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 言うの忘れれたけどアンタ予知魔術師そのもののついての勉強もしなさいよ。分からなかったらリトリアに手紙でもなんでも出して聞きなさい。いいこと分かってると思うけどアタシの言うことをないがしろにしたり、ウッカリ忘れたり、めんどくさがって後回しにしたりしてみなさい。呪うわよ。ロゼアを、と本気の目で妖精に告げられて、ソキはひとしきりロゼアちゃんは関係ないですリボンちゃんなんでそういうことするですかっ、と訴えたのだが、その主張が認められることはなかった。つべこべ言わずに調べればいいだけでしょうが、結果はアタシにも報告しなさいよ、さもなくば呪うわロゼアを、と再度繰り返されて、ソキは諦めることにした。旅の間ずっと一緒だったから、よく分かる。妖精はやると言えば、やる。ソキがロゼアちゃんを守ってみせるですよっ、と涙ぐみながら決意した翌日、朝。ソキは朝食後に図書館で、天井まで続く本棚を見上げていた。
 書棚には魔術師について書かれた本が納められているとの説明があり、その項目にはしっかりと予知魔術師の文字がある。黒魔術師、白魔術師、占星術師など、もっとも適性が多いとされている魔術師たちの研究所や、予知魔術師、言葉魔術師、召喚術師といった希少な型の本もあり、どれもソキには興味深いものだ。出来れば棚の一番上の端から、順番に読んで行きたいのだが、その書棚だけでも納められた冊数はあまりに膨大である。時間と、そしてソキにもたらされた妖精からの課題が、それを許してくれそうにはなかった。なんでリボンちゃん、ロゼアちゃんを呪いたがるですか、と首を傾げ傾げ、ソキは本棚の前で、まず背伸びをしてみた。片手を本棚にかけ、かかとを浮かせて体を持ち上げて、手を上へぐーっと伸ばす。予知魔術の本は、天井から数えて三段目に収められていた。ソキがあと一人半は必要な高さだ。当然、届かない。
 手をしおしおと下げながら、しまったロゼアちゃんと一緒に来ればよかったんですよ、と後悔しても時すでに遅く。時間的に、ロゼアはもう座学へ行ってしまっている頃だろう。朝食後に行われる一番早い時間帯の授業は、ソキも別のものを取っていたのだが、掲示板に張られていたのは休みのお知らせである。学園には授業をする為の専任講師と、その為に通ってくる王宮魔術師を本職とした兼任講師がおり、割合はだいたい半々となっている。王宮魔術師の最優先は、なににおいても主命であるからこそ仕方がない事態ではあるのだが、ソキは切実にその次の、昼前の授業がお休みにならないことを祈っていた。休みの告知は前日に行われるのが常といえ、緊急の告知が無いとも限らないので。
 図書館を管理しているのも、それに向いた能力を持ち、星降国王に選抜された魔術師たちである。八割が卒業生、残りの二割が細々とした雑用を片付ける生徒によってまかなわれているから、早朝の授業中の時間帯であれど、図書館は無人にはならない。当然、ソキを見守る視線もいくつかあったのだが、心配そうなそれは声をかけるに至らない。ソキの雰囲気が、ひとりでできるもんっ、と主張していたからだ。心配する視線はすなわち、その幼い頑張りを微笑ましく想うものであり、危険がないのかを危惧するものであり、可愛らしいと眺めるものでもあった。ソキの外見は、そもそもが観賞用に適している。ほんのすこし遠くから視線をやられることは、ソキにしても慣れた、特におかしいことでもない。見られているという事実は認識していても、気にすることでもなかった。他者に助けを求めることもしない。『宝石』がそうするのは『傍付き』のみである。
 ロゼアちゃん、と口の中で呟きかけながら、ソキは天井まで繋がってる移動式の脚立を見上げた。階段状の梯子になっているそれを、本のある箇所まで押して移動させ、登って行けば本が取れることは、分かっている。分かっているのだが、登ることもソキには大変なら、降りることも、ものすごく大変だった。ソキが欲しい本だけ、なんか落っこちてきたりしないですか、と名残惜しくその場で手を伸ばしてぴょいぴょい飛び跳ねた。そののち、ちらりと視線を上にして溜息をつくソキに、どこか慌てた、小走りの足音が聞こえる。息せき切ってやってくるそれに、ソキが振り向くのと、ハリアスが少女の前で立ち止まるのが同時だった。
 は、はぁっ、と肩を大きく上下させながら立ち止まり、ハリアスはぽかんとするソキに、まなじりをつり上げた。
「図書館で、飛び跳ねたりするのは、いけないわ」
「ハリアスちゃん、おはようございますです。ソキねえ、本が取りたかったんですよ?」
「はい、おはようございます。ソキちゃん。……ね、図書館で、飛び跳ねるのは、いけないわ」
 公共の場だし、いくら崩れないよう魔術がかけられていると言っても本が倒れてきたら危ないでしょう、と叱られて、ソキはふしぎな気持ちでハリアスを見つめ、ちょっと首を傾げて問いかけた。
「いけないですか?」
「いけません。……分かった?」
 図書館で、飛び跳ねるのは、いけない。別に遊んでいた訳ではなくて本を取りたかっただけなのだが、どうもそれも駄目だったらしきことをようやく理解して、ソキはこくん、と素直に頷いた。ハリアスがほっと胸を撫で下ろし、ソキが視線をやっていたあたりの本棚を仰ぎ見る。
「どの本が読みたかったの?」
「予知魔術師の本なんですよ」
「予知魔術師の、なんの本?」
 あの棚は全部予知魔術師に関連する本が納められていた筈だけど、と指差すハリアスの手の動きを視線でなぞり、ソキはきゅぅっと眉を寄せた。それは数メートルに渡る一列の、右端から左端全てを示していて、ソキが考えていたのよりずっと冊数が多いのである。適当に一冊か二冊、読むことができればそれでいいのだが。なんの本ですか、と考えながら、ソキは口を開いた。
「予知魔術師、そのものの……どういう魔術師なのか、書いてある、本です? ありますですか?」
「ある、と思うわ。確か、あった筈……ちょっと、ここで待っていてね」
 言うなりハリアスは梯子に手をかけ、慣れた仕草でするすると登って行った。目当てとする棚に手が届く高さで一度腰を下ろし、眉をしかめながら背表紙を睨みつけ、記憶を探っているのがソキから見る。ハリアスの、白くほっそりとした指先が本の背表紙に触れ、ゆっくりと一冊、引き出して行く。それを腰かけた膝の上に置き、ハリアスはこれと、と呟きながらもう一冊、ソキの為に追加した。膝の上に置いた本を片手で抱え上げ、ハリアスは登った時同様、するすると慣れた動きで下まで戻ってくると、トン、と靴音も軽やかに床を踏みしめた。
「はい、どうぞ。こっちの本は、予知魔術師に関しての研究書。こっちの本は、歴史的にみて、予知魔術師がどういう存在であったかが書かれた本。……これで、いい?」
「ハリアスちゃん、どういう本があるか分かるんですか?」
 ちょうだい、と両手を差し出してくるソキに仕方がなさそうに笑い、ハリアスは持っていた二冊を己の頭より高く掲げてしまった。手が届かないのでオロオロするソキの顔を覗き込み、ハリアスはゆっくり、言い聞かせるように再度問う。
「この本で、いい?」
「ハリアスちゃん。いじわるです。ソキねえ、いじわるいけないと思うですよ?」
「いじわるじゃありません。ソキちゃん、聞かれたことには答えなければいけないわ。できる?」
 ね、ちゃんと教えて、と囁かれ、ソキはきゅうぅ、と眉を寄せて唇を尖らせつつ、こくん、と頷いた。
「ソキねえ、その本でいいと思うですよ。……あ! 取ってきてくれて、ありがとうございましたです」
「はい。どういたしまして」
「ハリアスちゃん、梯子登るの上手です!」
 ようやく本を受け取りながら嬉しげに笑うソキに、ハリアスはすこしばかり照れた風にはにかんだ。
「図書委員だから。本の内容も、全部覚えている訳ではないけれど……ソキちゃんの役にたてて、よかった」
「ハリアスちゃん、委員会部なんです? メーシャくんと一緒?」
 不思議がるソキの手を引いて貸し出し手続きを行う一角へ連れていきながら、ハリアスはちいさく首を振って言葉を否定した。メーシャ、と名前が出た瞬間にややもの言いたげな色を灯した瞳は、けれどもすぐにソキが彼の青年と同じ日に入学したことを思い出したのだろう。言葉を飲みこんだ唇の動きに気がつかず、ハリアスちゃん、と名を呼ぶソキに、少女はためらいがちに言った。
「その部とは、また違うの……」
「そうなんです? ソキはねえ、茶会部なんですよ。ナリアンくんと一緒なんです。でもねえ、ロゼアちゃんは違う部活なんですよ。ロゼアちゃんはすごいんですよ! 昨日もおべんと作ってくれたんです。とってもおいしかったんですよ!」
 なぜか自慢げに言うソキに微笑ましく頷きながら、ハリアスは慣れた手つきでてきぱきと本の貸し出し手続きを済ませ、大事に読んでくださいね、と囁いた。はぁい、と頷くソキに、ハリアスはひっそりと声を潜めて問いかけた。
「ところで、その……ソキちゃんは、メーシャさん、とは……仲がいいの?」
「仲がいいの?」
 きょとんと目を瞬かせて、ソキはよく分からないです、と言いたげに首を傾げた。仲がいいっていうのは、どういうことなんです、と考えて、ソキはなんとなく背伸びをして、ハリアスの耳元でこっそりと告げた。
「メーシャくんはね」
「はい」
「ロゼアちゃん、とらないんですよ」
 分かりましたですか、と伺ってくるソキをじっと見つめ返し、ハリアスはなにかを考えているようだった。炎の色をした宝石色の瞳が、思考にふけている者特有の冷静さでソキの姿を眺め、やがてはっとしたように目が見張られる。
「……ソキちゃんは、もしかして……砂漠の」
「でもソキはもう結婚しませんよ」
 それを、あまりに嬉しそうに言うものだから、ハリアスは知らず、強張っていた体から力を抜いた。そうなの、と呟くと、そうなんですっ、と頷かれる。その腕には魔術師の本が抱かれていた。言葉を探してしばし、迷い、ハリアスはソキの目をじっと見つめて口を開く。頑張ってね、となにかを応援したい気持ちで、でもそれは違う気がして。ハリアスは手を伸ばして、息を吸い込む。
「……一緒に、がんばろうね」
 こくんっ、と嬉しそうに頷いたソキが、ハリアスの指先を、ぎゅっと握ってくる。ちいさな手は、温かく。意志を灯す人の熱を、持っていた。



 地平線の向こうに、太陽が沈もうとしている。目に強い光が入りすぎないように、硝子は魔術で調整されているのだが、額のあたりに片手をかざして目を眇め、ラティは暮れゆく砂漠の風景にこころから息を吐きだした。王宮から眺められる景色はこの国の砂と、都市と、緑をちょうど三等分に、余すところなく視界の中へ納めてくれる。強すぎる日差しからようやっと逃れることの出来る木の緑は、瑞々しく冷たい夜の風を受け、ようやく息を吹き返したようだった。梢が心地よく揺れる音と共に、水と緑の匂いが空気中のどこまでも染み渡るように広がって行く。天空に瞬き始めたのは気の早い星々だった。半透明の金と銀、赤や黄の光点が、まだ白く光に染め抜かれた空間にきらめき、夕刻の先触れとして喜んでいる。
 感度の高い占星術師であるなら、その星の声に魔力を揺らし、なにかを感じ取ったことだろう。あいにく、ラティは滅多に星の声など聞こえない為、それを見て感じるのは純粋な美しさと憧憬で、開かれた唇からは溜息が零れるばかりだった。空は夜の風に幕を連れてこられたかのように、彼方からだんだんと藍色に染まっていく。一日の、終わり。最後の光は炎のような燃える紅で、街を、木々を、空気を、全てを朱に染め上げて行く。朱と藍の混じり合った空は菫のような紫にけぶり、そこから息を吹き返したように、星々がその数を増やして行く。夜だ。夜が来る。暗闇といのちと、静寂の夜。砂漠の夜が来る。一日の恵みの終わり。明日へ続いて行く夜が、ようやく、またこの砂漠へ訪れようとしている。
 誰かに声をかけられたような仕草で振り返り、ラティは視線を外から、王宮内へ戻した。王の執務室の一角。開け放たれた窓の外に立つラティの視線は、まっすぐ、部屋の主の元へ向かう。きちんとした執務机は相変わらず物置きのように放置されていてた。立派な机のすぐ傍に、大小様々なクッションが敷き詰められている。砂漠の王はその中心に腰を下ろし、長旅の途中、泉でまどろむ渡り鳥のような、どこかへ行こうとするような視線で、ラティのことを眺めていた。視線が絡み、出会う。首を傾げて走り寄ろうとするラティに片手をひらりと振り、傍に来なくて良い、と告げた王は暇そうなあくびをひとつして、膝上に置いていた本を取りあげ、読書へ戻ってしまった。読書家の王は読む本がなければ辞書でも読むが、今はなにか物語でも嗜んでいるのだろう。遠目に見た本の表紙には見覚えがあり、ラティはその内容を思い出すべく、記憶を辿ろうとした。
 呼ぶ、声がした。ふ、と息を吸い込んでまばたきをしたのち、ラティは首を傾げ、唇に指先を押し当てる。魔術師としての彼女の判断が、空気が震える音はなかった、と告げていた。では魔術的な呼びかけであるのかと問われれば、それも違う、と答えることができただろう。具体的なことは可哀想だしなんていうか哀れな気持ちにもなるから現存する魔術師の中で一番魔力の量がないかもしれないとかそういう確定は避けておこうか、という理由のみで魔力の総量計測を、恐らく唯一逃れている程にアレなラティであっても、さすがに、声と『魔術』の違いくらいは分かるし、それを察することもできる。だが、そのどちらでもない、という気がした。空気が震えるのではなく、魔力が伝わって響くのではなく。
 それはもっと内側から、染みだすように広がった。夜のように、紙を染め行くインクのように。黒く。暗闇の訪れと共に瞬く星のように。目の届かないところにされた、署名のように。
「陛下ー! へいかへいかー! なになにー?」
 ばーんっ、と清々しいまでに無礼な音を立てて王の執務室の扉を開き、走り込んで来たのはフィオーレだった。なにってお前がなんだよ、とばかりうろんな目を向けてくる砂漠の王の前にしゃがみこみ、フィオーレはきょとん、と目を瞬かせる。
「へ? だって今呼ばなかった?」
「誰を、誰が?」
「陛下が? 俺を?」
 音を立てて本を閉じ、砂漠の王は麗しく笑みを浮かべてみせた。本の角がフィオーレの頭にめり込むように振り下ろされ、いたああぁあっ、と涙声が響く。ラティはややうんざりしたような、安心したような気持ちで王と白魔法使いの傍らに歩み寄り、お前さあ俺の読書の邪魔すんなって言ったよなそれともなんだ構って欲しかったなら最初からそう言えよほら頭だせ頭、と本を素振りしながらお説教している主君に対し、安全圏からものすごく控えめに声をかけた。
「陛下……本当に呼んだり、しませんでした?」
 お前もか、とうろんな目を向けた砂漠の王の視線はいったんラティを注視したのち、魔術師を通り過ぎ、その背後へ向けられた。窓の向こう。鮮やかなまでの朱はすでに鈍く消え去り、紫と藍の混色が這いずるように空を塗り替えようとしていた。夜になるな、と呟き、王の視線は再びラティを見る。睨むように、それでいて、無感動に。陛下、と声を出さずに呼んだ己の魔術師から視線を外し、男は痛みを無言で癒していた白魔法使いにも目を向けた。見つめる視線はなにかを探るようで、考えている者のそれだった。陛下、とフィオーレは声に出して主君を呼ぶ。それに頷くことで応えた王は、口唇をひらき、薄く息を吸い込んだ。
「俺の魔術師全員に、俺に呼ばれた気がしたかどうか、ちょっと聞いて確かめて来い。で、一時間後に報告持って来い。一時間後な」
「なんで一時間後なの、陛下」
「その一時間でこの本読み切るからに決まってんだろ? ああ、ラティはこの部屋にいろよ」
 お前は引き続き俺の護衛、と言い渡したのち、すぐ本を開いて文面に視線を落としてしまった王に、フィオーレとラティは目を見交わし、ねえなんだと思うこれ、俺にもよく分かんないごめんとりあえず言ってくるから一時間後にね、と意志を交わし合った。もー、陛下は時々分かんないことするー、と文句を言いながらも命令を忠実に実行すべく部屋から出て行ったフィオーレを見送り、ラティはそわそわと室内に視線を彷徨わせた。胸の奥が、ざわざわする。良くない予感だ。悪い、とはまだ言い切れない。けれど、良くはならない。そんな気がする。唇を噛むラティに視線を向けず、砂漠の王は魔術師の名を呼んだ。
「ラティ。……いいから、普通にしてろ。大丈夫だ」
 俺の言うことが聞けるだろう、と目を細めて笑う王の、瞳の色は金。光の色だった。夜に輝く星より強く、月よりも鋭い。砂漠の、巡る朝に地平線から世界を染め抜く、太陽の光の色だった。ほっと肩から力を抜き、ゆっくり息を吸い込んだ。
「はい、陛下」
 夜が来る。砂漠に夜が巡ってくる。夢に微睡むやさしい夜が。
「……大丈夫です」
 一時間後。戻ってきたフィオーレが王に告げた、『呼ばれた気がしていた魔術師』の数は、実に半数以上。でも別に呼んでないんですよね、と不思議がるフィオーレに、砂漠の王はうんざりとした様子で息を吐きだした。指示、あるいは言葉を待つ魔術師を通り過ぎ、王の視線が向けられた街並みはすでに暗闇に沈み。光はなく。彩なす色彩も、黒の中へと溶け消えた。



 ウイッシュが真剣なまなざしで見守る先、ソキの手の中で白い花が魔力に震えている。ん、んぅーっ、と一生懸命集中している声をもらしながら眉を寄せたソキは、そろそろと瞼を持ち上げ、すっと息を吸い込んだ。
「えい!」
 ぽんっ、と弾けるような、軽い音がした。優美な芳香をくゆらせながら、白い花が散る。その、がくだけが残った花の、ほんの数センチ、上の空間に。赤い翅の蝶が具現し、息をするようにゆったりと佇んでいた。いち、とソキが半泣きの声で数を数える。に、さん、とウィッシュはこころもち早口に、その数を増やして行った。目標は十秒。叶えられず散らした花の数は、もう二人とも数えたくない。四、五、六。二人は声を揃えて数えて行った。七、蝶の輪郭がぐにゃりと歪む。八、動かす翅が半透明に、さらに透き通って行く。九、いやなんですよっ、とむずがるような声でソキが数えて。
「じゅう……!」
 声を揃えた十秒目。ふたたび、ぽんっ、と音を立てて蝶が消え去り、ふわりとした風の名残が二人の頬をくすぐって行った。ぱちぱち、ぱちぱちせわしなくまばたきをして、ソキがそーっとウィッシュを伺う。予知魔術師の担当教員は感激した面持ちで一度頷き、それから息を吸い込んだ。
「十秒!」
「……です? ほんと? ほんとっ?」
「本当ー! わー! やったなソキ! やったー! 十秒おめでとう! 風だけだけど! まだ風だけだけどー! 先がちょう長いけどでもとりあえず一個はできるようになったなすごいすごいっ! 頑張ったー!」
 うわぁいおにいちゃん褒めてるのか水をさしてるのか分かんないですーっ、と舌ったらずな声できゃっきゃはしゃぎながら言うソキに、褒めてるよでも俺のことはちゃんと先生って呼んでな、と言い聞かせ、ウィッシュはきらきらの笑顔で何度も、何度も頷いた。はしゃぎすぎた二人が部屋の扉を開けられ、図書館ではお静かに、と怒られるのは、それから十数秒後のことである。

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