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 林檎とわたあめ



 森深く。緑の静寂に守られて、魔術師たちの『学園』は存在している。建物は全て欠片の世界から魔術により移築したものであり、夥しい数の精密に編み上げられた術式が、時の流れによる風化からそれらを守り切っている。そうであるから、『学園』の建物は変化に乏しい。修繕の必要がないからである。
 それを聞いた時にロゼアは、増改築を希望する時はどうすればいいのか、と『学園』の運営に問い合わせた。入学してすぐの頃。部屋をソキが過ごすのに適した空間に整えねばと、頭をひねっていた時のことである。基本的には不可である、というのが回答だった。
 建物そのものに影響があるような改築は、施された魔術に破損と判断されかねない。そうなれば修復のための術式が瞬く間に発動し、結果としてなにも変化がなくなる為である。それを聞いたロゼアはしぶい顔をしてなにかを諦め、翌日からせっせと家具を組み立て、窓に新たに枠を取り付けて幾重にも布を下げた。
 そうして数日、物によっては数ヵ月をかけて整えた場所がロゼアの部屋。兼、ソキの部屋である。寮の部屋は基本的にはどこも同じ大きさ、同じ作りをしている筈なのだが、立ち入った者が妙に広い気がする、と首を傾げる一室だった。
 ロゼアの改装は己の部屋だけに留まらなかった。使われていない四階のソキの部屋は物置きにされているが、一部を有事の避難場所とした寝床として整えてあるし、今や寮の一角には女子専用湯冷め室まで設置されている。使われていなかった部屋を、ロゼアが許可をもぎ取った上で、用途を限定した談話室として作り替えたものだった。
 ソキは、今日もそこでロゼアの迎えを待っている筈である。女子風呂から上がり、本来の談話室までを歩いていく道のりで、ソキは一週間で五回ほど、貧血を起こしてしゃがみこんだ。本来なら湯を使わせていい体調ではないのが明らかだが、布で肌を拭う案にソキが頬を膨らませたのと、女子一同がお世話するからとロゼアを拝み込んだこと、湯冷め室の設置がとうとう完成したことを踏まえて、仕方なくしぶしぶ許可している。
 今日もソキは機嫌よく、いいにおいー、ふわふわー、あったかほこほこーにー、なればぁー、ロゼアちゃんもめろめろでー、きもちのをー、したくなっちゃうかもー、ですぅううううきゃぁああんはうはうはううにゃあにゃっ、とはしゃぎきった歌を響かせ、とてちて女子風呂へ消えていった。
 その背を見送り、ロゼアは息を吐きだした。ソキの前では決して吐き出さない、苛立ちと怒りの混じった吐息だった。いったい、寮の規約で混浴を禁じたのは誰なんだよ、と思う。『傍付き』として、体調が不安定な『花嫁』の裸身を他の者に委ねないといけない、というのは、心身ともにかなりの負荷がある。
 湯冷め室がある以上、そうそうおかしなことにはならないだろうが、もう一度でも貧血が起きたら『傍付き』として許せる範囲まで『花嫁』が回復するまで、なるべく部屋から出さないようにしなければ。幸い、ソキの授業は宿題制の座学に切り替わっている。適度なざわめきから談話室が望ましいが、ロゼアの部屋がふさわしくない、ということは決してない。その為に部屋を整えたのだ。『花嫁』の居室として。
 うつくしく、あいらしく、いとけなく。弱く脆く甘い、ロゼアの『花嫁』。ロゼアの宝石。その存在を腕に抱くことこそ、ロゼアの幸福。てち、てち、と拙い足音が傍らで響くことにもすこしは慣れたが、それにしても、もっと懇願して欲しいと思う。抱き上げることを。
 どうすれば常時、ソキがロゼアに抱き上げられていることを懇願してくれるだろう、と考え、言質を取ることに頭を悩ませていたロゼアは、だからとっさに、己に向けられた質問を聞きそびれた。目を瞬かせて、すこしだけ気持ちを切り替える。『傍付き』から、魔術師のたまご。『学園』に存在する生徒のひとりに。
「……すみません。先輩、なんでしょう?」
 男子浴室は温かい湿気と、適度なざわめきに満ちている。言葉が聞き取りにくいのは確かだったが、普段ならば決してそんなうかつなことはすまい。申し訳なさを覚えながら問いかえせば、黒魔術師の授業で幾度か隣り合う席になった記憶のある青年が、いやえっと、とやや口ごもりながら言葉を繰り返す。
「ソキちゃんって、やっぱり軽いのかなって話題になって」
「は?」
 そもそも。『学園』の人々は、なぜこうもソキの名を気軽に発声するのだろうか。寮長の呼び捨てよりは許容できなくはないものの、その事実は中々受け止められるものではない。ソキはロゼアの『花嫁』である。『砂漠の花嫁』なのである。つまりそう、気軽にぽんぽん名前を呼んだりちゃんをつけたり、あまつさえ軽いだのなんだの話題に上らせていい存在ではないしというか軽いとはなんだ軽いとは。
 精神的な理由で眩暈を感じるロゼアに、青年はやや怯えた顔で身を引いた。空気が変わったことに気が付いたのだろう。離れた所で談笑していたメーシャがその輪からぱっと離れ、ととと、と駆け寄ってきてロゼアの腕を掴んだ。
「ロゼア、ロゼア。顔も声も怖いよ。どうしたの」
「メーシャ。……ソキの」
「ロゼア最近余裕ないよね。よしよし、大丈夫だよ、ロゼア。ソキは帰って来たからね。今日もいたけど、明日もいるよ」
 ぽふぽふと半渇きの髪を潰すように撫でるメーシャに、猛獣使いの才能がある、とまことしやかにささやかれるのは、ロゼアの扱いが上手いからである。先輩のこと怖がらせたらだめだよロゼア、とやんわり叱りながら、メーシャはちらりと青年に視線を向けた。
「先輩? ロゼアになにを言ったのかお聞きしても?」
「……ソキちゃんの体重が気になって。ロゼアに聞いてみようっていう話になって……」
「ソキのことを聞くのは、もっと慎重になさってくださいね、先輩」
 女子生徒を経由するとか、ナリアンとメーシャを窓口にするとか。方法はいくらでもある筈であるので、自ら獅子の尾を踏みに行かないでください、とメーシャがやんわり窘める声を聴きながら、ロゼアはやや膨れた気持ちで親友のことを見た。慎重にもなにも、ロゼアの許可なく、ソキを話題に選ばないで欲しいのだが。
 その想いはしかし、メーシャにも受け入れられるものではなかったらしい。ロゼアって機嫌悪いとソキに対して悪化するよね、とさらりといなされ、いいから服をちゃんと着て髪を乾かそうね、と布を押し付けられた。いつの間にか椅子を引っ張って来ていたナリアンが、ロゼアそういう所雑だもんね、と言ってサイダーの瓶を開ける。
 ひとつをロゼアに、ひとつをメーシャに差し出し、残りひとつに口をつけて飲みながら、ナリアンは蒼褪めて遠い目をする青年に、ごく穏やかな声で語り掛ける。
「でも、ソキちゃんの体重だなんて……。わたあめくらいに決まってるじゃないですか? 今更なにを」
「うん、ナリアン? ちょっと待とうか?」
「えっどうしたのロゼア……? あっごめん! そうだよね。秘密だったよね……!」
 ナリアンは、ことソキに関しては夢見がちである。知っていた。知っていたのだが。そうじゃない、違う、と無言で首を振るロゼアに、ナリアンは純粋に不思議がる目で瞬きをした。
「どうしたのロゼア。そんなにしょっぱい顔して」
「……ソキには、もっとちゃんと重みがあるよ」
「重み……林檎三個分くらい?」
 問いかけたのは青年である。ああ、そっか、とナリアンが頷くので、ロゼアは隠すことなく頭を抱えて呻いた。ややこしくなるから黙っていて欲しい。あははは、とメーシャは声をあげて呑気に笑っているだけで、助けてくれる気はないらしかった。ああもう、と思いながら半裸の状態から手早く服を着て、ロゼアはいいですか、と青年と、ナリアンを見て言い放った。
「ソキにはちゃんと体重があります。わたあめより林檎よりずっとあります」
「えっ」
「ナリアン。ナリアンだって、ソキに膝に乗られたことあるだろ……?」
 ただし、五秒でロゼアが取り上げたのだが。ううん、と悩む顔つきで首を傾げ、ナリアンが不可解そうにサイダーを煽る。
「ふわふわもちもちしてて、重みの記憶がないんだけど……あとはひたすら俺の妹が可愛いで記憶が埋め尽くされている……」
「ナリアンって重症だよね。ロゼアより目立たないだけで」
 お風呂上がりのサイダーっていいよね、おいしくて、とうつくしい笑みを浮かべながら、さらりとメーシャが言い放つ。というかロゼアが、ナリアンにもうすこしソキを乗っけてれば気が付いたと思う、と視線を向けられて、ロゼアは心からの微笑で首を振った。
「駄目」
「ナリアンでも?」
「ナリアンでも。メーシャでも」
 ふうん、とメーシャは純度混じりけなしの面白がる声で囁いた。
「なんで?」
「俺がいるのに。なんで誰かの膝に乗らせなきゃいけないんだよ」
「そうだね。ロゼア重症だね」
 知ってた、と頷くメーシャの隣で、ナリアンがひたすらこくこくと首肯している。その割にはソキって誰にでもじゃないけど膝になつきに行くんだよねえ、と不思議がるメーシャに、ロゼアはしぶい顔で溜息をつく。それは『花嫁』教育の成果であるというより、純粋にソキの趣味である。ロゼアが傍につく頃にはすでにそうであったので、ソキの両親の教育結果であるに違いなかった。
 父親、もとい、ラーヴェがそれを許容するとは思えないので、母たる『花嫁』の趣味なのであろうが。とんでもない遺産を残してくれたものである。おかげで未だに、ロゼアがいくらだめだろ、と言い聞かせても、ちょっと目を離すとすぐに、ソキはすきなひとの膝によじよじとのぼって甘えたがる。ナリアンやメーシャや、チェチェリアが代表例だった。
 深々と息を吐き。ついでに舌打ちさえしたロゼアに、メーシャが心からの明るい声で笑う。
「ロゼアったら! ソキがいないと思って」
「……ソキがいる時にはしないよ」
「真似して舌打ちするからでしょ」
 あれはあれでかわいいよね、と笑うメーシャに、ロゼアは素直に頷いた。ソキの舌打ちは、つたなく甘くいとけない。というか、殆どできていないので、わざわざ口で、ちちい、と言ってできたでしょおおおおお、とふんぞりかえるのが常だった。品が良い行いではないので、得意になって欲しくはないし、そもそもやって欲しくはない。
 ソキの教育はすべてロゼアの担当である。魔術師のたまごであるから、多少のことはもう諦めてはいるのだが、それでもロゼアがやるべき、という意識はどこかに残っているし、自らこなしたい、という気持ちもくすぶったままである。ソキの中に残るものは、なんであっても全て、ロゼアが渡したものであって欲しい。
 そこまで考えて、とある忌むべき教育とその担当者のことをうっかり思い出し、ロゼアは重ねて、本日一番鋭い舌打ちをした。それはロゼアが行ってはならないことで、教育だった。しかしながら、そうであるからこそ、許しがたい。件の相手に関しては、いつの日か必ず、合法的に魔術で炙って燻すつもりである。
 じわじわ不機嫌になるロゼアの隣で、というか先輩方はなんでそんなことが気になったんですか、そもそも人様の体重を気にして話題に出すことが失礼なので今後はやめられた方が賢明だと思いますが話題にのぼったきっかけだけ気になるので教えてくださいロゼアは黙っていて、とメーシャが言った。
 青年は心底悔いた表情で新入生三人を見比べると、その答えをのろのろと口にした。すなわち、ロゼアがひょいひょい抱き上げるし、いつも抱いたまま移動してるし、なんなら腕立て伏せの時に背中に乗せたりしてるけどぜんぜん重そうにも見えないし。つまりソキちゃんは林檎三個分くらいなのではないだろうか、と青年たちの中では結論が出かかっていたらしい。
 先輩たちもだいぶ重症ですよね、とメーシャが容赦なく判定を下す。そうしてメーシャは、ぽん、と機嫌の悪いロゼアの背を、なんの気なく叩いて言った。
「まあ、ロゼアのせいっていうのが分かったから、そんなに怒ったらだめだよ」
「時々メーシャがなに言ってるのか分からなくなる……。俺のせいじゃないだろ、これ」
「それじゃあ教えて? ソキの体重は?」
 知らない、と思っていない問いかけだった。もちろんロゼアは、日々の細かい増減まで正確に把握しているのだが。個人情報である。その上、ソキの情報である。おいそれと公開したいものではない。むっと口を閉ざすロゼアに、機嫌いい時にもう一回聞くね、と微笑んで、メーシャはサイダーの残りを飲み干した。
「さ、そろそろ俺は行こうかな。ロゼアも、ソキの迎えに行かなくていいの?」
「行く」
「あ、瓶帰しておくよ、メーシャくん。ロゼアのも」
 まだゆったりと飲んでいるナリアンにありがたく瓶を渡し、メーシャが青年をひっぱって去っていく。これ以上ロゼアの傍にいるといじめられちゃうからね、とのことだ。メーシャはロゼアをなんだと思っているのか。そんな表沙汰になるような悪手は決して打たない。
 ロゼアもひといきにサイダーを飲み干し、ナリアンに手渡して脱衣所を後にした。まっすぐな廊下を歩き、曲がり角をひとつ通り過ぎて、扉が開け放たれた部屋を覗き込む。
「ソキ」
「ろぜあちゃ!」
 ぱあぁああっ、とソファに伏せていたソキの顔が輝いた。ねむたそうなのを見ると、ずいぶん待っていたのだろう。しまった、と思いながら、ロゼアはねむたそうに両腕を持ち上げ、くちびるを尖らせてむうむう唸るソキに、早足に歩み寄った。
 ひょい、と抱き上げる。あまりに簡単に。そうする為に重ねた努力を、今は誰にも知らせることがなく。『花嫁』を腕の中に取り戻した『傍付き』に、見守っていた少女が、立ち上がりながら微笑んだ。
「おやすみ、ロゼアくん。ソキちゃん、結構待っていましたよ」
「ハリアス先輩……。すみません、ありがとうございました」
「ううん。……なにか、盛り上がっていたの?」
 肩に頬をすりよせ、ふにゃふにゃなにかを呟くソキは、すでに半分夢の中だ。いとおしく髪を手で撫でながら、ロゼアはいいえ、と微笑んだ。
「特になにも。すこし、話し込んでしまっただけで……」
「……ふぅん」
 好奇心に柔らかく輝く目で、メーシャに聞こう、とハリアスが呟く。受け答えも、その目の輝きも。人との関わり方も、じわじわと、似てきている二人だった。お手柔らかに、と苦笑して、ロゼアはソキを抱きなおし、湯冷め室を後にする。おやすみなさい、ともう一度背を追った声に、ロゼアの耳元でソキが、あまく、声にならない返事をした。

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