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 熱砂の記憶 12

「さっばくのはての、オアシスで。ひつじを見つけた羊飼い。ひつじを強く、抱きしめた。ひつじ、ひつじっ、わたしのひつじ」
 のびやかで透明なうつくしい声が絶え間なく歌を紡ぎ出す。耳にした者は例外なく足を止め、陶然と目を細めて見つめる。窓辺に設えられた椅子に腰かける歌姫を。国に幸いをもたらす、砂漠の花嫁を。
「ひつじは思わず泣き出した。あなた。あなた。いとしいあなた。わたしのさいわい。わたしのしあわせ」
 あなたが私を迎えにくるなんて。
 わたしを求めてくるなんて。
 こんなに幸せなことはない。
「……初めて聞く歌だな」
 歌が途切れるまで待って、王は壁から背を放した。花嫁が息を呑んで振り返る。彼女は侍女の手を借りて立ち上がると優雅に一礼した。身体の線に添う純白とも白銀ともつかない上質の絹がさらりと揺れる。彼女の銀の髪を覆うヴェールは幾重も重なったレースで縁取りされていた。そのほっそりとした身体の完璧さよ。幾度か花嫁を見送った王ですら感嘆の吐息が漏れる。王よ、と、跪いたままの花嫁は言った。ご足労、感謝いたします。
「……ずっと歌っていたみたいだが、童謡か? それは」
「いいえ。これはわたくしたちの唄ですわ、陛下」
 胸に手を当てて、花嫁が苦笑する。
「わたくしたちの、愚かな願いの唄です」


 年が明けて三日を過ぎたばかりの休憩室は、祝いの浮ついた空気に包まれていた。訓練と授業が休みの数少ない時期ということもあって、年少の者たちがよく姿を見せている。
 ソキの事情を知らされていない年代の少年少女たちの賑わいを視界の端に入れつつ、ロゼアは長テーブルの壁際の席でシフィアと向かい合っていた。話題はもちろん、ソキについてだ。
 しばらく姿を見せないソキを案じたシフィアが仔細をロゼアに尋ねてくる。
「お体、すぐれないの?」
 シフィアの問いに、ロゼアは首肯した。
 二年前の事件の現場でロゼアが倒れたその日から、ソキもまた唐突に体調を崩して寝込んでいた。
 あの日、王との面談が終わった帰り道、ソキは急に悲鳴を上げてその場に悶倒したのだという。それから彼女の具合はいまひとつすぐれぬままだった。彼女を案じたメーシャが年末まで滞在を引き伸ばしたほどだ。年を越しても渇いた咳を繰り返す。屋敷にもなかなか足を運べていなかった。
「今日はおいでになっていらっしゃるのよね? ……大丈夫なの?」
「どうにか。それに今日は何か城で行事があるらしくて、騒がしいから屋敷に行けっていわれたんです」
「年始だものね……ばたばたするのかな。……あとでご挨拶に伺ってもいい?」
「もちろんです。下手をするともう会えないかもしれないですし」
 ロゼア自身は屋敷にぎりぎりまで顔を出す予定だが、ソキは体調次第でもうこちらに来られないだろう。
 シフィアがミントティーに口を付けて、そうだねぇと頷いた。
「いったん区画に詰めちゃうとなかなか出て来られないし……そういえばリグ君もずっと顔を見てないなぁ」
「ずっとミルゼ様のところですよね……」
 あらかたの人間には挨拶して回った。しかしリグとだけは初日を除いて顔を合わせていなかった。傍付きが花嫁花婿の区画に籠って姿を見ないことはざらにある。半月、下手をするとひと月以上も。
 だがロゼアも屋敷に長く留まっていられない身だ。出来ることならば彼とはもう少し話がしたかった。
「わたしもこれから一週間ぐらいは詰めると思うの。明日からハヤがお休みに入るし」
「あぁ、そうなんですか?」
「うん。だから今のうちに訊いておきたいんだけどね。ロゼアくんにお手紙出すにはどうしたらいいかなぁ……?」
「俺に? 父さんに預けてもらえれば」
「そうじゃないよ」
 シフィアが苦笑する。
「外に出たときに、だよ」
 ロゼアはカップを持ち上げる手を止めて、ひた、とシフィアを見た。
 彼女はにこにこと笑っている。
 新芽を連想させる明るい緑の瞳を細めて。
 その奥に確固たる決意の光を宿して。
 初日に、彼女は言った。
 ウィッシュの死を、彼女の花婿の死を、否定するために。
 もしくはその死を、自分に納得させるために――屋敷を出るつもりだと。
 テーブルに置いたカップの水面を見つめてロゼアは呟いた。
「……方法を訊いて、また、お伝えします」
 うん、とシフィアは嬉しそうに笑う。
「待ってる……ね?」
 言葉途中で背後を振り返ったシフィアを訝しみ、ロゼアもその肩越しに戸口へ目を向けた。雑談に笑いさざめいていた部屋が、いつの間にか静粛な雰囲気に包まれていた。
 頬を上気させた年少の者たちが戸口に集まって廊下を覗き込んでいる。その向こうから輪唱のように響く祝いの言葉が近づいてくる。
 この雰囲気を、ロゼアもツフィアも、知っている。
 ロゼアが席を立ったとほぼ同時に大きく鐘が鳴った。カラーン。カラーン。カラーン。屋敷の大鐘楼に取り付けられた鐘の音だ。国中に響くかに思えるほどの大音である。それに呼応するように、街の礼拝堂でも鐘が打ち鳴らされ始める。


 カラーン。カラーン。カンコーン。カカーン。カラーン……。


 自分を送り出す鐘の音に、ミルゼは静かに目を伏せる。傍目からは眼前の王に祈りを捧げているようにも見えるだろう。
 花嫁と花婿はいつでも夢見ている。傍付きが自分たちを求めてくれる日を。決して訪れることのない日を、いつだって夢見ている。その夢を、願いを、自分たちは詩に潜ませて歌い継いできたのだ。
 わたくしの羊飼いはこの歌のようにわたくしを求めることはなかった。幸せになっておいでと、わたくしを送り出した。
 これまで私は幸せだった。けれど私の最大の幸せは、これから嫁ぐ先にあるのだろう。傍付きがそう言うのなら間違いはない。私は幸せになりに行く。そしてそれはこの渇いた国にも幸いをもたらす。
 繰り返し繰り返し、繰り返し、自らに言い聞かせてきたことを改めて胸中で唱え、ミルゼは息を細く吐いて王を見上げた。
 その髪色は夜の闇より濃く、瞳は夜明けを切り裂く斜光の黄金。その国の未来という責を負う者の眼差しに、砂漠の花嫁として頭を深く垂れる。
 王よ、とミルゼはわらった。
「あなたのためならば。あなたの国のためならば……」
 決意を口上しながら、異母妹を想った――ねぇ、ソキ。
 わたくしには無理だった。わたくしの最大の幸福を願ってくれているひとの期待を裏切るなんて。彼のこれまでの献身を裏切るなんて。愛を請い、永遠に傍にいることを、望むなんて。
 でも、あなたなら。
 ソキ、あなたなら。
 屋敷を出るミルゼに異母兄は言った。妹は花嫁として嫁いだのではない。魔術師になったのだと。彼女の傍付きと共に。
「あなたの治めるこの国の。わたくしの」
 いとしい、ひとがいきる。
「この国のためならば。……この日のため磨かれ慈しまれ愛された恩義を返すべく、わたくしは喜んでまだ見ぬ夫にこの身を捧げましょう」
 その代わりに。
 王よ、わたくしに、わたくしのあいする彼と、いもうとの幸いを願うことをお赦しください。


 鐘の音が残響ばかりとなった頃、ひとの群れが二手に分かれて、ひとりの傍付きが姿を見せた。
「リグ……」
 帰省の初日から姿を見ていなかった親友は正装に身を包んでいた。
 花嫁あるいは花婿を送りだした傍付きに贈られるそれは軽い質感の白の上下。幅広の帯は湖水めいた深い碧地に銀で花の刺繍を施したもの。腰には彼が最も得手とする剣を佩いている。
 もしも、ロゼアが魔術師となっていなければ。
 ソキを花嫁としてどこかへ嫁がせた暁には、より明るめの碧地に金糸で花を刺繍した帯を締めることになっていた。
 リグが休憩室の入口で立ち止まり、ロゼアを見て微笑んだ。
「……ミルゼの嫁ぎ先が決まった」
 ロゼアはわかっていると頷いた。
 鐘は花嫁や花婿が嫁ぐ折に鳴らされる。砂漠の乾いた風が鐘の音を遠くまで運び、砂漠の輝石が幸せに嫁ぐことを民人に知らしめる。
 真っ直ぐに歩み寄ってきたリグがロゼアの前で立ち止まる。彼はロゼアの短剣を一瞥して請うた。
「ロゼア、お前に祝福してほしい」
 ロゼアは困惑に息を呑んだ。
「俺はもう屋敷を辞めた人間だぞ?」
 リグが何を言っているんだとばかりに呆れ目を寄越す。
「は? 辞めてないだろ? 辞めてたら佩剣して屋敷に入れないだろうが」
「う、え?」
 ロゼアは思わずシフィアを見た。不思議そうに瞬いた彼女が囁く。
「ロゼアくん、外勤扱いになってるよ?」
 外部勤務者。つまり屋敷の外で働く人間として籍が残っているらしい。道理で初日に武器を預けなくていいと言われたはずだ。どうしてそうなった。魔術師は現職を辞することが原則と言われて辞表を確かに提出したはずなのに。
 ロゼア、とリグに呼ばれ、ロゼアは我に返った。
 彼が真剣な眼差しで懇願してくる。
「頼むよ」
「……俺でいいのか?」
「そう言ってるだろ。……どーせお前だって、ソキ様のときに俺に頼もうと思ってたんだろ?」
 ロゼアは苦笑せざるを得なかった。リグの言う通りだった。本来であれば年齢からいってミルゼが先に嫁ぐことはほぼ確実だったのだから。
 ロゼアは短剣を腰から鞘ごと引き抜いて、肩の高さで地面と水平になるよう構えた。その場にいた傍付きたちもまた一斉に立ち上がり、剣帯から外した己の得物をロゼアと同じように構えた。無論、シフィアも。ただ職種の異なる者たちや候補たち、訓練生たちは、背筋を正して瞑目するに留まっていた。
 ロゼアは剣を鞘から半分ばかりゆっくりと抜いた。学園の武器庫で手にした短剣だ。その柄尻で紫の石がほの輝いている。幸いの番と自ら名乗ったこの短剣も祝福してくれるといい。
 リグは瞼を閉じて祝辞を待っている。
 ロゼアは息を吸いこんだ。
「砂に宿りし恒久の光よ」
 これは、祈りの言葉。
 無事に己の砂漠の貴石を送り出した傍付きが、今まさに送り出さんとする者に捧げる祝詞。
「渇きの土地に恵みと倖いを与える、傍付きリグルーシュの花嫁に、我らの感謝と祈りをたずさえ、とこしえに寄り添い給え。……リグルーシュの心と共に」
 傍付きたちが一斉に刃を鞘に収めて鍔を鳴らす。
 きん、と、澄んだ金属音が反響し、リグがゆっくり瞼を上げた。
「ありがとう」
 彼はオニキスの目を細めると脈打つ心臓の上に手を添えて静かに微笑んだ。
「これでミルゼは倖せになる。……ロゼア。お前の花嫁と、同じように」



 ごう、と風が吹いて、地表の砂を巻き上げる。
 金の細かな粒子が宙を舞い、冬の太陽の下で白く煌めく。
 ひかりが絶えず降り注ぐ街は粛とした雰囲気で沈黙している。
 花嫁花婿が嫁ぐときの街は驚くほど厳かだ。皆、砂漠に恵みをもたらす砂漠の貴石に感謝を唱えているのだろうか。それとも幸せを祈ってくれているのだろうか。もしくはその両方だろうか。
 リグが屋敷で最も高い位置にある大鐘楼から王都を見降ろしたとき、鐘は激しく打ち鳴らされたことが嘘のように沈黙していた。冷えた鐘の表面を撫でて鐘楼の縁に立った。柵も何もない。五階分の高さは目も眩むほどだが、床石は摩耗してすり減っていた。それは幾人もの人間がそこに立ったことを暗示していた。
 リグは祝いの花束を右手に提げたまま、地平に消える駱駝の群れを見ていた。うつくしい衣装を王に披露した花嫁や花婿は必ず日の沈む方角へ進路をとる。そしてどこかのオアシスで衣装と駱駝を変え、改めて嫁ぎ先へと発つのだ。傍付きが嫁ぎ先を割り出さないようにするための措置だった。
 そのようなことをせずとも、追いかけはしないのに。
 傍付きは心の一部を切り離し、己の貴石に預けてしまう。そうすることで傍付きは己の花嫁や花婿の幸福や死を悟ることができるという。
(よその人間には子供だましのまじないとしか思えないんだろうけどな)
 けれど傍付きたちは信じている。リグも信じていた。切り離して花嫁に付き添わせた己の心はきっと彼女を守るだろう。
 リグがミルゼにしてやれることはもうそれだけしか残っていなかった。花嫁は旅立った。傍付きの腕の中よりもさらに幸せになれる場所があると信じて旅立った。
 求められぬ身でどうして彼女を追いかけることができるだろう。
 そう、自分は、求められなかったのだ。
 リグは腰に佩いた剣を左手で引き抜いた。右に掴む花束の茎に剣の葉を押し当てる。
 鋭い刃を左右に動かせば茎は繊維を損なうことなくすぱりと切れた。その切り口を水に付ければ花は寿命が来るまでうつくしく咲き誇るに違いない。
 この屋敷において刃の形状を持つ得物は傍付きしか手にすることを許されない。
 その武器は証だ。傍付きの証。花嫁を、花婿を、至上の幸福へ導けるように整えられた者の証。彼女たちが、この世のどんなものをもしのぐ幸せが傍付きの下にあると確信し、傍付きを求めたとき。
 手折ってもよいという、証。
 刃は花を傷つけることなく摘むのを助ける。剣はそれを暗喩する武器だった。けれどミルゼはリグを求めなかった。だから。
 うつくしい花々がばらばらと散って落下していく。
 その狭間に王城へ続く通りが見えた。
 人気のない石畳の上を一台の馬車がゆっくりとした速度で進んでいく。通常では信じられぬほど緩慢な動きだ。けれどその理由もリグにはわかっていた。
 あの馬車の中にはソキとロゼアがいる。
 リグは右手に残った最後の一本を掲げた。手の中でくるりと回してもてあそぶ。白い花が笑うように瑞々しい花弁を震わせる。その花弁を指で撫でる。しっとりと質感に愛しさを覚える。
『だいすきよ、リグ』
(どうかしあわせに、ミルゼ)
 自分はその様を傍で見守れない。
(けど、ロゼア)
 花を空に投げ入れる。軽い花弁が空に舞う。ひらひらと雪のように降り注ぐ。
(お前は俺と別を往くんだ)
 これまでリグとロゼアはずっと苦しみも悲しみも喜びも共有してきた。最も気の置けない朋友。血の繋がりよりも濃い兄弟。これからもそうあるだろう。
 だが道だけは別のものを往く。花嫁を無事に嫁がせたリグは砂漠の貴石と呼ばれるうつくしい彼女たちの為に屋敷で働き続け、そして。
 ロゼアは。
 ロゼアと屋敷の繋がりは残される。彼の帰るべき家がここだから。ここの者たちが家族だから。
 けれども、それだけだ。
 彼は魔術師になった。彼女の花嫁も魔術師だ。だから。
 こうやって見送る必要はない。
「お前は……その手を放すなよ」
 風に運ばれた花々はもうどこにも見えなかった。





 こん、と白い花が窓の硝子を叩く様を視界の端に認めてロゼアは顔を上げた。しかしすでに花の姿はどこにもなかった。
 ロゼアはソキを抱き直した。彼女はロゼアに身体をくたりと預けて目を閉じている。そのあわい金の髪に繰り返し指を梳き入れ、背を撫でさすりながらロゼアは街を見た。硝子越しに流れゆく街並みを朝に眺めたときには新年の祝いに活気づいていたはずなのに今は厳粛な空気に満ちている。
 ロゼアは息を吐き、徐々に近づく王城の尖塔から脇に置かれた布包みへと視線を移した。屋敷を出る挨拶に立ち寄った執務室でラギから渡されたものである。
 皮ひもで厳重に縛られたその中身はロゼアがかつて携帯していた武器だった。辞表と共に返却していたものだ。
『王にはあなたの籍を残しておく利点を十二分に説明申し上げました。復職させてよいとの許可もいただいております』
 どうぞ、と渡された包みを受け取りながらロゼアはぬるい目になったものだ。王陛下はお優しい、と、ラギは麗しいほどの笑みを浮かべていたが、色々な力技を使ったに違いないとロゼアは密かに思っていた。次期当主の傍付きであるこの男は目的の為ならば全くもって手段を択ばない。
 結果としてロゼアの籍は屋敷に残ることとなった。ただ義務や職務などは魔術師のとしてのものが最優先となる。ロゼアの籍が残されたのはひとえにソキの存在があるからだろう。彼女は花嫁ではなくなった。しかし身体の脆さは変わらない。屋敷には彼女の体調その他を支援する体勢が整っているし、そこにロゼアが介入できないとなれば不都合極まりない。
 周囲の思惑はどうであれ、ソキが傍にいるのなら魔術師と傍付き、どちらであろうが大差はない。
 この長期休暇中にそう思い知った。傍付きは屋敷によって管理される。魔術師は王によって管理される。外から見れば限りない理不尽であっても自分には嘆く権利がない。
 それでもたったひとつだけ。
 決定的に異なることがある。
「ロゼアちゃん……」
「ん?」
 ロゼアは呼びかけに窓から視線を外した。ロゼアの膝に頬を付けるソキは、遠い何かを思い起こそうとするように、きゅう、と目を細め、唇にあわい微笑を載せた。
「……馬車に乗っていて、楽しかったの、ソキ、初めてでした」
 花嫁だったソキは馬車にひとりで乗っていた。自身を、少しでも高値で買ってくれる家を求めるために。幾度も。幾度も。かつて馬車に乗りたくないと泣き叫んでいたソキは、この帰省中、馬車の窓から外を眺めながらずっとはしゃいでいた。ロゼアに抱かれて丸くなる今も馬車の揺れに嫌悪を見せてはいない。
「……いまも、くるしく、ないですよ……」
「……そっか」
「……ミルゼお姉さまも、くるしく、ないといいです……」
 この姉妹は、厭いあっているのだと、思っていた。
 けれどそうではなかったのかもしれない。少し腫れたソキの瞼を親指でさすって、ロゼアはうん、と頷いた。
「そうだな」
 ミルゼは嫁ぎ先へ向かっている頃だろう。リグの心を抱えて。その旅路が穏やかなものであればいい。辿り着いた先が、彼女にとって幸せに満ちた場所であるといい。
 それだけを願って、リグは、傍付きたちは、花嫁や花婿との別れを呑み込む。
 ロゼアもかつてはそうだった。
 そうなるはずだった。
「……ソキ」
 ソキの瞼が持ち上がり、ミルゼのものよりも幾何か明るい、一等星のように輝く、澄んだ碧の瞳がロゼアを見る。
 ロゼアはすこしばかり瞑目して、瞼の裏に、シフィアと、リグと、見知った傍付きたちの姿を描いた。
 目を見開き、膝の上に載せられたソキの手を取り上げ、その指を堅く握って、髪を梳いていた手を彼女の頬に触れさせる。
 彼女は、不思議そうに、ロゼアを見上げている。
 ロゼアは微笑み、囁いた。
 誓いのように。
「俺は――……ずっと傍にいるよ、ソキ」
 それが傍付きと魔術師の相違点。
 自分には願うことが許される。ソキの傍にい続けることが許される。
 赦されるのだ。
 ソキが目を見開いて、息を吸いこむ。しばし唇を戦慄かせた彼女は瞳を潤ませ、花ほころぶように笑った。
 彼女は、はい、と、言わなかった。

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