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 嫁にほしい男

 学園の裏手に広がる深い森。その最奥に聳えたつ巨木の中でもっとも高い枝に佇みながら、ロゼアはぼんやり空を眺めつつ自問した。
(なんで俺……アイロン持ってこんなところに立ってるんだ……?)
 理由はわかっている。わかっているが、納得できない。
 どんより曇りなロゼアの気分とは裏腹に、天候はいっそ腹立たしいほど晴れやかだ。
 夏至も過ぎた空は水彩を刷いたかのように透き通って青く、かろやかに吹き渡る風は砂漠のそれと違って水気を含み、どこか甘い。こんな巨木に登ったことは初めてで、頂上近くに辿り着くまでに苦労させられたけれども、ここから見渡せる景色は気に入った。延々に続く濃い緑を目にすることはとにかく新鮮だったし、太陽に近いせいか光に満ち、風の動きがよく読める。与えられた自室や学園の作り自体に文句を言うつもりはない。けれど風の塊が常に砂をゆりうごかし、日干し煉瓦の平屋連なる、射すような光が無遠慮に照りつける街で生まれ育ったロゼアにとって、来たばかりの学園はどこか閉鎖的に感じられ、圧迫感を覚えていたのだ。
 またここに来ようと思う――願わくば、アイロン抜きで。
 ロゼアは再び自問する。
 本当に何故、自分はこんな場所に、アイロンを持って立っているのだろう。


 時は、数時間前までさかのぼる。


 ソキを彼女の自室まで送り届け、来た道を引き返そうとした瞬間、行く手をひと組の男女に阻まれた。
「どこへいくんだい? ロゼアくん」
 二人の内ひとり、ロゼアよりもいくつか年かさの青年が、測ったように見事な七三わけの前髪を、ふぁさぁっと掻き上げながら尋ねてくる。彼に並ぶ隣の少女は出力全開で首を縦に振っていた――首筋を傷めないのだろうか。
 この学園の先輩たちであることには違いないし、彼らから敵意といったものはまったく感じ取ることはできない。けれどロゼアは無性に彼らに背を向けて逃げ出したい気分に駆られた。
「俺の部屋ですけど……今日は授業がないって聞きましたし」
 毎週水曜日は休講です。
 座学を担当する教諭がロゼアを含む新入生四人に告げたのは、授業の終わり近く、うきうき、明日は娘とお出かけなんだっ、と自慢した後のことだ。とってつけたように、もののついでのように、明日は授業ないからね、と彼は言った。
 情報提示の順番を間違っているような気もするが、なにはともあれ、久々に時間が開くのだ。とりあえず伸ばし伸ばしにしていた掃除洗濯もろもろの家事を済ませよう。そう、昨日の夜に決めたのだ。
 だが二人は全くそこから退こうとせず、ちっちっちっちと人差し指を左右に振った。
「いけないなぁ、いけないよ」
「いけないですね、いけませんね」
「のんびりするつもりだね?」
「ゆっくりするつもりですね?」
「水曜日に授業がないのは、何のためだと思っているんだい?」
「水曜日に授業がないのは、暇とお友達になるためじゃないんですよ?」
「……じゃぁ、なんなんですか?」
 苛立ちを込めて結論を急かしたロゼアに、二人はきらりと目を輝かせて声を揃えた。
『説明しよう!』
「の、前にまず、ソキちゃんの部屋に行こうか、ロゼアくん」
「さぁさぁ、いますぐに引き返す!」
「……あの、説明してくれるんじゃなかったんですか?」
『あとで!』
 まったくもって、訳がわからない。
 二人にぐいぐい背中を押されながら、この学園に入学したのは、もしや間違いだったのではないだろうかと、ロゼアは早くも思い始めた。


「水曜日は――……部活動の日なのですっ!」
 説明部、と名乗った四人組――最初の二人に、ナリアンとメーシャをひきずってきた別の二人組が合流した――は、ソキの部屋の前で高らかに宣言した。
「部活動! それは笑いと涙の交錯する青春の一ページ!」
「部活動! それは仲間という名のとわに煌めく財宝の詰まった宝石箱!」
「部活動! それは恋と友情が模様を描く鮮やかなタペストリー!」
「水曜日! 初日! 今日という日は、あなたの部活動に最初の歴史を刻む、そう、記念日!!」
 ……四人の話を総合すると、毎週水曜日は部活動の日で、今日は入部先を選ぶ日らしい。
 ポーズを決めて悦にいる彼らに、ロゼアは挙手をして尋ねた。
「かならずどこかの部に入らないといけないんですか?」
 説明部のひとりが、もちろん、と頷く。
「水曜日は部活動のために授業がお休みなのよ? 大事なことだからもう一度言うわ。部、活、動、の、ため、に、授業がお休みなの。その意味、おわかり?」
「なるほど……」
「部活動は先輩たちと親交を深める絶好の機会! 入らなきゃソンよ! 人生の損失!」
「卒業生たちも昔所属していた部活を覗きに来たりするしねー。人脈築けるよ。いろんな部があるから今日はあちこち見学にいくといいよ」
『あの……』 
 今度はナリアンがそろりと挙手した。
『……好みの部がなかったら……?』
「おっとこならー!」
「じぶんでつくれー!」
「女の子だって作っていいのよ……」
 ちなみに新しい部を設立するためには、寮長と星降の国の王の許可が必要らしい。
『ちなみに我らが説明部も新入部員募集中です!!』
「ソキ、遠慮したいですよ……」
 どことなくげそりとした顔でソキが呻く。ロゼアたち三人も彼女に賛同して頷いた。
 さて、とメーシャが気を取り直した様子で笑顔を浮かべる。
「俺たちは色々見て回ってこようと思うんだけど……ロゼアはどうする? 一緒にくる?」
「いや」
 ロゼアはメーシャの誘いを辞退した。
「俺はとりあえずいったん部屋に戻る。とりあえず洗濯とか掃除とか、そういうの先にさっさと終わらせる。後で合流するよ」
 彼らに同行したいところだが、ちらかり放題の部屋を放置していくことが、なんとなく許せない。
 へぇ、とメーシャが驚きにか瞬いた。
「ロゼア、掃除とか洗濯とか得意なんだ?」
「ロゼアちゃんは何でもできますですよ」
 ロゼアの隣でソキが頬を紅潮させて自慢げに言う。
「ロゼアちゃんは、お料理もぉ、お片づけもぉ、なんでもできます」
『どうしてそんなに色々できるの……?』
「ソキの世話をしてたら出来るようになった。ソキ、ぐずると俺以外、誰も寄せ付けなくなるしなー」
『護衛だけじゃないんだね……』
「はい。アスルの綿が出てしまったところも、ロゼアちゃんが綺麗に縫ってくれました。シーツがしわしわになっちゃったときも、ロゼアちゃんが、ぴしって、しわひとつなく、アイロンをかけてくれます。気持ちいいんですよ」
『へー』
「聞き捨てならんな!」
『……え?』
 四人の会話に明後日の方向から声が割り込む。
 ロゼアたちは一斉にその闖入者を振り返った。
 精悍な顔立ちの青年だ。短く揃えたこげ茶色の髪に、凛々しい目鼻立ち。普通に見るだけなら、非常に秀麗な青年といえる。
 そう、普通に見るだけなら。
『……寮、長?』
 四人の呼びかけにはさまざまな意味が込められていた。あなたが片手で頬杖を突いている、その巨大なシーツの小山は何ですか。空いたもう片方の手は腰に、そのまま両足は前で交差させて。とても器用ですがそのポーズにはどんな意味が。なぜ無駄に目線を意識しているんですか。
 ひとまずロゼアは胸に湧いた疑問の中でも一番無難そうなものを寮長に投げかけた。
「なんでここに……?」
「それは俺がなぜ輝いているのかと尋ねることに等しいぞ、ロゼア」
 寮長はふっと笑って威張る様に胸を反らした。
「ロゼア! お前! 壁に取りついて登ったりは得意か!?」
「すっごく限定的な上にいきなりすぎる質問だな……苦手じゃないですけど?」
「だろうな! 筋肉を見ればわかる!」
 寮長は鼻を膨らませてさらにふんぞり返った後、ロゼアをびしりと指差した。
「そこでだ! ロゼア、お前に狂宴部の体験入部を許可する!」
『……きょうえんぶ?』
『説明しよう!』
 帰ったと思っていた四人組が、脇からにょきりと顔を出した。
 彼らいわく。
 狂宴部とは“過激”な速度や高さの中で華麗に離れ業を決める競技を行う部活動である。
 たとえば制限時間を決めて崖を登ってみる。あるいはとてつもない高所から飛び降り、空中でかがやいて仕方がないポーズを決めてみるとか。
 傍目には危険極まりなく、くだらなく、けれど当事者にとってはこの心臓破りな緊張感が超イケテル! という競技をとことん極めていくことを目標に定めた部。
「そこの部分はわかったけど……会話の流れおかしくないですか? さっきのアイロンって何? 何の関係が?」
「部活動の一環としてアイロンをかけるからにきまっているだろう」
 寮長が当然のような顔をして応じる。
 会話が繋がっていない。
 ロゼアは首をひねった。
「部活動の一環として……? 崖に登ったり、高いところから飛び降りたりするんじゃなく?」
「だから、それをしながらアイロンをかけるんだ」
「え?」
「うん?」
『え?』
 何かおかしなことを言っただろうかおれさま言いましたよあきらかに発言おかしいですよ、と無言のまま意思を交錯させる。
 ロゼアは天井を仰ぎながらぽりぽりぽりと頭を掻き、うーんと唸った後、学園の先達に太陽のごとき笑顔を向けた。
「つつしんで、遠慮します」
「ゆるさん」
「拒否権なしか!」
「部長の俺様が特別に許可してやってるんだぞ光栄に思え」
「あんたが部長の部活なんてますます嫌だっ!」
「俺様を倒してからそういう口をきくんだな!」
 どうすればいいのだ。殴ればいいのか。
 よっしまかせろ、と利き手で拳を作り、年功序列をかなぐり捨てて、殴る気まんまんだったロゼアに、誰かがそっとアイロンを持たせる。
「えっ?」
 驚きに瞬きながら手の中のアイロンを見つめるロゼアに寮長が言った。
「いざ、尋常に、勝負だ」


『ロゼアくん!』
 樹木の遥か下に集まる少年少女たちに呼ばれ、ロゼアは回想を終えた。
「ロゼア……!」
「ロゼアちゃん……!」
 ナリアンとメーシャ、そしてソキだ。誰が喧伝したのだろう。彼らのみならず、狂宴部以外の大勢が集まっている。
 ロゼアの立つ木の幹の中ほどにアイロンをかけるべきシーツは広げ設置されている。どれだけ高い位置からアイロンをかけられるか。またはどれだけきれいにアイロンがけできるか、を、競い合うことが部活動の一環らしい。
 まさしく、“狂宴部”である。
 ロゼアは盛大な溜息を吐くと、一歩、宙へと足を踏み出した。
 そのまま、転落する。
「ロゼアちゃあぁああああんっ!!」
 悲鳴じみた少女の声を聞きながら、ロゼアはまっさかさまに転落していった。
 雹が地を叩くが如く。
 雷が奔るが如く。
 それは一瞬のことだった。


 アイロンがけは、見事に成功した。


「意外にできるもんなんだなぁ……」
 あの高さから飛び降りながらアイロンがけ、というわけのわからない競技を初めてした割に、思いがけず上手くいってロゼアはなんだか自分を褒めたくなった。
「すごい……本当にかかってるなぁ」
 ぴしっと皺の伸ばされたシーツを眺めながら、メーシャが呆れとも感嘆ともつかぬ声を漏らす。
 その隣でソキが我ことのようにえへんと胸を反らした。
「ロゼアちゃんは、本当に、なんでもできるんですよ」
『……ご飯つくったりするのも?』
「んー? 俺の国の料理に限るけど」
 あと、基本的なものなら。
 メーシャがやたらと熱を込めてロゼアを見る。
「ロゼアはすごいな! お嫁さんに来てほしいぐらいだよ……!」
 彼はお嫁の意味をわかっているのだろうか。つっこむべきか、せざるべきか。
 メーシャの背後では寮長がやたら無駄に美しい苦悩のポーズをとっていた。
「おおおお、おれの記録がっ……っ! 俺のすばらしい記録が更新されてしまったぁああぁああっ!!」
「それじゃぁ俺は帰ります」
 ソキを抱きかかえ踵を返しざま、これで文句はないだろうと声を掛けたことが悪かった。
 がばっと顔を上げた寮長がロゼアをびしりと指差し叫ぶ。
「ばかやろう! お前は部員決定だ!」
「なんで!?」
「いつかお前を倒す日まで、俺はお前を逃がさない!」
「やだよっ!」
「あ、おいこら逃げるんじゃない!」


 どうやらロゼアは寮長の保持していた最高記録を更新してしまったらしい。
 真面目にするんじゃなかった、と後悔してもあとの祭り。
 ロゼアのもとに狂宴部の入部認可証の写しが届けられたのは、その場を引き上げてのちに他の部活を見学している最中のことである。

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