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 眠れる森に朝を告げ

 真夜中においで、と王は告げた。守護する愛し子が眠りにつき、目を覚まさない、星の光が遠くにくゆる風のない空の、雲ひとつない闇の。そんな日の、夜においで。気がつかれないように、そっと出ておいで。寂しがりなあの子を、すこしでもひとりにしない為に。くすくすと笑い声さえ聞こえて来そうな、流麗な文字で綴られた文面を思い出し、ルノンは久しぶりに訪れる星降の王宮を見上げた。城門の前には数名の兵士が篝火の下で話し声を響かせているが、律儀に正門をくぐって入ってくるルノンを見咎めることはない。彼らに妖精は見えないからだ。その代わりのよう、寝ずの番をしていた王宮魔術師が口元を和ませ、城の中へ続いて行く扉をほんの十数センチ、押し開いてくれた。
 ありがとうございますと囁いて扉をくぐれば、心得た動きで閉じておいてくれる。妖精の身には重たすぎる扉だから、その好意をありがたく受け入れて、ルノンは王城の廊下をすいすいと飛んで行く。何度も通った覚えのある道筋だから、明りがまばらであろうと、迷うことはなかった。それに、妖精の目は人のそれよりずっと良くできている。空に瞬く星の明りさえあれば、等間隔で灯される火がなくとも、飛んで行くことに苦はなかっただろう。真夏の温かい空気をさらに生温くしてしまう火を見て、ルノンはふと心配になった。そういえば勉強机の明りを、メーシャはちゃんと消しただろうか。昔、一度だけつけっぱなしで寝てしまったことをしつこく根深く覚えて心配する妖精は、それを確かめて出てこなかったことをひどく悔いた。
 はやく帰ろう。息を吐き出して決意し、ルノンは最初から明りを零して開かれていたとある扉の隙間から、目的とする王の部屋へ忍び込んだ。声もかけず、妖精が来たと知らせが飛んだ様子もなかったのに、ルノンが現れた瞬間、執務机の向こうで青年が立ち上がる。視線はまっすぐにルノンへ向けられていて、浮かぶ満面の笑みは気恥ずかしくなるほど、妖精の訪れを喜んだものだった。
「いらっしゃい! ……えっと、いまはなんて呼ばれてるんだっけ?」
『ルノン、と。……お久しぶりです、我らが星の王』
「うん。ひさしぶり、ルノン」
 おいで、と差し出される青年のてのひらへ舞いおりて、ルノンは恭しく一礼をした。顔をあげるとやはり嬉しそうに、星降の国王はにこにこと笑っている。音の無い闇空を映し取った、紺碧の瞳が妖精を見ていた。瞬く星空の国であるのに、その瞳の色は一番遠い所にある。それでいて、くるりと天然のくせ毛で巻かれた金の髪は、星明りそのものだ。闇を切り裂く光のようには強くなく。それでいて、決して瞬くことを止めない星の。
「ルノン」
 ぼぅ、として久方ぶりに会う妖精たちの王を見つめていたルノンを呼ぶ声は、優しかった。ふっと意識を己のたもとまで引き寄せたルノンに、星降の国王は分かっていると思うけど、と困ったように眉を寄せた。
「メーシャを今年、学園へ招くよ」
『……メーシャは』
 ああ、やはりそうだったのだ、と妖精は視線を揺らめかせた。
『魔術師、なんですね』
「うん。彼は魔術師のたまごだよ」
 そうですか。静かな声で呟くルノンに、青年はただ頷くことで応えた。この世界で唯一、血統によって魔術師であることを受け継いでいるのが、この星降の国の王族。ルノンをてのひらで柔らかく抱く、青年そのひとである。通常ならば存在する魔術師の適性や、属性というものは、青年には関係がない。彼の力は分類できるものではなく、世界に対しての力の発露も特別なものだ。星降の王族は、魔術師の為の魔術師。魔術師の為の、魔法使いだ。その能力は魔術師という存在の為だけにあり、その為にのみ発動する。青年が持つのは、魔術師を見つける為の力だ。偶発的な奇跡ではなく、確かにその魔力、その願いが己の内側に住むなんらかの意思によって発動したのだと、その見極めをつける為の力だ。
 その見極めは、感知の瞬間に終わっている時もある。魔力の発動から、なんらかの理由で数年かかることもある。ルノンの見守っている少年、メーシャが、真実『魔術師』のたまごであると星降の国王、魔術師の為の魔法使いが確信するまで、数年の時が必要だった。その時間の長さの理由を、ルノンは知らない。青年に聞いたとて、分からないだろう。それを知る力を、青年が持たないからだ。決定に対して俺の意思、感情、願いは関係ないんだよ、とかつてそれを問うた妖精に、青年は語って聞かせたのだと言う。決めるのは俺だけど、でもその確信は俺がするものじゃなくて、そうだと分かってしまうまでは俺にも本当に分からないものなんだよ、と。
 意思は遠く離れ、星の流れのように気まぐれで。結果しか与えてくれない。それがいつ分かるのかすら、読むことはできない。それなのに、もたらされる結果は狂いを許さない。落ちてきたそれを青年が拾い上げた瞬間、もう世界は目を反らすことを許してはくれない。あの星、あの輝きが魔術師。生まれたての存在なのだと、告げる。呼ばずにはいられない。引き寄せて、守らずにはいられないのだと、王は言う。ようやく、メーシャが魔術師だって分かってしまったから、と。それを喜んでいるかも、後悔しているのかも、ルノンに分からせない不思議な声の響きで。笑う。
「ルノン。導いてきて。連れて来て、ここまで。……メーシャを」
 俺の、かわいい魔術師のたまごさんを。学園まで連れて行って。そう求められて、返事をするより早く、妖精の心を不可視の檻が閉じ込めた。それこそが魔術。それこそが魔法。それこそが、案内妖精の指名だ。告げられれば逃れられない、世界の仕組み。それを手繰り寄せ操る、魔法使いの声。強制的だ。選択権などない。絶対の指名で、絶対の命令。それなのに。
「メーシャの案内妖精は、ルノンだよ」
 やさしく囁く、その声に。涙がにじむ喜びが溢れるのは、どうしてなのだろうか。浅く、早く呼吸を繰り返すルノンは、声もなく何度も頷いた。うれしいと、思う。他の誰でもない己が、誰も逃れられない絶対の力に、縛られてしまうのが嬉しい。強く、強く。他のなにとも分かち合えないくらいの絆が、他の誰も捕らえなかったことが嬉しい。差し出された一枚のカードを、ルノンは腕を伸ばして抱き締めた。この許可証を、ルノンがメーシャに送ってやれることが、嬉しくて嬉しくてたまらない。それは同時に、彼の自由を全て消してしまうことを意味しているけれど。未来の選択肢を、ひとつか、ふたつくらいにしてしまうことだと、分かっているけれど。
 不思議なくらい高揚する気持ちで、安堵していた。不安なことはなにもなかった。怖いとも、思わなかった。嫌われるだとか、怒られるだとか、負の感情がメーシャの瞳をかけめぐり、ルノンに向けられる心配は、欠片もなかった。想像すらしなかった。ただ、喜びに溢れる。
『メーシャ。……メーシャ、メーシャ』
 囁き、囁き。胸いっぱいの喜びを砕いて、声にして、空気を震わせる。愛しているよ。自然にそう思って、名前を呼んだ。この許可証が、永遠の別れを意味していたとしても、それでも。俺はこれを君に送るよ。共にある日々の終わりを、告げに行くよ。
『……陛下』
「うん?」
『お願いが、あります。……どうしても、どうしても、これだけは許して欲しい』
 カードを大切そうに抱いて願ってくるルノンに、青年は頷いて先を促してやった。
『あなたの見定めを、信頼していない訳ではないんです。……でも、メーシャが』
「……うん」
 嬉しくて、嬉しくて、それだけなのに。本当にそれだけで、いっぱいなのに。つぶった目から、涙が零れ落ちて行く。それを拭ってくれる青年の指先に頬を擦りつけながら、必死に、ルノンはそれを願った。
『メーシャが本当に魔術師なのかどうか……俺が、見定める、その為の時間をください』
「うん」
『……メーシャを消した、あの力。あの魔力に、メーシャはもう負けないんだって。手放すことを諦めないで、二度と、そんな悲しいことをしないで。メーシャがちゃんと……自分を含めた、望みを、手放さない強さを。すこしでもいい。ほんの僅かでもいいから、持っていて、その強さで魔術師としての己に、立ち向かって行けるんだと。大丈夫なんだって、俺が思えるまで、もう、すこしだけ……!』
 三年、共に過ごした。たくさんのことを教えた。たくさん、共に、教わった。その長い時間。とても短い、時の中で。どれくらいの強さを与えてやれただろう。あの優しい子、あの愛しい子に、諦めなくても良いと。そう告げることはできていただろうか。本当に世界に見つかってしまうまでの、この間に。ラティが隠してくれていた、この三年の間に。メーシャ。俺はどれくらいの希望を、教えてやることができただろう。
「……長くは待てないけど」
『はい』
「夏至の日には、遅れないように。……当日までは、俺はちゃんと待ってるから。ルノンも、信じて待ってあげな」
 はい、と頷くルノンに、星降の国王は大丈夫だよ、と晴れやかに笑う。
「ルノン」
『……はい』
「お前のこころは報われる。必ず。……だってそうじゃなかったら、ルノン。お前、俺の呼び出しに来る訳ないだろ?」
 きょとん、と目を瞬かせて。不思議そうにするルノンに、青年はくすくすと笑った。
「絶対に、メーシャを一人にしようとしなかったお前が。それを怖がって、誰より不安にして、俺に……こちらの世界でも過ごせるように魔法をかけてくださいって、頼んだお前が。こちらの空気が毒にならないように、彼と一緒に、彼の傍らで時を過ごして行けるように。彼の消えた過去を、決して告げないと制約して。彼とは違って、お前は覚えてるのに。覚えてる『メーシャ』を、その本人にも告げず。温かな想い出を全部胸の中に仕舞い込んで、その痛みを代償にして……そうしてまで、メーシャを一人にしようとしなかったお前が、俺の呼び出しに応えてここに来た」
『……あ』
「知ってるんだろ、ルノン? ……大丈夫。お前はもう、ちゃんと信じてるよ。お前の選んだ魔術師、お前が愛したメーシャのことを」
 一緒にいるよ。傍にいる。ともだちだろ、と告げた時、ひとりじゃないと泣いたメーシャは、もう居ない。脳裏に彼の涙がはじけて、そして消えた。永久の別れだ。そう思った。あのメーシャに会うことは、もうないだろう。カードを抱いたまま浮かびあがり、ルノンはこくん、と頷いた。
『はい』
「……うん、行っておいで。焦らないでいいからな」
『はい。……ああ、でも、早く帰ってやらなきゃ』
 火をちゃんと消したか心配で、と気もそぞろに外を目指そうとする妖精を、あ、と言って青年が呼びとめた。用事をもうひとつ、思い出したらしい。なにかありましたか、と首を傾げるルノンに、星降の国王であるひとは、目をきらきら輝かせながら言った。
「うん、あのな? ほら、メーシャって家族いないじゃん?」
『ええまあ、そうですね?』
「だから、その、俺、ずっと考えてたんだけど……!」
 ぎゅっと手を握って、星降の国王は言った。
「メーシャに伝えて欲しいんだ。俺のこと、おとうさ」
『伝えませんからねっ!』
「なんでだよっー! 俺、俺、この日をずーっと楽しみにしてたのにー!」
 お父さんが駄目だったらパパかダディでもいいからさぁっ、と粘る青年に、ルノンは冷静な気持ちで首を振った。
『だめに決まっているでしょう?』
「な、なんでだよー!」
『なんでだと思います……?』
 ああ、なんだか、とても疲れた。ぐったりしながら問うルノンに、星降の国王はあどけなく首を傾げた。
「えっとな? 俺が……」
『はい』
「……高貴だから?」
 お前はなにを言っているんだ、とルノンは本気でそう思った。駄目だこの方本当に根本的に、そういうところだけ心の底からちからいっぱい、駄目だ、とルノンはふるふると首を振る。尊敬できる素晴らしい王であるのだが。なんというか、だめだ。
『それでは、陛下。俺は行きますので、また後日』
「え、えええっ! ちょ、ちょっと待ってルノン! ルノンー!」
『だいたい! まずその呼び方をして欲しいんだったら、俺の前にラティに許可取ってください! ラティに!』
 砂漠の国の物理系王宮魔術師は、自称メーシャの保護者である。その保護者の許可なくお父さん呼びしてもらうなど、あまりにいけないことだろう。ええええじゃあいいよラティに聞いてくるよー、と拗ねる星降の国王に微笑みを浮かべ、ルノンはよし、と頷いた。問い合わせしてくれるというのであれば、とりあえず自分は聞かなかったことにしよう。己の安全、平穏、そしてこの世界の安定の為に。それではまた、メーシャを導いてきたその日に、と囁き、ルノンは夜の街へと飛び立った。街は暗く、静かで、共に飛ぶ鳥もいない。ひとり、すいすいと空を飛んで家を目指しながら、ルノンは入学許可証をぎゅぅっと抱き締めた。これをその時まで、どこへ隠しておけばいいか、どきどきしながら考える。なんだか悪戯をしかける気分だった。
 地平線の向こうに、ひかりが見えた。朝が来る前に帰らなければ、とルノンは高度をあげて行く。強く吹く風が、妖精の羽根を押し上げて行った。朝が、来る。長い眠りが、もうすぐ終わる。

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