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何処も永遠の夢の先



 『花嫁』を送り出した者たちに与えられるのは、まず莫大な報酬と休暇である。報酬は砂漠の一等地に家が買え、慎ましければ今後一生を食べるに困らないくらい。休暇は場合によるが、最低でも一月。平均的には二月から三月ほどが与えられる。その間は基本的には自由に過ごしてよい、と告げられる。基本的にはというのは、送りだした者たちに対して、休暇の間に監視がつくからである。『傍付き』が後を追わぬように。補佐がその手引きをせぬように。世話役たちが共謀して、彼らを助けないように。休暇の長さは、送り出された宝石が婚家に到着し、崩れた体調を整え、そっと環境に慣れ始めるまでの期間だった。『運営』に『外勤』から、宝石の近況を知らせる手紙が届いて、様子を伺い、しばし。既定の日数を置いて、彼らには休暇明けが通達される。
 その時、提示される選択肢は、おおまかに二つ。ひとつ、これまでと同様の職種での働きを希望するか。ひとつ、これまでとは違う職種においての働きを希望するか。半数はこれまでの経験を生かす道を選び、もう半数はこれまでとは違う道を選び、『お屋敷』の各部署へ散らばっていく。彼らに希望を問う『運営』は、その口からはもうひとつの選択肢を決して提示しない。すなわち、辞職。『お屋敷』勤めを辞めるという道も、また職業選択の自由として用意はされているものだった。しかし大体の場合は、それは選ばせないように置いておくものであって、提示しないでおくのが暗黙の了解である。
 無事に宝石を『送り出す』ことのできる可能性は、ひどく少ない。『花嫁』『花婿』の生来の体の弱さが無事育ち切らない理由の大多数を占めるが、不慮の事故や防ぎ切れなかった病は絶えず襲い掛かるものだ。数年前、ようやく『送り出す』に至った『花嫁』の馬車が、大雨に襲われ婚家へ到着することが叶わず、残骸だけが戻って来たことがあった。突然の天候不良は、ただ災害と呼ばれた。救援に向かった魔術師の命さえ、ひとりではなく飲み込んだ、その大嵐のあと。数人が、ただ『お屋敷』から姿を消した。街ではいくつか葬儀も行われた。『送り出した』あとの辞職は、多くは、そういった悲哀と共にある。
 そうであるから、『運営』はできる限りの努力として、『傍付き』とその補佐、以下世話役たちをなるべく『お屋敷』に留めたがる。その豊富な経験と知識はなにより、次世代の育成に欠かせぬ力となるからだ。様々な思惑があると知ってなお、『送り出し』た者たちが『お屋敷』に留まるのは、そうして残ってくれた先達たちが、どんなに助けてくれたのかを知っているからだ。高熱が続いて不安ばかりだった夜。彼らにそっと寄り添って、確信のある声で大丈夫だと、必ず元気になるからと囁いて。見ているから、必ず起こすから、お眠り、と告げてくれたのは。いつだって彼方で生きる宝石たちを思う、優しい先達たちに他ならなかった。
 そうなりたい、と多く者は次の夢を見る。ひとつめの夢の続き。そのあと。生きていく、新しい世界に。もう一度、もうひとつ、夢を織って生きていく。『お屋敷』は今日もそうして続き、そして絶えることなく、また次の夢が織られていくのだった。



 メグミカは『花嫁』ソキの、『傍付き』ロゼアの補佐である。立場上は補佐だった、とするのが正しいが、メグミカは実質的には補佐のまま、今は『お屋敷』の世話役指導として働いている。ソキの世話役たちは全員そうであるのだが、彼らには最初から、ある筈の辞職の選択肢は提示する所か与えられもせず、そこそこの休暇を経て全員が『お屋敷』に戻された。訳ありに対する対処である。それは隠されもしなかったから、メグミカたちに祝いの言葉はかけられども、深く事情を聴いてくる者は、ついぞ現れないままだった。影でこっそりと問われることもない。そもそも『お屋敷』でそういう影でひっそり、ということ自体が不可能であるのだ。そこかしこに『運営』の目があり、耳があり、情報はどんなものであれ共有される。ひとつの生き物のように、事細かに。
 メグミカたちは一級の特例である。なぜならソキは嫁いだのではなく、国と世界の定めるもと、魔術師のたまごとして『学園』に迎え入れられたからだ。加えて年に一度、長期休暇には『お屋敷』に戻ってくる。これからずっと、ソキがそれを拒絶しない限りは、戻ってくる。会えるのだ。永遠に別たれ、幸福を祈るばかりである筈だった『花嫁』に。それは夢見たこともない幸福な未来だった。それをずっと、誰に話すことができなくても。言葉にはできない罪悪感と、意識してはならない優越感を、胸に抱えて沈ませながら。これから、『送り出す』べき、宝石たちの世話を助け、それでも一心に、健やかなれ、幸福であれと祈り、導いて生きていく。与えられた選択肢は最初から制限されていて、『お屋敷』から離れることはできなかった。これからもそうだろう。
 けれどもメグミカは己の意思で残ることを選び、己の思いをまっすぐに偽らず、そこで生きていくことを決めたのだ。そうであるから、一日の時間は計算された予定によって動かされている。その中の、わずかな休憩時間を利用して、メグミカが休憩室へ呼び出したのはひとりの少女だった。ソキの世話役たる少女。今は縫製部としてあまり宝石に直にかかわりはしない分、時間の予定を動かしやすい、比較的、『お屋敷』の中でも自由が利くひとりだった。広々とした休憩室。様々な立場の者がほんのひと時、憩いを得るその室内の片隅で。メグミカは飲みなれたミントティーに追加の角砂糖を投入し、くるくると混ぜながら呻くように確認した。
「それじゃあ、イスラも? アザも、ユーラとシーラも、ウェスカも同じことを言っていたし……」
「はい。来る前にルゥベオに確認しましたが、文面に大きな変わりはなく。同じものが届いているようです」
「そう……」
 そうなの、と繰り返し、メグミカが視線を落としたのは、己の手元だった。そこには一通の手紙がある。封筒はふわふわした印象の淡い黄色で、深い藍色のインクで文字が書かれている。中身は短い手紙だった。それが昨日の夜遅く、メグミカの手元に現れたのである。私室の机の上に配達がされていた、という届き方ではなかった。急に、ぱっと手元に現れたのである。『お屋敷』の常である、検閲済の印が押されもせず。常にはないことだった。内容が内容でなければ、即座に『運営』に通報する所である。例え、差出人が他ならぬ、メグミカの宝石であったとしても。緊急事態とは、それがなんであれ、重大な事故を発生させかねないからだ。また、その予兆であることも多いからだ。
 しかしメグミカも世話役たちも、内容を一読後、仲間たちにそれとなく手紙の有無を確かめただけで、それを提出しなかった。『運営』は恐らく、見知らぬ手紙が増えていることくらいは把握しているだろうが、内容までは知らないだろう。はぁあ、と深く息を吐き、メグミカはもうひとつ、ミントティーに角砂糖を投入した。普段は必要のない甘みが、今はどうしても欲しかった。
「……ロゼアをめろめろにする方法、とか、もうソキさまがお健やかでいてくださるだけで十分なのですが? としか……! あとソキさまのお胸の大きさは、今がすでにロゼアの趣味ですご安心くださいとしか……?」
「不安がっていらっしゃるようではないから、今回はまあ、説教はそれなりに免除してやるとして、あとはこの手紙がどこにまで届いてるかって話なのよね……」
 あのね、これは、ソキからの秘密のおてがみなんですけど、という書き出しで、すでにメグミカは天を仰いでいる。その秘密の範囲が、ロゼアに言ってない、という規模の話ではないことなど、手紙の現れ方からしてすでに明白だった。魔術師の常あるという検閲さえ、通っているかは怪しい。メグミカと世話役たちまでなら、ここで封じられるものではあるのだが。どうかその範囲で、と祈るメグミカに、イスラはそっと、沈痛な顔で首を横に振った。
「来る時に、御当主様の執務室の前を通ってきたのですが……ラギさんの笑い声と、御当主様の『ロゼアを呼び出せいますぐにだー!』が聞こえたので……。あと、すれ違ったハドゥルさんに同情の視線を……気のせいでなければ、向けられたので……」
「ふっふふ。むり」
「メグミカ生きて……」
 頭を抱えて机に突っ伏し、うつろな笑いを響かせながら、メグミカはむりと繰り返した。恐らくラギとハドゥルの所にも届いたのだろう。そうですねソキさまお二方のこと大好きですものね、これはライラさんの所にも来ていると見て間違いないでしょうね、むりわたしのちからでは隠蔽できないちからが、権力が欲しい、この事実を闇に葬るだけの権力が、と鼻をずびずびすすりながらうめくメグミカの肩に。ふふ、と笑いながら、たおやかな手がぽんと乗せられた。
「発言はもうすこし気を付けて行うように。……所で聞きたいことがあるのですが?」
「う……『運営』の方にご報告することはなにも……ない、という希望を失わず生きていく所存ですので……」
「まあまあ、そう嫌わないでください。質問と確認があるだけですよ」
 椅子を引いて、有無を言わさず腰かけてきたのはひとりの青年だった。そーっと部屋から退室していく者が多いのは、彼が『運営』の中でも当主付きのひとりであるからだ。年若く見えても、中核に携わるひとりである。一筋縄ではなく、関わり合いになりたくなく、そして『運営』は総じて『お屋敷』の働き手たちからあまり好かれてはいないのである。宝石至上主義を掲げながら、時に彼らの意思を無視してでも強行される数々の仕打ちは。それが必要だと飲み込んでなお、心をひどくきしませる。なんですか、とため息をついて顔をあげたメグミカの眼前に、笑いながら突き付けられたのは紙片だった。便箋ではない。それをちぎって、くしゃくしゃにして捨てたあとの、切れ端に見えた。
 言葉は書かれていなかった。その代わりに目の前の青年の名と、べー、と舌を出してしかめっつらをする、メグミカの愛らしい『宝石』の似顔絵が書かれている。メグミカは無言で天を仰いだ。ソキさまなにしてらっしゃるんですか。イスラが顔を両手で覆って机に突っ伏すのを眺めながら、青年が確信を持った表情でメグミカに問いかける。
「心当たりは?」
「あります……」
「そうですか」
 青年は。口元に手を押し当て、堪えきれない様子で肩を震わせた。ふ、ふふ、とどうしようもなく零れていく笑いで空気をにじませて。青年はその紙片を大切そうに折り畳み、そっと懐にしまい込んだ。
「あの方はほんとうに、人を嫌うのに向いていない。……『お屋敷』の検閲にしても、向こうのそれにしても、必要なことでしょう。場合によっては厳罰も考えられます。ロゼアから再度、よくよく、言い聞かせるよう知らせを出すように」
「はい、分かりました。仰る通りに、これからすぐ」
「はい。よろしい。……まあ、今回は不問とします。恐らく、意図せぬ事故のようなものでしょうから」
 二度目はありません、と言い切って、青年は椅子から立ち上がった。休憩時間にすみませんでしたね、と言いおいて部屋から出る寸前、青年はいたずらっぽい表情でメグミカを振り返る。
「……ソキさま、私の名前を覚えてらしたんですね」
「そ、そのようですね……?」
「ああ、困った。ロゼアにも御当主様にも、また嫌な顔をされてしまう」
 それでは、と身を翻して青年は立ち去って行った。務めて会話を聞かないようにしていた、室内の緊張感と静寂が、誰のものとも知れぬため息で破られていく。さわさわさわ、と戻ってくるざわめきを耳に触れさせながら、メグミカは額に手を押し当てて。深く、深く、息を吐きだした。



 談話室の片隅。屑籠を覗き込んで。ソキはぱちくり瞬きをしながら、ううぅん、と不思議そうに首を傾げた。
「あれ? ……あれ? ソキがぽいっとしたのが、いくつかなくなっているような……? リボンちゃん? ねえねえ?」
『ソキが出したゴミの行方なんてアタシが知るわけないでしょうが!』
「お手紙の書き間違えたのをー、いくつか、ぽいっとしておいた筈なんですけどー……。ううん?」
 どこかに勝手に行っちゃったのかなぁ、と首を傾げるソキの頭上を、すいすいと泳ぐ配達妖精たちの中に。そそっかしい新人が配属されていたことが発覚したのは、それから数日後のことだった。

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