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 レディのお悩み相談室(終了しました)



 なにかの間違いである、という可能性にすがって、レディは訊ねてみることにした。
「そこでなにしてるの? ストル」
「……悩んでいることがある」
 お悩み相談室、と書かれた木の札を指差しながら言う性格の悪さに、レディは隠すことなく舌打ちをした。そもそも、やりたくてやっている訳ではないのだ、こんなことは。頭を抱えて溜息をつくと、格子模様の衝立の向こうから、ストルの体調でも優れないのか、といぶかしむ声が響いてきた。
 心配しないで欲しい。腹立たしさをぶつけにくくなる。
「気にしないでいいわよ……。あ、違う、間違えたわ。気にしていいから相談しないで部屋に帰って眠りなさいな。あなた普通に夜眠れるんだから」
 しっしっ、と追い払う手の仕草に気が付いたのだろう。衝立は本当に雑な格子模様の作りで、視界を多少遮ることはしてくれても、相手の姿は大体見える。そうでなくとも、付き合いの長い相手だ。どういう時にどういう反応をするか、くらいは互いに分かってしまう。
 つまりストルはレディが嫌がることを知っていて顔を出したということになるので、なおさら相手などしたくない。
「……悩みがあるんだ、レディ」
「聞きたくない」
「仕事だろう?」
 それを言われると拒否しきれないものがある。そもそもレディがなぜ『お悩み相談室』などを、人々が寝静まった深夜に開室する運びになったのかと言えば、そこに王命があったからである。夜に眠れなくて読む本にも飽きてきたんですよね、と星降の王に言ってしまったのが全ての原因だった。
 じゃあ俺にいい考えがあるよー、とほわほわした口ぶりで、王が即日、レディに下した命がこれだった。すなわち、夜に眠れないくらい悩んでる人の話でも聞くといいよ、とのことである。別に働きたくもなんともなく、人助けを積極的にしたい訳でもないレディは難色を示した。示したのだが。
 まあ暇つぶしくらいにはなるか、と部屋を開けると、意外にぽつぽつと人が訪れたのである。城働きの女官のほんの些細な愚痴とも言えぬ相談から、面白がった騎士たちの雑談、話を聞きつけた他国の魔術師たちの、好奇心半分不安交じりの相談ごと。訪問者は途切れなかった。不思議なくらいに。
 それでも、そうし始めて一か月。誰も訪れない夜もあり、そうすると久しぶりにめくる慣れた本も、面白く読み進められるもので。だから今日は本を読むつもりだったのよと抵抗するレディに、ストルは無言で眉を寄せて不満げな顔をしてみせた。
「そもそも、レディ。君にも関係があることなんだが?」
「は? ストルの悩みで私が関係あることなんてある訳が……あ、待って待って言わないで嫌な予感してきた言わないで言わないでいいわよ言わないで! いいわよ! 聞きたくない!」
「リトリアに外泊は許されているのか知っておきたい」
 万一許可されていたらなんだというのか。衝立があるのをいいことに思い切り白目になりながら頭を抱え、レディは心の中で楽音の王に全力で叫んだ。楽音の陛下に申し上げますリトリアちゃんの外泊許可とか絶対しないでくださいねここに狼がいるので。
 ああぁああやっぱりアンタそういう悩みなんじゃないのよおおお、と涙声で呻くレディを今度は心配もせず、ストルはしれっとした声で言い添えた。
「外泊させたい、と言っている訳ではないからな。勘違いしないで欲しい」
「じゃあなんだっていうのよ……。あっやだストルと会話が深まっていく気配がする……泣きそう……」
「……お前本当に俺が嫌いだな」
 しみじみ感心しきった素の声で零すくらいに理解しているなら、本当にかかわったり会話したり同じ部屋で呼吸をすることを試みないで欲しい、とレディは思った。『学園』に入学した時から、レディはストルがとても嫌いで隠すことなく公言して本人にも告げているのに、現在は職場の同僚で、リトリアを介してかかわりを深めていく真っ最中である。
 なにこの仕打ち、私がなにをしたっていうの故郷を焦土にして婚約者もろとも住人を全滅させたのがいけないのそうよね分かってる、と鬱々とした呟きで鼻をすすり、レディは無言で衝立を机の上から床にのけているストルを睨みつけた。
 だからなにをしているのかこの男は。顔が見えないと話しにくいとかそういう正論は今ここでだけ聞きたくなかったし、そもそも素性が知れるのを嫌がる場合もあると想定しての気遣いであるというのに。嫌味なまでに様になる仕草で眉をあげ、今更なにを隠すものもないだろう、と言われても腹立たしいだけである。
 今更。そう、本当に今更だ。分かっている。レディとストルはそもそも、互いに『学園』に入学する前からの顔見知りである。知り合い、に昇格したのは『学園』に入学してからだが、その前からも顔と名前くらいが互いに知っていた。ストルはレディの婚約者と仲が良かったからである。
 夏至の日より二ヵ月前。妖精が迎えに来たのはストルと、レディの彼だった。レディはひとり残された。長期休暇で戻ってくるのを何年も待ち、そして、とある日。結婚の日に。暴走した魔力で全てを火の中に消してしまった。
 そうして『学園』へ迎えられることになったレディを迎えて、ストルはごめん、と一言零した。助けられなくてごめん。助けに行けなくて、ごめん。その言葉は焔より強く、レディの胸を焼いた。助けたいと思ってくれていたなら、どうして。誰も、なにも、助からなかったのか。
 理不尽な怒りだ。分かっている。八つ当たりだ。分かっている。レディが最愛を亡くしたように、ストルも親友を失った。分かっていて、けれど、許せなかった。あの時に、とレディは思う。どんな言葉が欲しかったのだろうか。
 どんな言葉ならレディはストルと、己を許せてしまえたのだろう。今も眠れば夢に見るあの日の光景を。瞼を閉ざせば零れていく涙と痛みを。どうすれば遠ざけ忘れることが叶ったのだろう。思い出にすることが。どうしてもできない。眠れる夜さえ遠いのだから。
 不毛な思考を断ち切って、レディはもうどうでもいい気持ちで、机の上で手を組んだ。あの時、レディとストルは失われた青年を挟んだ対だった。鏡のようだった。今もまた、リトリアを挟んでふたりは繋がっている。
 幸福になるのを邪魔しようとは思わない。羨ましいとも。ただ、なにかまだ飲み込み切れないものが、心をざわりと波立たせる。それを分かっていながらも相談してくるのがストルの最高に性格の悪い所で、それでいて、かつて対であった者への無比の信頼だった。
 それは確かに信頼で、親愛で、共感で、理解だ。レディもそれは分かっている。だからこそ力づくで追い返すことは、せずに。はいはいああもうなんなのよ、とストルの言葉を促してやる。相談も仕事なら、リトリアの保護もレディの役目のひとつである。
 お泊りしたいとかおねだりされたのかしらと精神的にぐったりするレディに、ストルはふ、と笑みを深めて言い放った。
「昨夜のことなんだが」
「うわぁ……昨日のこととか時期が近くて生々しすぎて嫌……。え……え? でも昨日って『学園』に行ってたんじゃないの?」
 付き添いはフィオーレであった筈なので、行程にレディの責任は絡んでこない筈だ。楽音から家出して戻ってきてからのリトリアは、そもそも監視が強化されている。『学園』に行ったのもその一環で、確か保険医を交えての成長曲線の確認の為だった筈である。
 身長と体重はじわりと上向きになり、つまりはすくすくと再成長している最中であると聞いていた。いい傾向である。廊下で行き会ったりでもしたの、と問うレディに、ストルは視線を逸らしてぽつ、と呟いた。
「戻ってきたら講師室にいたんだが」
「……フィオーレは?」
「先に帰ったそうだ」
 アイツ、今度会ったら、殴る。笑顔で決意するレディに、監督不行き届きであると報告はしておいた、と真面目ぶった報告をして、ストルは続けた。そもそも本当に真面目なら相談なぞしに来ていない筈なので、レディは嫌な予感たっぷりに続きを聞いてやることにした。曰く、疲れてる、と心配されたのだという。
「……それで?」
「その前に……ソキさまと、どうも話をしてきたようで……」
 あ、ほんとに疲れてはいるんだな、とレディはまじまじストルを見つめてしまった。メーシャの担当教員という立場から、普段はごく注意して呼び捨てにしている筈である。しかし『砂漠の花嫁』を尊ぶのは、砂漠出身者のごく自然な行為であるから、ふとした瞬間に漏れてしまうのだろう。
「なにか言いたそうにもじもじしていて可愛かったんだが」
「……え? 悩みの相談じゃないのこれ……?」
「『ストルさん、疲れてるなら、いいことがあるの。ソキちゃんに聞いたの!』と言って」
 あなたほんとに私の話聞かないわよねいいけど、と思うレディに、ストルは遠くを見る眼差しのままで言った。
「『おっぱいもむ?』と」
「ごめ……ごめんねストル……わたしちょっとあなたがなに言ってるのか分からないの……というかソキさまっ? ソキさまはなにを仰ったと言うのっ? ロゼアさまはそれでいいのっ?」
 リトリアちゃんといっしょにぃ、ゆーわくでめろめろのほうほうをかんがえてたら、せんぱいがあどばいすー、をしてくださったんですうううう、とごねる口調でソキがふくれる未来を知らず、レディは頭を抱え込んで呻いた。
 沈黙がおりる。えっ、と言って恐ろしいものを見る目で、レディはストルを伺った。
「え? 揉んだの? あなた、あのなだらかでささやかなかわいいふくらみを揉んだのっ?」
「お前……エノーラと親友をやってるだけのことはあるな……」
「どん引かないでよ失礼じゃないっ?」
 決して失礼には当たらない、という顔をするストルにコイツなにを考えているんだと苛々しながら、レディは再度問いただした。それでアンタ揉んだのどうなの言いなさいよ相談だっていうならね。ストルは懺悔するようにすいと視線を外し、熟考の末にぽつ、と言葉を零した。
「……リトリアがせめて」
「……せめて、なに?」
「年齢につりあう体重に戻るまでは、自制しようと」
 思っている、なのか。思っていた、なのか。待てど暮らせど、言葉の続きが来なかった。よし通報しちゃうぞ、と満面の笑みで頷きながら、レディはストルをしっしと追い払う。
「自制できないなら去勢しなさいよ去勢」
「言っておくが触らなかった」
「揉まなかったって断言しない所が怪しいからもう去勢した方がいいと思うわ。はい、お悩み相談室は終了しました! というかこれ悩みだったの? のろけじゃないの? 犯罪の告白となにが違うの?」
 申し出があって合意があれば犯罪じゃないだろう、と主張するストルに、レディは微笑んで生徒より年下の女の子に下心がいっぱいあるなら据え膳でも犯罪だと積極的に決めつけていきたい、と言った。



 かくして。星降で数ヵ月だけ開設していたレディの『お悩み相談室』は、本人の強い希望により終了したのだった。

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