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ソキのまいにち



【好き嫌い】

 花園には、蜂蜜めいた声が機嫌よく響いている。授業だか実習用だかで白い花を取りに来た筈だったのだが、飽きたのか気が散ったのか、座り込むソキがその作業に従事しているとは思い難いものがあった。まったく、ちっとも目が離せない。溜息を付きながら滑空し、妖精はまなじりを釣り上げて、きょとんとまぁるくなった翠の瞳を覗き込んだ。
『ソキ? やること終わったから遊んでるんでしょうね?』
「リボンちゃん、いーい?」
 ふんす、と自慢げに鼻を鳴らして告げられる。つまり、と妖精は即座に判断した。終わっていないのだ、これは。額に手を押し当てて深々と溜息をつかれるのを、これっぽっちも気にした様子がなく。ソキは手に持っていた花を、ずずいと妖精に向かって差し出した。
「遊んでるんじゃないです。花占いの最中なんですよ? 重要なことです」
『魔術師が花占いなんぞに頼ってどうするのよっていうことから説明しないといけないのかと思うと純粋に頭が痛くなってくるし、大体花占いしに来たんじゃないでしょうが授業だか! なんだか知らないけど! やることやってからにしてからにしなさいって言ってるのよ分かったっ?』
「……あのね?」
 くちびるをむーっと尖らせた、あのね、は、言葉を全て聞き流すソキの誤魔化し常套手段である。なんだってそんな手がいつまでもアタシに通じると思ってるんだ、と腕組みをして苛々と羽根をパタつかせながら、妖精は言葉を促してやった。ここで怒っても、ソキは言いたいことを伝えてしまうまで、全部聞かなかったことにしちゃうですあのね、を繰り返すばかりだからである。
 ほんとソキの教育はどうなってんだロゼア呪う、と思いながら待っていると、ソキはぴっかー、と輝く笑みで、握りしめた花を、再度ずずいと差し出してきた。ごまかせたです、と思っているに違いない。
「乙女たちのときめきドキドキ占い新聞の、ミセスベリー先生がね、今日は花占いをするといいって言ったです。きらきらときめきチャンスなんですよ?」
『……なんですって?』
 だからぁ、とソキは全く同じ単語を繰り返してくれたが、妖精が聞きたいのはそこではない。そこではないのだが、詳しく知りたくもないことだった。また『学園』でろくでもないものが流通しており、かつ、ソキの手元にまで届いてしまったのだ、という事実確認がしっかり取れれば、それで十分なことだった。妖精は根気よく、ソキからその新聞というのが毎週月曜日の朝に発行されていること、新聞と名がついているが、二つ折りの紙片であること、妖精が定期便と一緒に運んできてくれること、妖精へ渡す角砂糖とは別に少額の現金が必要なことを確かめ、分かったわもう良いわどうもありがとう、と言ってため息をついた。
 件の書物と違って、ソキの情緒教育にそこまでの影響はなさそうだったが。それとなくロゼアには言っておくべきだろう。それにしてもすぐにそういうのに影響されてやりたくなっちゃうんだから、と息を吐く妖精に、ちがーうですぅーそういうんじゃーないですぅー、と機嫌よく言い返して、ソキは花と向き合いなおった。密に咲く花弁のひとつへ手を伸ばし、好奇心と期待に輝く目で、ぷつん、と千切ってぽいっと捨てる。
「リボンちゃんはぁ、ソキのことーがー、だいすきぃー! リボンちゃんはー、ソキのーことがー、だいだいすきぃー!  リボンちゃんはー、ソキがー、すきすききゃぁーん! リボンちゃんはー」
『まっ……待って……? 花占い……? 花占いって言わなかった……? 占いってなに?』
「リボンちゃん?」
 摘まんで千切ってぽいっと捨てる、その動きを一時だけやめて。ソキはきょとんとしきった顔で、不思議そうにくて、と首を傾げてみせた。
「これはぁ、ソキの考えた、すきすきいっぱい占いなんでぇ、これでいいんですよ?」
 その、頭が溶けそうな名称と内容をどうにかして欲しい。どうにかして欲しいのだが。妖精は頭を両腕で抱え込み、そう、と呻くように呟いて、ソキの好きにさせてやることにした。なんでも、ソキの好きなものがいっぱいすきすきなのを占うのが目的なので、嫌いとかそういう概念はぽいっと捨てて埋めたらしい。占いの意味を考えながら、妖精はどんどん花弁が少なくなっていく様を見つめて、終わったら帰るわよ、と囁いた。
 寮まで送ってくれることを疑いもしていない、満面の笑みで。はぁーい、とはしゃいだ声を響かせて、ソキはまたひとつ、摘まんだ花弁をぽいっと空へ投げ捨てた。



【読書】

 談話室には本棚があり、その隣には週替わりでなにかが張り出されている。今週は『本だぞ。読めよ』と書かれていた。砂漠の王の直筆である。いかなる理由があっての行いなのか、毎週一度は必ず張り替えられる御言葉は、絶対に五王の直筆なのだった。先週は花舞の王からで、『読書週間。はじめなさい』という命令だった。その命令に比べれば、今週は優しい方である。
 読書とは魔術師に課せられた、義務のような義務ではない殆ど義務と化している権利のひとつで、そうであるから『学園』の生徒は毎週最低三十分、談話室で本と向き合うことが推奨されていた。読書の内容は自由である。娯楽雑誌から研究書、文献として残されている日記、教科書でもいいし、論文でもいい。文字列であればそれでいい、という大雑把なものである。
 ソキはちゃんとそれを確認した。なんでもいい。なんでもいいのである。
「うー! にゃぁー!」
 なんでもいいのだから、ソキは読みたい本を読むのだし、読みたい本が読みたいのである。本棚の前でのびいいいいいっ、として、ソキは指先をぴこぴこけんめいに動かした。
「うー! にゃぁー! うー! にゃぁー! ……ううぅう、もうちょと、もうちょとですうぅう……! やあぁん早くしないとロゼアちゃんが帰ってきちゃうですうううう!」
「お前今日も諦めてねぇのかよ……」
「あ、寮長? あのね、あの御本とってぇ?」
 あまえた声でソキが指さしたのは、なにとぞお許しください、と書かれた札が張られた最上段の棚である。身長の高いものが背伸びをして指先をひっかけるか、素直に梯子を使わなければ届かない場所である。呆れながら、駄目だって言われてるだろ、と窘める寮長に、ソキはちたちたと地団太を踏んで抵抗した。
「なんでー! ソキだけー! 閲覧制限があるんですかぁあああああ!」
「ロゼアに言え、ロゼアに」
 あくまでソキの閲覧制限は、ロゼア個人の頼み事に、生徒たちが個人的に力を貸した結果である。魔術師として公的な命令が出ている訳ではない。ぜんぜんちっともなっとくできないですううううう、と頬をぷっくり膨らませて、ソキは言ったもんっ、と怒りにひっくりかえった声で主張した。
「そしたら、ソキが大人になったらな? って言うです。つまり? ソキは? もう読んでもいいということでは? ないのですっ?」
「はいはい。諦めような未成年」
「もうちょっとで十五になる淑女なんですうううう! それにぃもうちゅうだってしたことあるですしいぃ他にもいろいむぐぐぐっ」
 ソキ、と艶やかな笑みで、ロゼアが『花嫁』の口を塞いでいる。一目で分かる不機嫌顔に、寮長は隠さず、嫌な顔をしてしっしっとばかり手を振った。ロゼアは失礼しますと言い残し、ソキをひょいっとばかり抱き上げて談話室を出て行く。あーあ、という顔を見合わせて、ナリアンとメーシャがくすくす笑い合い、ロゼアたちの後を追っていくのが見えた。数日に一回はあることである。
 飽きないというべきか、反省しないと思えばいいのか。たぶん明日もやってるな、と思いながら、寮長は適当な本を一冊引き抜き。愛しの女神の元へ足を運んだ。



【花風呂】

 ハリアスちゃぁーん、と甘えた声で呼ばれたと思った次の瞬間、椅子と机の間にずぼっと頭を突っ込まれる。あっやんやん狭いですうううとうりうりぐりりと頭を擦り付けられるのに笑いながら、ハリアスはぺちん、と決して痛みを与えない仕草で、ソキの額を指先で打った。
「ソキちゃん? そこに頭をいれないの」
「あのね、ハリアスちゃん。メーシャくんだけにお膝枕をするのは、ずるいのではないのです? ソキだってハリアスちゃんのお膝枕はしてもらったことないですのにいいいいぃ!」
 白昼の談話室で恋人との戯れを暴露されて、ハリアスは真っ赤になりながらソキの口を手で塞いだ。ソキが不満そうにもごもごしている間に周囲を見回せば、先輩たちからは温かくなまぬるい視線と微笑みが向けられる。もごもごちたちたいややややんっ、と機嫌を損ねた声で抵抗して抜け出したソキは、毛づくろいする小動物のような動きで、髪を幾度か手で撫でた。
「いいもん、いいもん……。ソキだっていつか、ハリアスちゃんのお膝枕でころんころんするもん。でも机の間はもうやめておくです……思ったより狭かったです……髪もくしゅくしゅになっちゃったです。いくないです。いくないですぅ……」
「……ソキちゃん? それで、どうしたの? なにか用があったのでしょう?」
「あっそうだったです。違うんですよぉ? 忘れてたんじゃー、ないんですよー?」
 膝枕ちゃんすに突撃してしまっただけである。苦笑しながら問いかけたハリアスに、ソキは自慢げにつらつらと説明を口にした。つまりは実技授業だとか、訓練だとか、そういうことであるのだという。うん、うん、と聞いてやりながら、ハリアスはそういうことなんですぅ、とこっくり頷いたソキに微笑みを深めた。なにが、という具体例が終ぞ出てこないまま、説明が終わってしまった。これを聞くにはどうすればいいのだろう。
「……あのね、ソキちゃん?」
「だからぁ、このお花に、魔力をちょいちょいってしてくださいね!」
 はい、どうぞ、と差し出されたのは、網籠いっぱいに盛られた白い花びらだった。ほんのりと、甘い芳香さえ感じさせるような魔力が残存しているそれは、ソキは予知魔術師の座学で使っている教材だからだろう。リトリアも同じようにしていたと、聞く。これに、と問いを乗せて尋ねたハリアスに、ソキは自慢げな顔をして、またこくりと頷いた。
「それでね? 今日のお風呂に浮かべるです。いいにおいがしてぇー、気持ちいいです。花風呂、なんですよ?」
「許可は取った? お風呂に勝手にものを入れてはいけないわよ。……それと」
 魔力を込めて、それでどうするの、とハリアスが眉を寄せたのは、そこに相性があるからである。香水などに、好みがあるように。魔力にも好き嫌い、としか言いようがない好み、もっと言えば相性が存在している。人間性や交友関係に関わらず、関係なく、合う魔力は合うし、合わなければ合わないのだ。そして合わなければ、ほぼ例外なく、体調を崩す。それを分かっていて、不特定多数の入浴する湯にそれを浮かべるというのは、無作為な毒の散布にも等しい。
 それを、言葉を選んで根気強く語り掛けたハリアスに、ソキは大丈夫ですぅ、と自信満々に頷いた。
「あのね。大浴場じゃなくてね、ちっちゃいの借りたの。月の障りがある時に使う方にね、今日は空き時間がたくさんあったから、大丈夫だったです。えらい? ソキ、ちゃんとしてるでしょう? えらい? 褒めてくれてぇ、いいんですよ?」
「分かっているのなら、よかった。……ふふ、そうね。偉いわね、ソキちゃん」
 でぇっしょおおお、と普段の五割増しにふんぞり返って、そこでようやく、ソキはハリアスが求めた説明を口にしてくれた。花びらのうち、ひとつか、ふたつに誰かの魔力を入れて貰って、それを見分ける訓練、なのだという。花風呂にするのは、単純なソキの趣味であるとのことだ。お風呂にお花浮かべると気持ちいいんですよぉ、ソキねえよくやっていたです、と、どきどきそわそわ、わくわくしきった目で告げられて、ハリアスは肩を震わせて笑った。
 その上で、ロゼアくんじゃダメだったの、と問いかけたのは純粋に不思議であったからだ。ソキはなににせよ、まず、ロゼアなのである。ソキは心底がっかりした顔で頷き、ウィッシュの口調を真似して告げた。曰く、ロゼアのだとすぐ分かっちゃうだろー、とのことである。でもねえ、きっとハリアスちゃんのもすぐ分かる気がするです、わぁいお花のおふろおふろー、おふよぉー、と気持ち早足でとてちて談話室を出て行くソキを、ハリアスは笑いながら見送った。



【雨上がり】

 今日は外へ出ちゃだめだぞ、とロゼアが言い置いて行ったので、ソキは長靴を履くことにした。だめと言われたらやってみたくなる、そんなお年頃なのである。なにせそろそろ淑女なもので。よぉしこれで準備万端です、とふんすと鼻を鳴らしていた所で、ソキはやってきた妖精に見つかり、即座に特大の雷を落とされた。昨日まで熱やら咳やらで寝込んでいた筈なのになにを考えているのか、というのが妖精の主張である。
 昨日は昨日、今日は今日ですよぉ、と寝台に腰かけ、長靴をはいた足をちたちた不満げに動かしながら、ソキはごねる声で主張した。
「ちょっとだけだもん」
『ちょっともなにもないわよ動くなって言ってるのよアタシは! ロゼアだってそう言ったんじゃないの? 部屋から出るなとかお外に出るなとか。……言われたんでしょう。言われたのね? そうなのねそうでしょう? どうしてそう言いつけを破るの!』
「そういうぅー、お年頃ー、なんですーぅー。それにね? 雨上がりにはね。お外にカエルちゃんがいるって聞いたです。リボンちゃん、カエルちゃん、知ってる? あのね、ソキの目みたいなね、緑でね、ぴょんとしてね、げこげこって鳴くんですよ。ソキはカエルちゃんを見に行くです!」
 好奇心いっぱいの目でどきどきわくわく主張されて、妖精は腕組みをしてため息をついた。そんな湿地に行こうものなら、未来はひとつだけだ。滑って転んでどろどろのぐちゃぐちゃのべしょべしょである。大体、ロゼアの外に出るなというのは、建物の、という意味ではない。この部屋の外に、という意味だ。それを分かっているのかいないのか、すこし妖精の気がそれた隙に、ソキはよたよたと寝台から立ち上がろうとしていた。
 座れ、と語気を強く言い放ち、妖精は額に手を押し当てた。
『アンタ、蝉とか蜻蛉とか駄目だったじゃない……? なんでカエルはいいの? アイツらぬめってるわよ? いいの? なんで?』
「あのね。ぴょんっとするの。それでね、げここってするの……! それでね、それでね、ちーちゃくてまんまるおめめなんですよぉー!」
『……あのね、ソキ。カエルの中にはね、アンタの握りこぶしなんかより、ずーっと大きいのもいるんだけど?』
 ソキは目をまんまるくして、手をきゅっと握りしめた。えっ、と怯えたように声をあげ、きょときょとと手と妖精を何度も見比べる。本当よ、と妖精はソキの目の高さまで降り、顔を覗き込みながらしっかりと言い聞かせる。
『もっと大きいのもいるわよ。ロゼアの手より大きいかしら』
「えっ……えぇ……。……それはぁ、カエルちゃんじゃないんじゃないですぅ……?」
『……よく飛び跳ねて動きが素早いのだっているわよ。ソキが歩くより早いんじゃないかしら』
 ぴゃぁあ、だの、やううぅうう、だの怯んで戦慄している声をあげるソキに、妖精は柔らかく微笑みかけた。囁く。
『……追いかけてきたらどうしましょうね?』
「えっ。……え、えっ……か、カエルちゃん、ソキをおっかけてくる、ですぅ……?」
『ソキの目の色と似てるのもいるから? 仲間だと思って追いかけてくることがあるかも知れないわね?』
 あううぅ、と泣きそうな声でぷるぷる震えながら、ソキはまず転がっていたアスルをぎゅむっとばかり抱きしめた。それから背後を振り返り、正面を向いて妖精を見つめ、長靴を履いたままの足を、未練がましくちたたたたたっ、と動かして。やがてアスルに顔を埋め、ぐずっ、と鼻を啜って呟いた。
「こわいこわいです……大きなカエルちゃんがおっかけてきたら、こわいこわいですぅ……」
『そうね。そうなったら怖いわね。……で? 外に出かけるんだったかしら?』
「ソキ。ロゼアちゃんの言いつけを守れるいいこだもん」
 ないしょ、ないしょですよぉ言っちゃだめ、ということです、とアスルに言い聞かせ、ソキはよじよじとした動きで長靴を脱いだ。ほんと最近ろくでもないことばかりしようとして、とうんざりと呟き、妖精は疑い深い眼差しで、己のいとしい魔術師を眺めやった。
『というか、ソキ? もしかして反抗期なんじゃない?』
「はんこうきじゃないもん」
『……ロゼアの言いつけ破ったり、駄目って言われたらしたくなっちゃうんでしょ? 意味もなく苛々したりしないの?』
 はんこうきじゃないもん、と不満そうにくちびるを尖らせて、ソキは妖精に対して説明した。
「しゅくじょのたしなみ、こあくまてくにくだもん」
『……はぁん?』
「どきっとして、きゅんっとして、きゃぁんなの」
 分かったぁ、と自信たっぷりに言い聞かせてくるソキに、妖精は深呼吸をした。無断外出は淑女のたしなみではないし、小悪魔テクニックでもないし、そのどきっは不安でしかないだろうし、きゅんとしたりきゃぁんとしたりはしないだろうし、なにより。淑女やら小悪魔やらは、雨上がりにカエルを見にいかない。なんでそういう所が分からないのかしらやっぱり頭弱いんじゃないかしら、と苛々を通り越して心配しつつ、なんとか、そう説明した妖精に。
 ソキは、ぷーっと頬を膨らませた。理解しているとも、反省しているとも、思えなかった。

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