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 その夢を渡って行くことすら、ラティには難しいのだという。できそこないの夢属性、もっとも役に立たない占星術師。そう、呼ばれていたことを、フィオーレは知っている。そこでくじけず、性格を歪ませず、そうだ魔力がなくてなににもできないなら物理に頼ろう、という発想に目覚めた彼女のことを、フィオーレはひそかにものすごく尊敬しているし、すごいと思うのだが、前職合ってのことだろうな、とも思う。ラティは、魔術師として目覚めるのが比較的遅い方だった。妖精を視認したのは、十五の夏。ちょうど十五で成人とされるこの世界で、ラティはその以前から、星降の王宮で職についていた。王宮魔術師と対を成す、王の剣、王の盾。国王直属護衛騎士団のひとりに、彼女の名は連ねられていた。己の力に誇りがあっただろう少女は、できそこないと影で囁かれ、それでも折れずに前を向き続けた。できることを、探した。その強さを、フィオーレはこよなく尊敬する。ラティは、フィオーレが知る誰より、『強い』魔術師だった。今ではもう誰も、ラティを落ちこぼれとは呼ばない。
 認めさせるまでの長い数年間を、思い出してフィオーレは目を閉じる。彼女と一緒なら、納得ができた。学園在籍当時から、フィオーレは白魔法使いだった。魔術師たちの最高位称号。魔法使いの名を与えられ、呼ばれることに本人すら疑問を持たないくらいだった。だからこそ、力のつり合いは取れただろう。言葉魔術師。大戦争時代、時には切り札のひとつとして虐殺の引き金を引いた魔術師とでは、あまりにも違う。けれども、だからこそ、癒し手が必要だったのだろうか。分からなくて目を伏せるフィオーレに、砂漠の国の王は溜息をつき、髪をくしゃりとかき混ぜる。
「お前とアイツを同時にここへ呼んだのは俺だけど。それはお前が責任を感じることじゃない、白魔法使い」
「……でも」
「それに、お前らを一緒にって言ったのは正直な所、俺じゃない」
 誰ですか、と問うより早く、男の艶やかな声がなめらかにその名を告げた。魔術師たちには決して、呼称することを許されない星降の国王、その青年の名。幼馴染でもある他国の王の名を慣れ親しんだ風に舌にのせ、砂漠の王はやや呆れたように目を細めた。
「どうしても、と言われたんだ。だから、一緒に引き取った。……ああ、言っておくがな、フィオーレ。アイツがなんの事件を起こしていなくても、俺はアイツが言葉魔術師であるという、その事実のみで嫌いだから勘違いするなよ?」
「……そういう好き嫌いって良くないと思う」
 眉を寄せて控えめに告げる魔術師を、砂漠の王は鼻で笑った。諦めろ、と告げられる。
「好き嫌いとかいう問題を超越してて、生理的に無理なんだよ。この国の王家は……まあ、今、俺しかいないけど。この、俺に流れる血が、言葉魔術師という存在を拒否してんの。本能的な反射に近いな、たぶん。……若干、かすかーに、うっすら、ほんのすこしだけ、悪いと思わなくもないが。まあ、大戦争時代の後遺症みたいなもんだな。諦めろ。幸い、ウチの王家以外はそういうのないみたいだし」
 魔術師属性だけで反射的に拒否感起こすとか、他のヤツらが言ってた記憶とかないし、とややあいまいな言葉で続けながら、砂漠の王はうすく吐息を吐きだした。まあ、そのおかげでウチの国にだけヤツらに関する文献が残っている訳だけど。か細く零れた言葉をひろうことができずに、フィオーレはきゅぅと眉を寄せた。それになんでもないと微笑して、王はやや眠たげに目を擦る。
「……フィオーレ」
「はい」
「拗ねた声出すな。……ともかく、アレに関する事柄の一切にお前の責任はないし、それに対する罪悪感を持つことを俺は許可しない。ついでに、大変不本意だが、アレの生存は俺からの命令としてお前たちにも遵守させるのでそのつもりで」
 はぁい、とものすごく拗ねた声で返事をしたフィオーレに、砂漠の王は喉の奥を鳴らして上機嫌に笑った。戯れに伸ばされた手が、フィオーレの髪をくしゃくしゃと撫でて行く。
「明日は休日にしてやるから、ゆっくり休め。もう遅い。いつもなら寝てる時間だろう? ……そろそろ、ラティが飛んで来るぞ」
「……陛下は、今日は?」
「俺はもうすこし本読んでから寝る。……ああ、今日は特に愛妾のトコ行く予定はないぞ?」
 昨日行ったし、今週は多分もう行かない。めんどくさいし、と言いたげにまたあくびをした王は、これ以上、寝室にフィオーレが居ても居なくなってもどうでもいいのだろう。好きにしろ、と言わんばかり興味を失った横顔で読書に戻られるのに、フィオーレはようやく床から立ち上がった。
「はやくお世継ぎ作りなよ、陛下。なんでそんな一人寝好きなの」
「だって女ってちょっと優しくするとすぐ俺のこと好きになるんだもん……」
「だもんじゃないよ陛下その発言はなんていうかものすごい勢いでなんか敵つくるよって俺言ってんじゃんっ?」
 眉をしかめ、本気で嫌そうにぼそりと吐きだす己の主君に、フィオーレは涙目で絶叫した。二人の間にあるのは先にあったような主君と魔術師のそれではなく、どちらかと言えば年齢の近い親しい友、あるいは血縁のような打ち解けて砕けた空気だったが、どちらもそれを気にすることがない。もーさあああ、と涙声で頭を抱えて首を振りながら、白魔法使いはだからどうして陛下はそうなの、と嘆き始める。
「陛下の後宮にいる女の子たちなんだから、好きになっちゃうのはしょうがないっていうか自然なことなんだってば……! そこは妥協して世継ぎの為に頑張って励もうねって、俺と約束したよね? したよね陛下っ……!」
「……だったら、俺の好みに当てはまる女を連れて来いよって、俺は前にも言わなかったか?」
 やだ、何回か通っただけで俺のこと好きになっちゃう女とか、と心から言う青年に、フィオーレはそんなこと言われても、と額に手を押し当てた。瞬間、ものすごく嫌な予感が背を駆け抜ける。思い出してしまった。あのさあ、とぎこちなく、問いかける。
「陛下。ソキに、さぁ……な、七年くらいしたら? 愛妾になりにおいでとか? 言ってなかった? それって、ソキが予知魔術師として自分の守り手と、殺し手を得なかった場合、自動的にうちの王宮魔術師になるって分かってて言ってたに決まってますよね陛下まじ陛下」
「お前……もうすこし落ち着いてもの話せよ……」
「心から憐れんだりする前にお願いだから俺の質問に応えて頂けますか……!」
 しくしくと痛みを発する胃を己の白魔術で回復させながら、フィオーレが主君そのひとに問いかける。王は特別なことなどなにもないという風に、いたって平然としてした。
「だって、よく考えろよ、フィオーレ?」
「……なにを?」
「ソキ、俺の好みの条件ぴったりだろ? ある程度俺のことが好きで、それでいて絶対俺のことを好きにならない。俺と恋愛する気をなにを間違えても起こさないで、跡継ぎを産むことを義務だとすればそれを受け入れる。……で、ほら、俺は十代に手をつける気はないからあと七年」
 分かったか、と言わんばかりにこやかに微笑んだ国王の前で、白魔法使いは床にくず折れる。よかった、本当にこの場にロゼアいなくてよかったなんていうかよかったっ、と泣き叫ぶようにして思い、がばっと顔をあげて絶叫する。
「陛下の好みが理解できない……っ! いいじゃんか王妃と恋愛すればーっ!」
「うるせぇよ。そういう性癖だとでも思って納得しろ。それに、恋愛しないだけで優しくしないとは言ってないし、愛せないとも言ってない。王宮の女も、それなりに好きだぞ? ただ、俺に恋されるとなんていうか対象外になるだけで」
 はやくソキ、無防備に学園卒業して俺の魔術師にならないかな、とろくでもないことをわりと本気の声でいう主君に、フィオーレは全力で少女の守護役と、殺害役が決まり、認められることを祈った。さもなければ少女の未来は、わりと具体的に決まっている。恐らく、本人の予想から結構ずれた形で。
「……ああ、でも」
 占星術師に聞いてなんかそういうおまじないためそう、と検討しているフィオーレに、忍び込むように響く王の声。
「ソキの、あれが……解消しない限りは、七年経っても抱きはしないかな」
「あれって? ……ロゼア?」
「いや、そうじゃなくて。……お前もその場に居たから覚えてると思うけど。二年前、ソキを保護した時に、性的なことされてないかの確認で聞いたことがあっただろ? 十一のこどもに、遠回しに母親になる為には男となにすればいいのか知ってる? とか聞かないといけないとかなんの苦行だよ、とか思ったんだけど……つーか別にあれ俺が聞かなくてもよくね? 王宮魔術師仕事しろよ」
 その、仕事の治療の場に現れて自主的に問いただしたのは目の前にいる国王そのひとであるのだが、フィオーレは慎ましく、その事実を忘れてやることにした。ハイ、ソーデスネ、ソノトオリデスネ、と頷きながら言葉を返し、記憶をゆっくりと辿って行く。その時、ソキがなんと答えたのか。思い出して、フィオーレは、あ、と言った。
「……なにするか知ってる? って聞いて、ソキ、確か」
「うん。アイツ、『はい。大丈夫です。ソキはちゃんと、そういう時、なにをされるか知っていますですよ』って言ったんだよ」
 だから、そういう意味ではなにもされていません。首は締められましたが、と続けられたことも同時に思い出して呻くフィオーレに、砂漠の王は深々と息を吐く。
「お前は、気がついてるか分からないけど。……受け答えとして、ちょっとおかしいだろ」
「……そう、ですか?」
「そうだよ。なにを『する』か知っているか、と聞いたんだ。俺は。……することを、知っているかと聞いたのに。ソキは、なにを『される』のか知ってるって言ったんだよ。悪いことに、知識としては完璧に保有した状態でな。……『花嫁』として育てられるとこうなるのか、と思った」
 だからそれが改善されるまでは、もし四年後に鳥籠の王宮魔術師になって、その三年後に愛妾にしたとしても可愛がるだけでなにもしない、と王は言った。ソキにとって、それは恐らく耐えるものなのだ。裏を返せば暴力と一緒であり、受け入れるべき義務なのだ。その歪みが改善されない限りはただ大事にするだけで触れない、と言いながら、砂漠の王はやや心配そうな眼差しで彼方を見つめる。
「つーか」
 本のしおりを取りあげたり、また挟んだりという意味のない行為を繰り返しなながら、首が傾げられた。
「学園でそれが改善するとも思えないけどな」
「えーっと。ほら、その……ロゼアが、いるし」
「ソキに恋愛感情を抱かない傍付きになにが出来るって?」
 ばぁか、と言いながら王の指先がしおりを挟み、ひらひらと振って遊んでいる。その動きをなんともなしに眺めながら、フィオーレは何回か瞬きをした。えっと、と口ごもりながら、ぎこちなく問いかける。
「ロゼアって……ソキのこと好きなんじゃなくて?」
「好きか嫌いかで言えば好きだろ。恋慕じゃないだけでな。……フィオーレ」
「ふえ?」
 あれ、えっと、そうだったっけ、と混乱するフィオーレは、唐突な王の呼びかけに間の抜けた声をあげる。お前もうちょっと主君の前で気を張れよ、と言わんばかりの慈悲深い笑みで、王はそっとしおりに口付け、ちらりと視線を扉へ投げた。
「時間切れだ」
「この私が! この国の王宮魔術師である限り!」
 派手な音を立てて扉が開かれる。静かに、と注意することを諦めた眼差しで眺める王の視線の先で、ラティが胸を張って言い切った。
「夜更かし、寝不足、不眠症は認めません! 陛下なんでまだ起きてるんですか! フィオーレも寝ろーっ!」
「俺まだ調べものの最中。フィオーレは連れて行って良い」
「フィオーレを寝かしつけたら次は陛下の番です。まったく、夜更かしして!」
 もう、と怒りながらずかずか寝室へ入ってきたラティは、フィオーレの腕を掴んで引っ張りながら怒っている。おやすみ、と笑いながら手を振って、王はごく素朴な疑問をラティに向かって投げかけた。
「魔力もつのか? フィオーレにも、俺にも魔法かけて眠らせるのは構わないが」
「大丈夫です。フィオーレの分は節約します」
 しゅっ、しゅっ、と片手を握りこぶしにして素振りをしながら告げるラティに、砂漠の施政者はやんわりとした笑みで頷いてやった。
「はやく寝ろよ、フィオーレ」
「あのさあラティ。それさ、絶対個人的な怒りとか恨みだろ……? だ、大丈夫だって! メーシャはちゃんと回復させてきたし、ラティの分も可愛がってきたから! 抱きあげてくるくるしてぎゅってしちゃった!」
 無言で笑みを深めたラティが、フィオーレをずるずると引っ張っていく。おやすみなさいと頭を下げられ、寝室の扉が閉められた。遠ざかっていく二人分の足音は騒がしく、フィオーレが一方的にメーシャの可愛らしさを語っている声が響いている。ぱぁんっ、と平手打ちの音が響き、ぎゃあぎゃあと言い争う二人の声が、静かだった夜の空気を震わせていく。白魔法使いの、明日の予定を休みにしてやってよかった、と王はしみじみと思った。心配することはないだろう。あの二人は、喧嘩するほど仲が良い、の好例なのだから。



 私だってメーシャに会いたかったんですよむしゃくしゃするから殴らせろ、ついでにフィオーレの意識も刈り取って夢の国へご招待っ、ときらっきらに輝く笑顔でラティに殴りかかられた白魔法使いは、その宣言通り、最後の記憶から六時間後に瞼を持ち上げた。眠っていたというよりも気絶していたに近い睡眠の仕方であるのだが、恐ろしいことに、すっきりとした目覚めである。十分に回復していた。夢属性の占星術師、ただし物理系、の本領をいかんなく発揮された結果に、フィオーレは寝台の上で釈然としない息を吐く。疲れが消えた目覚めは良いことなのだが、もやもやした気持ちが残るのは昨夜の主君との会話のせいだろう。
 言葉魔術師を殺すことは、叶わない。その結論だけが、重たく心に圧し掛かっていた。窓の外を見ると、空はすでに白み始めている。このまま起きてしまおうか、もう一度寝てしまおうか考えながら、フィオーレは枕を抱きよせて目を伏せた。目を閉じれば、瞼の奥によみがえるのは赤だった。悲鳴染みた、血のような、陽が暮れる瞬間の空の色。ああ、と息を吐き出し、フィオーレは微笑む。
「……そっか」
 告げるべき言葉を間違えていたことに、今更気がつく。いいよ、ではなかった。大丈夫でも、安心してでも、なかったのだ。
「止めてやらなきゃ、いけなかったのか」
 壊れたものを、なおすのではなくて。そうしない為にどうすればいいか、一緒に考えてやれば。きっとそれだけで、よかった。すこしだけ、笑う。彼は一度も、フィオーレを友とは呼ばなかった。フィオーレも、彼を友と呼ぶことはなく、そう思ったことも、きっとなかった。きっと、一番最初から、二人は互いにすこしずつ間違えていて。後戻りできない場所まで辿りついて、ようやくそれに、気がついたのだ。目を開いて、窓の外を眺める。朝の光が世界を染め上げるさまを、そのままずっと、見つめていた。



 壊れた鞘でも、欠けた石でも。
 零れた水でも、破れた紙でも。
 それを、嫌だと言ってくれたら、なおしたよ。


 枯れた森でも、朽ちた花でも。
 望んでくれたら、何度でも。
 何度でも、何度でも。
 絶対に、なおしてみせたよ。


 お前が。
 ただ、それを望んでくれたなら。

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