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 妖精たちと第六感

 目の前をふよんふよんと暢気に通り過ぎて行こうとするシディに手を伸ばし、妖精はその羽根を無造作に掴んで引っ張った。ぐきっ、と嫌な音がして声なき悲鳴が上がったが、妖精は眉を寄せて煩がり、さらに羽根をぐいぐいと引っ張る。痛い痛いと声があがるが、無視だ。なぜなら痛いのはシディであって、妖精ではない。なにするんですか今日はなんですか、と涙目で見つめてくるシディにふんと鼻を鳴らし、妖精はその愛らしいかんばせを難しげにゆがめた。
「嫌な予感がするの……きっとアンタのせいね。じゃなかったらロゼアのせいよそうに決まってるわ」
「リボンさんはロゼアになんの恨みがあるって言うんですか……」
 さりげなくさりげなく妖精に掴まれ引っ張られたままの羽根を取り戻ろうとしながら、シディがやや悲しげに告げる。妖精がロゼアに対してどういう想いを抱き、それがいかなる理由、過程によってそうなったのかということを、シディは昨夜一晩かけて怒られ罵られながら説明されたのだが。それにしても、それとこれとは別問題の筈である。問いかけるシディにそれはそれは嫌そうな顔つきになった妖精は、住まう花畑の中心から、『学園』のある方角へと視線を巡らせた。きゅぅ、と目を細めて吐き捨てる。
「ソキはアタシと一緒に居たのよ」
「……はぁ」
「それなのに、ソキ、一日の中でアタシを呼ぶよりロゼアの名前を言う回数の方が多かったの呪われないかしらあの男」
 流れる水のように本気の声で囁く妖精は、シディの羽根をぐいぐいと引っ張りながら言った。
「それはともかく」
「あのいい加減離してくれたり」
「しないわよ馬鹿なの? ……ああ、なんだか嫌な予感がする。やっぱり、ニーアに止められてもやっておくべきだったんじゃないかしら。いえ今からでも遅くないわよねこっそり呪ってくるべき……?」
 思案する妖精は手慰みにシディの羽根を引っ張ったり撫でたりしているので、取り戻すのはもう諦めるしかないのかも知れない。ぞわぞわする奇妙な感覚をやり過ごしながら、シディは思い悩む妖精の顔を覗きこみ、なるべく刺激しないようにそーっと問いかけてやった。あの、と声をかける。熟れた苺色をした瞳が、いぶかしげにシディを見る。
「……ニーアが止めた呪いというのは」
「そういえば新入生が全員、ソキより年上の男どもばかりだということを思い出したから? ソキになにがあるとも限らないし? とりあえず全員不能にしておけば安心かな、と思って?」
 挑戦的に語尾を跳ね上げて言い放つ妖精に、シディは無言でニーアに感謝した。男性型の妖精ならば全員が感謝したかも知れない。そんなシディの反応にふんと鼻を鳴らして面白くなさそうにして、妖精はしきりと首を傾げ、己の羽根をゆるりと動かした。
「ああ、もう。……ソキは一人で眠れたのかしら。というか、ちゃんと一人で寝たのかしら。ロゼアちゃん、ソキねえ、ロゼアちゃんと一緒に眠るんですよそうじゃなきゃヤですよ、とかわがまま言わなかったかしらいえ言ったに決まってるのよ絶対そうよだってソキだもの。男は狼なのよ気をつけなさい射程範囲内に入ったら一撃でやるつもりで叩きこみなさいと旅の間に教えておくべきだったわ……!」
 妖精の頭の中で、ソキが一人の青年にちまちまとまとわりついている。ロゼア、と文字の描かれた紙を顔にぺたりと張ったその青年は、足元をちょろちょろするソキを慣れた仕草でひょいと抱きあげ、そのまま寝室に消えて行った。よし、と妖精は座った目で頷く。
「事故に見せかけよう」
「ちょっと駄目ですからねっ!」
 至極本気であることが伝わったのだろう。血相を変えて止めてくるシディに、妖精は心の底から舌打ちをした。
「だって、嫌な予感がするのよ。分かる?」
「いえ分かりませんが……でも、止めますよ。呪ったり、事故に見せかけてあれこれしたりするのはいけません」
「……ああ、ソキ、本当に大丈夫なのかしら。あのこ、頭の中お花畑でほやほやしてるから、男の危なさというのが全く分かっていないのよ……! なにか変なことしていなければいいんだけど。たとえば、知り合ったばかりの同級生に、なにかもの貸してあげるですよ、とか言いだして、お部屋に届けるのが大変なのでソキのお部屋まで来てくださいね、とか無防備に招待して部屋の中に招き入れるとか! なんかそういう!」
 恐ろしいほどやたらに具体的な妖精の叫びに、シディは『学園』のある方向へ視線を流し、はあ、と気の無い返事をした。そんなに気になるなら見てくればいいとも思うのだが、シディには分かる。それを告げるのは、火に油を注ぎこむのとまるで同じ行為である、と。ちょっと聞いてるの、とぐいぐい羽根を引っ張られながら頷いていると、遠くからやや訝しげにルノンが飛んで来るのが見えた。



 これがねえ、アスルなんですよ、とメーシャに差し出されたのは、ふわふわもこもこのあひるのぬいぐるみだった。大きさは、ちょうどソキの両腕がきゅうきゅうと抱きしめてちょうどいいくらい。本物のあひるにしては大きすぎるのだが、可愛らしい形だから違和感がない。柔らかい綿が詰まった体はちいさな背もたれ、あるいは座布団にもできそうなくらいだったが、これは机や棚の上に置いて観賞したり、抱き締めて楽しむものなのだろう。押しつぶされて綿がかたよった形跡はなく、何度も洗われては清潔に保たれているようだった。
 ややくたびれた風でありながらも、レモン・イエローのふんわり毛並みは清潔に感じられた。思わず手を伸ばして触ってみると、とてつもなく気持ちいい。へえ、と目を見張るメーシャに、ソキはえへんっ、と胸をはる。
「アスルがいれば、ロゼアちゃんがいなくって寂しくのも、ちょっとなら我慢できるですよ」
 ソキねえ、アスルだけはどうしても連れて行きたくて、いっしょうけんめ、がんばったんですよぉ、と言う少女に、傍らでロゼアが苦笑している。
「でも、今はロゼアちゃんがいるから、メーシャくんがさびしいなら、ソキはアスルを貸してあげます。アスルねえ、ぎゅってして寝るとお花のにおいがしてとっても気持ちいいんですよ」
「そうなんだ? ……でも、俺が抱き締めるにはちょっとちいさいかな」
 やや残念そうに呟くメーシャに、ナリアンが問題はそこでいいのメーシャくん、と言わんばかりの視線を向ける。やはり声は響かなかった。だからこそ、ううん、と思い悩むメーシャとソキ、ロゼア、ナリアンが居るのは、朝食を取った食堂ではなく、寮の一室である。寮の四階。ソキの為に用意された部屋に、四人は集まっていた。部屋の扉は廊下に向かって全開にされていて、中の様子が全て見えるようになっている。通りすがる女子生徒が微笑ましそうに通り過ぎて行くのを感じながら、メーシャはもふもふとてのひらでぬいぐるみを堪能した。そうして唐突に、あ、と声をあげ、ふにゃりと笑う。
「……ルノンの、ほっぺた、こんな感じだ……」
 元気かなぁ、としんみりした声で、メーシャは呟く。



 なんかお前が元凶の気がしてきたむしゃくしゃするから殴らせろっ、と叫ばれながらアクロバティックな回し蹴りを顔面狙いで叩きこまれ、ルノンは間一髪、奇跡的にその攻撃を避けた。妖精の靴底が僅かに頬を掠めたが、それくらいのものである。いきなりなんだよ、と引きながら尋ねるルノンに、妖精は苛々とした様子で決まっているじゃない、と断言する。
「アンタのメーシャ? が、アタシのソキの半径十メートル以内に入った気がしたからよ」
「十メートルとか遠っ! というか、えっ、シディ? なにこれなんの話」
「あ、先輩! ルノンくん、シディくんも! おはようございますーっ!」
 みんなで集まってなにをしているんですか、とニーアが両手に花びらをいっぱいに抱えながら飛んで来る。それを見た妖精の瞳が、やんわりと微笑んだ。獲物が追加されたことを喜ぶ、獰猛な輝き。



 ぞわぁっと背筋を駆け抜けて行った嫌な予感に、ナリアンは思わずきょろきょろとあたりを見回した。寮長はいない。あ、違った、と胸を撫で下ろすナリアンに、ロゼアの腕の中からソキがきょとりと視線を向けてくる。先程まで一人で立っていた筈なのだが、ソキはロゼアに抱きあげられた姿勢のまま、共に寝台の端に腰かけていた。勉強机に備え付けられた椅子に腰かけて、メーシャはまだアスルを借りるかどうか、真剣に悩んでいる。ソキはロゼアの腕の中でもぞもぞ身動きをしたのち、ちょうどいい場所を見つけたのだろう。ふにゃんと体から力を抜いてもたれかかりつつ、ナリアンくん、と不思議そうに口を開いた。
「どうかしましたですか?」
『……なんか、危険が迫っているような……気が、したんだけど』
 もう一度、辺りをせわしなく見つめて。途中で、少女の部屋の中をそんなに見回してはいけない、ということに気が付いたナリアンが、そっと視線を伏せて恥ずかしげに意志をくゆらせる。
『寮長が、いないから……勘違いみたい』
「寮長がいると危険が迫ってくるんです?」
 ごく素直に問いかけたソキに、ナリアンは柔らかく微笑みを深めるだけで、それ以上は意志を響かせなかった。にこにこと笑いあうソキとナリアンに、廊下を行く女生徒が和んで通り過ぎかけ。数歩行ってから戻ってくると、ひょいと室内を覗きこんで、時間よ、と言う。
「新入生! そろそろ寮長との待ち合わせ時間じゃないの?」
「あ」
「遅れないように行きなさいね。遅れると、具体的になにがどう、とはとても形容しきれないし、説明もしてあげられない感じで、寮長が大変よ?」
 行こうすぐ行こう、と真顔で頷いたのがナリアンだった。メーシャは思い悩みながらもソキにアスルを手渡し、もうすこしだけ考えてもいいかな、と苦笑している。ソキはもちろんですよ、とアスルをぎゅっと抱き締めた後に枕の隣へ置き、ロゼアの首に腕を回して抱きついた。その背をそっと腕で支え、ロゼアがソキを抱いて立ち上がる。歩き出すと、ロゼアの首筋に顔を伏せながら、ソキがくすくす、と楽しげに笑った。ソキ、と呼ぶ声に顔をあげて、ソキはそっと、ロゼアに耳打ちする。
「あのね、あのね、ロゼアちゃん」
「ん?」
「ソキねえ、いま、リボンちゃんの目の高さですよ! リボンちゃん、いつもこれくらいの高さを飛んでいたです」
 リボンちゃんは、ツバメさんみたいに、それはそれはきれいに飛ぶんですよ。嬉しそうに報告してくるソキの髪をくしゃり、と撫でて。ロゼアはそっか、と頷いた。



 突然、近いっ、と叫んで羽根を引っ張られたシディの、ロゼア元気ですかところでボクはもうだめかもしれません、という辞世の句めいた呟きが妖精たちの花園に落とされるまで、残りあと五分と二十一秒。

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