今回の旅路にしても。
 屋敷の、日々にしても。

 いずれ屋敷を離れることもあるだろうとは思っていた。
 しかしそれはあくまで仕事の一環としてだ。職を退く未来はもちろん、己の花嫁が嫁いだかすら定かではない状況に置かれるなど、想像したことは一度もない。
 ソキが花嫁として幸いのうちに嫁ぐか、あるいは死か。彼女と自分を別つものはそのふたつだけと思っていた。
 しかし現実にロゼアは彼女に別れを告げることすらできぬまま、新しい生活を始めようとしている。
「ここで待っていてください」
 通された場所は数ある談話室の一室だという。絨毯の敷かれた広い部屋だ。背の低い円卓が数脚。それらを挟むようにひとり掛けやふたり掛けのソファが配置されている。けれども席を埋める者はいなかった。談話室は無人だった。
「……新入生って、俺だけなのか?」
 ロゼアは案内の青年に問いかけた。そもそも新入生はおろか、百人近いらしい在校生すらほとんど姿を見ていない。
「あなたを含めて四人います。……また後でこちらに来るでしょう」
 棚には冷水と湯と茶葉がある。自由に飲んでもらってかまわない。青年はそう説明してからロゼアを残して談話室を去った。
 ロゼアはゆっくりと歩きながら改めて談話室を見回した。正面に設えられた暖炉は大きく、夏場の今は戸が下りている。光をたっぷり取り込む窓は等間隔に配置され、その反対側の壁には幅広のコルクボードが掛けられていた。低い位置に据え付けられた棚に遊戯盤が雑多に押し込まれているさまを見て、ロゼアはつい笑ってしまった。屋敷の寮を思い出したのだ。談話室と名のつく場所はどこも似たような有様らしい。過去の生活と新しいそれとの共通点をひとつ見出して、ロゼアは安堵に息を吐き、手近なソファに腰を下ろした。
 談話室の窓からは木々の姿がよく見えた。風に揺れる梢を何となしに眺める。森の中に潜むように建てられた学園の敷地は、気を抜けば容易く迷いそうなほど広大だった。
 学園は中間区、という異次元に存在している。
 扉を抜けないかぎりは学園からは出られない。つまりたとえソキから喚ばれたとしても、迎えに行くことはこれまでよりはるかに難しくなってしまったのだ――その必要はもうないだろうけれど。
 星降の王都の〈安息の家〉にソキが嫁いだという報せは来ていなかった。逆に不幸があっても知っていなければおかしい。ならば彼女は無事に屋敷へ戻ることができたのだろう。
 どちらにせよ学園での生活が落ちついて両親たちと連絡をとればすべては明らかになる。
 ソファに身を沈めているうちに、ロゼアは瞼を重く感じ始めた。考えればソファでくつろぐなどずいぶん久しぶりだった。手元に口を当て、欠伸を噛み殺す。旅疲れの度が過ぎたのか、ここのところ眠っても、夢を見てばかりいるのだ。睡魔を自覚すると早かった。
 意識が沈む。


 きぃん……こぉん……。
 不思議な音がする。
 どこかで耳にしたことのある音。金属の触れ合う、うつくしい音。
 振り子の音。
 きぃん……こぉん……。
 ロゼアは瞼を押し上げた。果てない灰色の砂漠に立っている。たったひとり。
 ロゼアの周囲には樹木があった。幹の捩じれた闇色の樹。ロゼアを芯に綺麗な円を描くその数は十五。奇妙にも一本分だけ間を開けて等間隔に並んでいる。
 既視感に、目が眩む。
 ロゼアが足を動かせば、砂がきしりと鳴いた。よくよく見るとそれはやや黄みを帯びた白い砂礫だった。均一ではない大きさのせいで生まれた影が、砂丘を灰色に見せているのだろう。
 ロゼアは太陽を探して空を仰いだ。自身の影の長さから推測するに、太陽は中天近くに位置するはず。
 その太陽もまた砂と同じく白かった。
 空も、白かった。動きを止めている雲も同様に。すべては黒と灰と白とで構成されている。
 色彩の失せた世界。
 風すらも止まった広漠たる砂漠に、金属の音色だけが響いている。
 きぃん……こぉん……。
 どこからともなく。
 いったい。
 どこから。
 その場でくるりと一回転し、四方を確認したロゼアは、人の気配に息を詰めた。
 十六本目が収まると思しき樹と樹の間に、男が立っていた。
 年はロゼアより十は上。鍛え抜くことであらゆる無駄な肉を削ぎ落した、瞬発力と持久力を匂わせるしなやかな身体。その身体を灰墨色の衣服が包む。両手には黒革の手袋。足元は底の厚い黒靴。
 その男は景色に半ば同化しかけるように黒く、けれども樹々とは圧倒的に何かが異なっていた。
 黒は黒でも赤黒い。髪は真夜中に焚く炎の色。肌は焦げついた飴のよう。
 男は、色彩を有していた。
 ロゼア、そのものの――……。
 男が目を開いた。
 赤褐色の双眸が闇よりも昏い眼差しでロゼアを射た。ロゼアはよろめいた。距離を開けて対峙する男が、おびただしい血に濡れたその男が、他でもない自分であるとわかったからだった。
「メーシャは言った」
 と、男は言った。
「未来は覆せると。ナリアンも言った。皆で辿り着ける未来は必ずあるのだと。けれど……」
 男はため息を吐いた。男は明らかに疲弊していた。砂漠をあてどもなく往く旅人のように。
「……巻き戻された時は均衡点を探して振り子のように揺れ動いている。あるときは綺羅星のように破滅へひた走り。あるときはゆるやかな死を微睡みながら待つ……。俺たちはいまだに足踏みを繰り返して、均衡点を見つけられないでいる」
 数々の隠喩を含む言葉の連なりに理解が追いつかない。
 ロゼアは男に問うた。
「どういう、意味だ……?」
「覚えておいてほしい、ロゼア」
 きぃん……。
 遠くから澄んだ音が反響する。
「夢見たことを」
 こぉおおぉん……。
 音は繰り返される。
「俺たちの過ちを」
 ロゼアの意識にこの記憶を刷り込むように。
 男が泣き笑いに顔を歪め、ろぜあ、と同じ声で呼んだ。
「……手を放すな。何があっても。見えなくても聞こえなくても」
「……手、を……?」
「手を放すな。皆の手を。……ソキの手を」
「ソキは」
「お前を呼んでいる」
 ほら、と男はロゼアの背後を示した。
 方角は東。太陽が目覚める処。
 ――……ろぜあちゃん。
「呼んでいるよ、ロゼア。さぁ……」
 いかなくては。
 今度こそ。
 離れることがないように。


 転寝から目覚めたロゼアは、目元を手で覆って唸った。
 夢を見ていた気がする。けれども思い出せない。近頃はいつもこうなのだ。
 ふと気が付くと窓から影がロゼアの足元まで伸びていた。ずいぶんと長く舟をこいでいたらしい。
 談話室は無人のままだった。ロゼアの他に三人いるという新入生たちはまだ到着しないらしい。
 ロゼアはソファから立ち上がって軽く伸びをした。陽光に満ちた窓辺まで歩き、桟に手を掛けて外を見る。
 ようやっと誰かが、部屋の扉を叩いた。
「どうぞ?」
 扉を見つめながらロゼアは応答した。けれども遠慮がちに叩扉した当人が扉を開ける気配はなく、ロゼアは肩をすくめて庭に向き直った。
 視界の端で扉が開き、閉じる。
 ぱたん、と、音がする。
 声が聞こえた。
「……ろぜあちゃん?」
 響いた声は幻聴だろうか。
 喚ばれているとかつて感じたときよりも、うんと肉声に近かった。ロゼアは扉を見た。ひとりの少女が幾度も足をもつれさせ、半ば躓きかけながら、ロゼアの方へと歩いてくるところだった。
「ソキ?」
 絨毯に足を滑らせた少女が、反射的に一歩を踏み出したロゼアの腰に倒れ込んでくる。細腕に力を込めてロゼアを抱きしめ、少女が幾度も名を繰り返す。
「ろぜあちゃ、ろぜあちゃん、ろぜあちゃん、ロゼアちゃんっ……!」
 ふええ、と幼く泣く少女に、ロゼアは呆然となった。
 はたしてこれは己の妄想なのだろうか。
 なにせ魔術の世界の理は、扉一枚で離れた空間同士を繋げてしまえるのだ。自分の身のうちから出た魔力が幻覚を生み出していないとどうしていえよう。
 ロゼアは手さぐりで少女の髪に触れた。最上の絹糸もかくやという滑らかな髪に指を差し入れて梳き下ろす。少女が額をロゼアの腹に擦りつけた。
 感じる、確かなぬくもり。
 まぼろしではない。
 ソキだ。
 もう二度と会えないはずだった、己の、花嫁。
 はは、と引き攣った嗤いが漏れた。
「ソキだ。……ソキ……なんで……」
 どうして、ここにいるのか。
 屋敷が辞職した傍付きの元に花嫁を送り届けるとは思えない。それが何らかの事情で起こり得たとしても、魔術師でなければこの学園に立ち入りできぬはず。
 ロゼアはソキを見下ろした。砂金色の髪や白磁の肌は滑らかさこそ健在なれど、艶を失ってみえる。震える唇も皮が微かにめくれていた。少女のそういったささいな、けれども生々しい変化が、決して夢まぼろしの類ではないとロゼアに訴えかけていた。
 ロゼアの姿を映したうつくしい碧の瞳だけが記憶と寸分も変わらない。
 背伸びをしたソキの指先がロゼアの頬に触れる。
「ろぜあちゃん」
 ソキが呼んだ。
 遥か彼方からではなく。
 吐息かかるほど間近で。
「ロゼアちゃん、ロゼアちゃん。あのね、ソキね……」
「うん?」
 あのね、と、たどたどしく繰り返すソキに、ロゼアは微笑んで首をかしげた。彼女は唇を引き結んでしまった。
 ソキに話を促しかけたロゼアは、部屋の外に人の気配を感じた。
 在室の問いかけもなく唐突に扉が開かれる。ロゼアは反射的にソキの肩を引き寄せていた。
 現れた青年が扉の取っ手に手を掛けたまま立ちすくむ。
「……えっと?」
 目を丸めてロゼアとソキを見比べる青年はこざっぱりとした軽装で、在校生たちが揃って着ていた制服姿ではなかった。新入生であるらしい。
 青年はロゼアの腕の中に納まるソキを見て、あぁ、と笑った。
「その子が、最後の新入生? だよな?」
 知り合い? と言外に尋ねてくる青年にロゼアは訊き返した。
「……新入生?」
 青年が首肯する。
「うん。君と……」
 確証がないらしい。青年がやや語調を落としてロゼアの表情を窺う。そして否定されないことに安心した様子で説明を続けた。
「もうひとりと。その子の四人が、新入生だって聞いたけど」
「ソキが、新入生?」
 汝は魔術師であると妖精から宣告された――……。
「魔術師の……」
 そうか、とロゼアは呟いた。そうなんだ。そうか。ソキは。
 魔術師のたまごとして、確かにここにいるのか。
 ロゼアはその場に膝を付いてソキの頬を両手で包んだ。そのまま視線を重ねて笑う。
「ソキ」
 彼女のまなじりからぼろぼろと零れていく涙を指の腹で拭いながら、ロゼアは呼びかけた。
「いいよ。おいで」
 ロゼアはソキの腕が己の首に絡むまで待った。少女の重みが自分のそれと重なるときを待った。
 少女が再びロゼアの名を呼ぶ瞬間を待った。
 彼女を屋敷から送り出してから、ずっとずっと、待っていた。
「ろぜあちゃん」
 その呼びかけを合図にロゼアは少女を強く腕に抱いた。
 二度と放すまいという強さで。


 そう思っていたのだ。
 自分たちは、共にいるのだと。ふたりを別つものは死を除いてないのだと。
 ずっとそう思っていた。
 せっかくふたりで魔術師として目覚めたのに。花嫁と傍付きではなくなったのに。ずっとふたりでいられるはずだったのに。
 ソキをロゼアから奪った者は王たちだった。世界の理を定める五人の王。とりわけ砂漠の王。だから殺した。ソキを取り戻そうとするロゼアを邪魔する者はすべて殺した。殺しきった。
 そうしてロゼアは今、かつての親友たちから刃を向けられている。
 何かがすれ違った。どこかで選択を誤った。その結果がこの血塗られた未来だった。
 ロゼアは自分を殺すために駆けつけた友人ふたりに微笑んだ。
 彼らは同級生としてひとくくりに扱われ、最も多く共に過ごし、ロゼアが狂っていくさまを目撃し続けた。
 もしも、時間を巻き戻すことができるなら。
 まずは彼らとの絆を取り戻したい。助けを求めたい。
 そうして今度こそソキと共にずっとずっと暮らして。
 殺される自分の血潮で染めるのではなく、純白の花のレースで彩ってあげたかった。

 骨の砂漠の只中で。黒い木々に囚われながら彼は静かに目を伏せる。
 これから旅立つわたしへ。
 消え逝こうとするわたしより。
 どうか覚えておいてほしい。前に進めなかった私たちのことを。その姿をしかとは思いだせなくとも。
 そして今度こそ。
 皆で行こう。
 覆された運命のその先へ。

 ――……未来はいまだ、檻のなかにある。

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