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 満ちた森を駆け抜けた朝風が、薄く開かれた窓から忍び込む。緑の匂いを食堂の天井近くへ巡らせる風にも、魔力のきらめきは薄く溶け込んでいた。『向こう側』の世界と呼ばれる学び舎のある場所が、魔術師たちの場所であるのには相応の理由があるのだ。陽光、水、風。大地。空気のことごとくに、薄く薄く希釈された魔力の欠片が忍び込んでいる。それは魔術師の成長や安定を助ける、一種の栄養素的な働きをしていた。未熟なたまごたちはこの場所で成長し、やがて産まれた世界へ戻っていく。
 養殖場のようだ、と妖精は思う。あるいは、古い御伽噺。森の迷い子を手招き、お菓子の家へ閉じ込める魔女の。『学園』は森の中の隙間に建物を押し込んだように存在しているから、そう間違っているとも思わなかった。まあ、率先して魔女を焼き殺しそうなのがわんさかいるから危ないこともないでしょうけど、と息を吐き、妖精は見上げる視線を水平にまで戻し、机の向こう、対面で座っているソキを見た。朝食の最中である。しかし、ちっとも進んでいるようには見えなかった。
 おなかいっぱいになったんですぅ、とごねるソキの手から小さな木の匙を取り上げ、ロゼアはうっとりと目を細めて微笑んだ。
「はい。じゃあリンゴ食べような」
「もおおおロゼアちゃんっ? リボンちゃんが来てるですううソキはもうおなかがいっぱいになったって言ってるですううリボンちゃんリボンちゃんりぼんちゃ」
「言っておきますけど。その状態でアタシのトコ来ても、場所を変えて食事させるだけよ?」
 ええぇえなんでですかぁっ、と悲痛な声をあげるソキに、なんでなんだか一番よく分かってるのはアンタでしょうよと息を吐き、妖精は机に肘を置いた。ひとと同じ大きさになれる、またとない日。数日の奇跡。早起きの気分そのままに、大きさを変えて着替えてすぐ『学園』に来たのは失敗だった。せめてソキの朝食が終わるまで、どこかで時間をつぶしておくべきだった。妖精が訪れた時、朝食をまだ半分も食べ終わっていなかったソキはきゃぁと歓声をあげ、きらきら輝く笑みでロゼアに向かって言い放ったのだ。ろぜあちゃんソキはおなかがいっぱいになりました。うんじゃあヨーグルト食べような、という返しは手馴れすぎていた。
 それから数えて、実に四回目のおなかがいっぱいになった、である。喜んでくれるのは嬉しいが、いいから食事を終わらせてからにしろ、と思う。慌てたりしなくとも、今日はずっと一緒にいてやるつもりなのだし、明日だってまだ同じ大きさでは存在していられるように感じていた。その年によっても異なるが、平均しても三日前後は、妖精はソキよりも身長が高くなるのである。告げればソキはこくこくと必死な様子で頷き、ロゼアに差し出されたリンゴをしっかと持った。
「じゃあ、じゃあ、リボンちゃん? 明日はソキとお買い物に行きましょう? あのね、リボンちゃんとね、ソキね、お服を見たりしたいですしおいしいものも食べたいですし、あっあとね、あっ、でもね、今日はぱてぃーでリボンちゃんのお服の刺繍がとってもよくできてソキ頑張ったですからあとで褒めてくださいですそれでねあのね、あのね」
「はいはい、分かったわよ。そうしましょうね。……アンタもしかしなくとも、よくよくアタシのこと好きね?」
「ソキ、リボンちゃんだぁいすきー! きゃぁああんっ!」
 妖精は勝ち誇った目でロゼアを見た。微笑みが返って来る。一々頭にくるヤツだと思いながら、妖精は息を吐いてロゼアから視線を反らした。聞きはしなかったしソキからも結果報告はなかったが、この分では、題して『ロゼアちゃんがしっとをしてソキのえすことをしたいだいさくせん』です、は失敗に終わったに違いない。だが、妖精は知っている。ソキの手を引く役を妖精に任せただけで、どうせこの男は傍にいるに違いないのだ。
「……ねえ、ソキ」
 うんざりした気持ちで、妖精は一応、確認しておくことにした。
「コイツの今日の予定知ってる?」
「ソキと一緒にぱてぃーです!」
 ぴかぴかの笑みだった。パーティー、と訂正してやりながら、妖精はロゼアに視線を向ける。微笑んで頷かれた。特に訂正がないらしい。はー、と深く息を吐き、諦めがつかなかったので、妖精は隠すことなく舌打ちをした。



 調理班の手が足りないとロゼアが引っ張っていかれたのをこれ幸いに、妖精はソキをつれて四階の部屋を訪れた。最近、部屋を整えたままにしておいたのだという空間は、戸口に布が引かれたままで、室内はまだ淡い薬草の香りを漂わせている。ふかふかの布絨毯の上に直に座り込み、さっそくアスルをぎゅっと抱きしめて満足げな顔をするソキの服は、まだ朝に見たもののままだった。袖口と襟元に豪奢なレースの縫いつけられたワンピース。旅の間も着ていたそれは間違いなくソキのお気に入りの一着で、聞けば細部が違うものをいくつか持っているのだという。
 これはね、ここの所のレースの図案がお星さまと月でね、旅で着てたのはお花でね、あとは植物の模様のとレースの糸の色が違うのがあってね、と説明してくれるのに適当に頷き、妖精も絨毯の上に座り込んだ。すぐにぴとっとくっついてくるソキに、甘えるんじゃないの、と叱りながら、妖精は少女の髪を整えるように撫でてやった。ふにゃうにゃ嬉しそうに鳴かれるのに苦笑して、妖精はふにふにの頬にも手を伸ばして、押しつぶす。もっちりしていた。体調はいいらしい。
 いやんいやん、頬もにっとしたらいやん、と眉を寄せて抵抗された。額を指先で弾くと、うーっ、と不満げに唸られる。それでも体をくっつけたまま離れようとしないので、妖精はくすぐったい気持ちで胸を満たし、額を重ねて囁いた。
「アンタ、ほんとーにアタシのこと好きね……」
「いじめるぅー! だめなんですよ、だめなんですう……!」
「全く……。さて、ソキ? 引っ張って来ておいてなんだけど、アンタ日中にやることは無かったわけ?」
 夜会と呼ばれるだけあって、一日の本番は夜である。日が落ちてから、開放された廟に移動して立食形式でダンスパーティーが繰り広げられるのだが、ロゼアが呼ばれて行ったように、最終準備でそこかしこが騒がしい。寮の四階はどことも渡り廊下で繋がっていない為に、そこを慌しく駆け巡る者さえないものの、階下は大変な騒ぎである。談話室も、今日は落ち着いて過ごせる場所ではなくなっている。どこからか風に乗って、楽団役の者たちが最終練習をしている音が、途切れ途切れに流れてきた。ソキは問いかけにきょとんとした目をして、首を傾げつつも頷いた。
「宿題は終わってるですよ。ソキはあとは、お昼を食べて、お昼ねをして、夕方になったらお着替えをするです。あっ、リボンちゃん一緒にお着替えをするですよ! ソキねえとっても刺繍を頑張ったです、とってもです。えらいでしょうほめてほめて?」
「アタシが聞いたのは、アンタにもなにか役目が割り振られてるんじゃないのってことなんだけど……つまりなにもない訳ね……」
 料理も楽団も、それが得意な者や、好きな者が好き勝手に志願して、集まって、協力しながら作り上げて行くものだ。手がどうしても足りない時は、王宮魔術師が依頼の手紙で呼び出される。魔術師しか立ち入れない場所であるから応援を頼もうにも頼みきれず、結果として自分たちでどうにかしてしまうのが、『学園』の致し方ない通例だった。そうであるからだいたいの生徒は、当日まで、もしくは当日の準備に役目を割り振られ、夕方までは行き着く間もない大忙しである筈なのだが。
 ソキは、そんなことはちっとも知らないです、とくちびるを尖らせ、頬をぷくりと膨らませる。
「これは仲間はずれ、というやつではないのです……? たいへんなことです」
「いや、冷静に考えたらアンタなにができるのっていう話よね……。待機させておくのが一番手間隙かからないし被害もでないし平穏無事に終わるんじゃないのっていう判断よね……」
 まあ、どの道アタシちょっとアンタに用事があったからそれでいいんだけど、と溜息をつく妖精に、しあわせーがー、にげちゃうー、ですぅー、とほんわふんわした声で歌い。歌いながらもやや機嫌を損ねた顔で、ソキが、でもでもソキだってお手伝いできるもん、と声をあげた時だった。盛大な足音を立てて階段を駆け上ってきた者が、一目散にソキの部屋までかけより、戸口の布をまとめて持ち上げる。
「あ、あー! ソキちゃん! いた!」
「ルルク先輩です。あ、もしかして! ソキにもなにかお役目があるです!」
 あるあるちょうあるよかったあぁあ、と疲れた顔で入ってきたルルクは、妖精に礼儀正しくこんにちは、と頭を下げて。両膝をついてソキの前にしゃがみこみ、そのちまこい手を両手で握り締めて、顔を覗きこみながら言った。
「ソキちゃんにお願いがあります」
「はー、あー、いー。なーぁんでーすかー?」
「お疲れ様、頑張ってるね、もうちょっとで終わるからもうすこし頑張ってって言って。あとできたら談話室にいて欲しいの。四階まで走るのつらい」
 なんだこれ、という目で妖精に見つめられて、ルルクはあっと照れたような声を出し、懐から腕章を取り出した。そうだったこれがないとね、と言ってソキの腕に巻きつける。腕章には『応援係』と書かれていた。なんだろうこれ、という視線を腕章に向けるソキには、心当たりが無いらしい。説明を求める視線を向けられて、ルルクは生き生きした表情でひゃっほう説明するねっ、と叫んだ。
「知っての通り今日はパーティ! 夜までてんやわんやで準備があって忙しいからどうにか乗り切ろうねっていう一日です! それでまあ準備を外注できないじゃない? いろんな理由で。半分くらいは予算の関係で。だから皆で準備するのは見ての通りというか知っての通りなんだけど、ソキちゃんはなんていうかその、えっと……なにかあると怖いっていうか、うん、そう! なにかあると大変だから! なるべく動かないでいてもらおうねってことになってたんだけど!」
「ねえ正直に言っていいのよ? 役立たずだからできることがなかったって」
「でもなんかひとりだけなにもしないで待っててもらうのも仲間はずれぽくてヤだよね悲しいよねって昨日の夜二時くらいに眠りの神が私に囁いたから、それじゃあ応援してもらおうかなってことになって、なのでソキちゃんは今日は一日応援係です。準備で体力もそうなんだけど心が! 心がだいぶ疲れてきたり擦り切れてきた私たちを! 本番に辿り着けるように応援してもらうだいっじな役目……! だからお願いなるべく談話室に……四階じゃなくて談話室に……!」
 妖精の辛辣さを聞こえなかったことにして右から左に受け流し、ルルクはソキの手を握ったまま、立て板に水のごとく説明し言い切り懇願した。二割くらいしか聞いていなかったソキは、へー、そうなんですかへー、と適当な態度で頷き、ルルクの手をきゅむっと握って微笑する。やや余所行きの『花嫁』の笑みだった。
「ルルク先輩?」
「う、うううんっ?」
 あっヤバいこれヤバいすごい元気出てきた泣きそう、と震えるルルクに、ソキはふわりと耳に触れる柔らかな声で囁いた。
「もうちょっとだけ、頑張ってくださいね。ソキは応援しています。……ね?」
「あああありがとうがんばるー! ところでロゼアくんにはこれから許可取りにいくんだけど冷静に考えると私生きてかえれるかな? あっソキちゃん手がすべすべふにっとしてて気持ちいいねなんか泣きそう」
「ソキ、いいこだから手を離しなさい。アンタは許可取れたらもう一回来なさいよ。ソキはこれからアタシとだ・い・じ・な! 話があるの。とびきりのね!」
 だからどのみち、その応援係だか誑かし係だか惑わし係だかよく分からないようなのはそれが終わってからよと追い出され、ルルクは生きて帰ってこられたらもう一回来るねと言って去っていった。達観した目だった。ルルク先輩はいつになったら落ち着きを取り戻したりするんでしょうと首を傾げるソキに、アイツにそんなんがあった記憶は入学してから一度もないけど存在してないんじゃないのと吐き捨て、妖精はぺちぺちとソキの頬を指先で叩いた。
「いい? アンタね、あんなに簡単に手なんて握らせるんじゃないの! まったく。危ないでしょう? アタシがいたからいいものを!」
「ルルク先輩はぁ、いつもソキの為にとっても頑張ってくれるです。さぁびすというやつです」
「その奉仕精神は捨てて来い!」
 アンタほんとにアタシがいないとだめねっ、と怒られて、ソキは幸せそうにふにゃふにゃした。えへへ、でしょう、リボンちゃんたら一緒にいたくなっちゃうでしょう、とふんぞりかえると、深々と息が吐き出される。
「もしかして平和とか平穏とか無事の為に、コイツ誰かに独占させきっといたほうがいいんじゃないのかしら……」
「あ。リボンちゃん? おはなしってなあに?」
「アンタいまアタシの話なんにも聞いてなかったでしょう」
 ふにゃうにゃ鳴いて誤魔化そうとしたソキの頬をつっついて折檻し、妖精は戸口を覆い隠す布を確認した。忌々しいことに、ロゼアは足音を立てずに移動する。ルルクのようなけたたましさで察知するのは不可能なことだが、妖精には微細な魔力すら感じ取る目があった。注視しても潜んでいる様子はなく、また、戻ってくる雰囲気もなかったのでよしとして、妖精はソキと向き合った。真剣な話するからこれ退かしなさい、と腕の中のアスルを掴むと、くちびるが尖らされる。
「リボンちゃん? アスルも一緒に旅をしたですから、聞く権利というのがあるですよ」
「じゃあせめて膝の横に転がしときなさい。大事な、話が、あるの。だ・い・じ・な!」
「……アスル? ソキのぎゅうじゃなくて、お布の上でもいい? 我慢できる?」
 つぶらな瞳と見つめあい、こくり、と頷いて。ソキはそーっとまるっこいアスルを布絨毯の上に転がした。なんですか、とやや不安げに問われるのを見つめ返して。妖精は静かな声で口を開いた。
「去年のことよ。去年の、パーティーでのこと」
「……うん。あ、ソキね、この間ツフィアさんに会って、びっくりしてごめんなさいをしたですよ! ツフィアさんね、とっても綺麗なお姉さんでね。あのね。ソキに飴をくれたです。ありがとうもお伝えしたです」
「ああそうそれはよかったわね。言いたいのも聞きたいのもそれじゃないの」
 しゅん、とするソキから視線を反らさず。
「挨拶が終わった後。砂漠の王が言ったこと」
 妖精は問うた。
「四年って、なに? なんのこと?」
 ずっと気になっていた訳ではない。今日の朝に起きて、ふと気がついたことだった。旅の間、ずっと一緒だった訳ではない。傍を離れることもあった。その間に交わされた言葉なら、妖精は知らない。人が当たり前に、全てを理解しあわないように。知り合わないように。けれども、あえて言葉にされたのならば。それは意味があることだ。大切である筈だ。記憶をめぐらせれば、ソキはそれをロゼアにも教えていなかった。四年。その意味。期間。ソキは目をぱちくりさせて胸を手で押さえ、呆けた声で、あ、と言った。妖精が眉を寄せる。
「あ、じゃないの。アンタ、もしかしてそれで最近おかしかったんじゃない? 違う? どういうことなの?」
「……砂漠の陛下とのお約束なんですよ。ないしょ、ないしょのお約束です」
「どーせそんなことだろうと! 思ったわよ! 話せっ!」
 ないしょ、というのは内緒だから内緒なのである。んんーっ、とくちびるに力をこめて嫌がるソキに、妖精はそんな声出してもだめよっ、ときっぱりと言った。
「アンタがロゼアにも言わない内緒だなんて! どうせろくなものじゃないんだから! アイツが気がついてめんどくさいことになる前にアタシには教えておけって言ってるの!」
「リボンちゃん……怒らない?」
「ふぅん? つまり? 言えば怒られるような内容だってアンタは思ってる約束だってこと」
 妖精の怒気が空気を焼く。声を荒げはしなかった。もうそれは十分にしていたし、怒りたい訳でも、萎縮させたい訳でもないからだ。気持ちを押さえ込んで、妖精はソキの名を呼ぶ。手を伸ばして、頬と、肩に触れた。視線を重ねて言い聞かせる。
「いい? アタシはアンタの味方。アンタが本当にしたいことなら、ちゃんと助けてあげる。どんなに大変なことだって、アンタが諦めない限りは応援する。傍にいる。……ねえ、ソキ。その約束は、アンタがしたくて交わしたことなの? それとも、一方的にされたものなの?」
「……えっと」
 記憶を辿って、ソキは口ごもった。決して一方的ではなかったように感じているが、そこにソキの意思が含まれることも、ついぞなかったような気がする。落ち込んだようにきゅぅっと眉を寄せて、ソキは瞬きをした。それは厳密に四年間、という約束でもないのだ。ソキの十七の誕生日までに。予知魔術師としての守り手と殺し手を決めて、王たちにそれを告げることが叶わなければ。ソキの身柄は砂漠の王宮預かりとなる。そして、無防備な状態で迎えられたソキは、魔術師として生きることすら許されず。王の用意したハレムの一室、『お屋敷』が見えるあの部屋で暮らすことになる。ソキの年齢は年明けと共に重ねられる。いまは十四。あと三ヶ月とすこしで、十五になる。
 二年と半年も、残されていない。
「ソキが、予知魔術師だから……した、お約束です……? 殺し手と、守り手を、見つけなさいって……」
「……できないと、どうなるの?」
「……砂漠の王宮魔術師に、なるです。でも、魔術師には、なれないから……ハレムへ、いくの」
 それでね、それはね、砂漠のお役に立つことです。そういうお約束です、と告げるソキに、妖精はゆっくりと目を閉じた。記憶と感情が巡る。どうしてソキがロゼアの傍を離れたくない、とそう言ったのか。共にいる状態でなお、それを信じきれず、何度も何度も悩んでは訴えていたのか。その答えを知る。それが全ての理由ではなくとも。
「じゃあ……その約束はもう取りやめになってるんでしょうね……? 取りやめにするつもりあるんでしょうね、ソキ?」
「え。……えっと? リボンちゃん?」
「アンタはロゼアの傍を離れないでいるし、アイツを幸せにできるおんなのこになる」
 前を向きなさい、と指し示すように。妖精の言葉はまっすぐに響いた。
「アンタのことだからどうせぐだぐだぐだぐだ悩んで、ロゼアのヤロウはもう『傍付き』じゃないだのなんのかんの言って! また義務的なことで傍にいてもらうのはいけないとか思ってるんでしょうけど! なんで分かるんだろうって顔をするんじゃないわよアンタのことなんかアタシにはすぐ分かるのよああもう……! アンタが予知魔術師である以上、守り手と殺し手の制約からは逃れられない。どうしたってね。それはアタシにも分かってる」
「うん……でも、でも、あのね、あのねりぼんちゃ」
「でもでもだってはアタシの話が終わってからになさい」
 雷を落とされて、ソキはいじいじと指先を擦り合わせ、アスルを膝の上に戻して抱きしめた。
「ソキだってソキだって。けんめいに考えてお約束をしたですし、ソキだって頑張ってるんですぅ……。ねー、アスル。ねぇー……?」
「というか冷静によく考えたらそれもうどっちもいるじゃない。ロゼアとナリアンでいいわ。よし」
 ああよかったスッキリした、といわんばかりの妖精をじぃっと睨み、ソキは頬を膨らませて抗議した。
「勝手に決めちゃだめです。陛下のご許可のいることです」
「なら許可取ってきなさいよ。なに? ロゼアとナリアンでいいでしょ? どっちがどっちかはじゃんけんでもして決めさせなさい。ナリアンじゃなかったらメーシャでもいいわ。アンタになにかあった時の殺意低そうだからアタシはナリアンがいいと思うけど」
「もぅー! じゃあ、じゃあ、ナリアンくんとメーシャくんにするですううぅ!」
 ロゼアちゃんはだめだめっ、とぐずるソキに、妖精から向けられたのは心底できの悪い生徒を見る憐憫の眼差しだった。アンタまたそんなこと言って、だめよ、と優しく穏やかに諭されて、ソキはぷくぷく頬を膨らませた。妖精の指で突かれる。いやんやぁっ、と癇癪を起した甲高い声で、ソキはだってだってとちたぱたする。なにか反論されるより早く、妖精は静かな声でソキ、と言った。
「よく考えなさい。ロゼアがそれになれば、合法的に、傍にいていい許可を王が下したってことなのよ。アンタがこないだもらったっていう同行許可証と一緒」
「……んん?」
「よかったわね、ソキ。予知魔術師としての問題は解決する。アンタはハレムに行かなくてもいい。ロゼアは傍にいる。で、アンタはロゼアの傍でほんと腹立つけどアイツを幸せにしてやる。というかアンタがここでごねなければ一気に色々解決するのよ? 分かってる? 分かってないんだったらとりあえずアタシの言うことに頷いておきなさいよわかった? はい、ソキ? 返事は? 分かったって言える?」
 途中からよく分からなくなって聞き流していたので、ソキはとりあえずこくりと頷き、はぁい、と返事をした。それを狙ってつらつらと言葉を重ねていたとはいえ、妖精は先行きの不安さに額に手を押し当てた。
「……じゃあ、返事したから、パーティーが終わったら砂漠の王におはなししに行くわね? 守り手と殺し手決めました、ロゼアのヤロウとナリアンのアレです、って言えるわね?」
「……んんん?」
「まあ、安心しなさいよ。アンタの意見で決まる訳じゃないし、五王が許可しても本人が断る場合だってあるんだし」
 ただし、王が許せば拒否権などあってないようなものなのだが。じゃあ言ってくるです、としぶしぶ頷いたソキに、妖精は力をこめて頷いた。
「行く時は言うのよ。アタシもついてくから」
「わかったです……。ロゼアちゃんには、ないしょ! 内緒ですよ、しー、ですよ」
「言わないわよ……。言わないけど、アンタ、どうにか怪しまれないように理由つくってロゼアは置いていきなさいよ? もしくは、ロゼアがどうしても抜けられない授業のある日を狙いなさい。黒魔術師の合同実技とかね」
 まだくちびるを尖らせて、ソキはこくんと頷いた。なにが気に入らないというのか。白んだ目で言葉を促す妖精に、ソキはもじもじもじもじ指先を擦り合わせたあと、ちいさな声で、だってぇ、と言った。
「ロゼアちゃんをしあわせにできるおんなのこと、ロゼアちゃんに守ってもらう予知魔術師なソキは、なんだかちょっと違う気がするです……。これじゃ、ロゼアちゃんをしあわせにできるおんなのこにはなれない気がするです……」
「なれるわよ勘違いよ気のせいよ」
「ええぇ……ええぇえぇえ……?」
 そうかなぁ、そうかなぁ。違うと思うです。ええぇ、とぶうぶう文句を言うソキに、妖精はやさしく微笑んでやった。
「なにが不満だ言ってみろ」
「お……お仕事に、なるですよ……。お傍にいるのが、お仕事になるです……お仕事でお傍にいるってことですぅ……! 今度こそ、ずーっと、ずーっと、そうなるですよ。ひどいことじゃないです……?」
「酷いっていう言葉の意味からアタシに考え直させないで頂戴ね、ソキ」
 ロゼアであれば、そうなったとてその事実を確実に喜ぶ筈である。むしろ王から下された職として命を受けるのであれば、その役を他に譲るなど絶対にしないだろう。ソキはなにを思い違いをしているのか知らないが、そもそも、妖精から見たロゼアの現在が、すでに予知魔術師の守り手たる存在に近いのだ。世界のありとあらゆる災厄から、その存在を守ろうとする。ロゼアが自らの意思で行っているそれに、あえて許しが必要なのだとするならば。予知魔術師の傍にある為に許されなくてはいけないのだとしたら、ロゼアは王に志願さえするだろう。
 その役目を、決して誰かに譲ろうなどとは決して思わず。そしてそれを、許しはしないだろう。その座を奪っていく者を。妖精はほとほとあきれた様子でぐずるソキを見つめ、酷くない、ときっぱりと繰り返した。
「というか、アンタがロゼアを選ばないならそっちの方がよほど酷いわよ」
「えぇー……? ええぇ……ちぁうもん、そんなことないもん」
「違わない。よく考えなさい、ソキ。あのね、アンタがしようとしてるのは、ロゼアの目の前で。いい? 目の前で、よ? ロゼアちゃん? ソキはやっぱりこのひとに抱っこしてもらうことにしたですからロゼアちゃんはもう抱っこいいですこれからはこのひとに頼むですって言うようなことよ?」
 そんなのぜぇえったいに嫌に決まってるですううううと涙目で震えるソキの『絶対に嫌』なのは、純粋にロゼア以外に抱っこ、という点に違いなかった。例え方を間違えたと首を傾げ、ああこれなら、と妖精は言い直す。
「アンタがしようとしてるのはね? ロゼアが、アンタの目の前で、ソキ、やっぱり俺の『花嫁』はこのひとだったんだ。ソキはもういいよこれまでありがとうなって誰かを抱っこして『俺の花嫁』とか言うような」
「ひどいことですうううっ! 許されてはいけないですううううう!」
 考えただけでしにそうになるが、ロゼアがもし万一ソキにこのひとのことが好きになって付き合うことになったんだと、ロゼアがしあわせになれるおんなのこを紹介するのならばまだしも。他の『花嫁』など決して許容できないことだった。ロゼアの『花嫁』は世界にただひとり、ソキだけである。浮気などという生易しいものですらない。ソキの存在の全否定である。怒り狂いながらそう説明すると、妖精からはごくごく冷静な目が向けられた。
「アンタがロゼアを予知魔術師のアレに選ばないってそういうことなんだけど」
「えっ」
「可哀想にね……。さすがのアタシでもそうなったらロゼアに同情するわ。二秒くらい」
 三秒後には指さして笑う計画である。怒りと困惑と衝撃を行ったり来たりしてひたすらオロオロするソキに、妖精は疲れた気持ちで語りかけた。
「ね? だから、アンタはロゼアとナリアンにしましたってちゃんと報告するのよ? 分かった?」
「うん。うん……! ソキ、ロゼアちゃんをお願いするです……! 陛下はポイです! お約束はないないです!」
 いいことちゃんと頼むのよ、リトリアみたいに誰もいないですとか妙な嘘をついて混乱させるのはやめなさい、と念押しして、妖精はふと戸口に目を向けた。まだ遠く、階段を上ってくる者の、魔力の流れが響いてくる。妖精が隠さず舌打ちしたと同時、ぱっと顔をあげたソキが目を輝かせた。いまのお話はないしょですよ、ロゼアちゃんにはないしょ、と言い聞かせてくるソキに、アンタはそれより自分が言わないでバレないでいるかを心配しなさいよと額を突き、妖精はうんざりと息を吐く。ルルクではなく本人が来た、ということは、説得は失敗したに違いない。まあいいわ、と妖精は思い直す。明日もある。今日はなにもしないソキの傍で、夜までゆっくり過ごすのもいいだろう。

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