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何処も永遠の夢の先:おまけ



 中庭にはいくつもの日傘が咲いている。風に乗って聞こえる甘い笑い声に、ラギはつい口元を緩めてその光景を見下ろした。常であれば『花嫁』『花婿』のちょっとした外出が被ることはないのだが、気温の低い薄曇りの午後など、次にいつ訪れるか分かったものではない。『傍付き』や『世話役』たちが暗黙の了解で示し合わせ、一定の距離を保つことで合意したのだろう。日傘の数をいち、に、さん、し、と数え、五つ目がやってくるのを確認して、ラギは渡り廊下の窓辺から身を翻した。どれだけ増えるか興味はあるものの、これ以上はラギのいとしい宝石の機嫌を損ねるに十分だった。
 盛夏。『お屋敷』は常ならぬ熱と静寂に包まれてその時をやり過ごす。技術の粋を極めて巡る空調や、各所に設置された冷水や氷がいくらささやかに気温を下げようとも、幾重に垂らした布が日差しを遮ろうとも、天から降り注ぐ太陽の光を除けてしまうことは叶わない。深く濃い影と、それを彩るような白亜の壁や柱。花や植物の意趣は、色鮮やかに息をひそめる。虫除けの薬草の香りが、空気にふわふわと入り混じるのに殊更夏を感じながら、ラギはゆっくりと廊下を歩き、当主の執務室へ帰還した。レロク、と声をかけてから扉を開ける。ぱっと向けられる色の濃い翠の瞳は、夏の夜に暗所で愛でる宝石の色をしている。
「ラギ! らーぎらぎらぎらぎらぎ!」
「はい。戻りました。……蝉のように鳴かずとも、ここにいるでしょう?」
「お前は! 戻ってくるのが! 遅いのだ!」
 ぷんすかぷんすか怒りながら、早くこっちに来いと言わんばかり、レロクの手が机の端を叩いている。その、か弱いてちぺちとした動きを二秒ほど眺めてから、ラギはにこ、と笑って戸口から室内に足を踏み入れた。いつでも。どんなことでも。どんな時でも。求められる、というのは至福である。はい、どうされましたか、と常あるように背側から手元を覗き込めば、レロクはふんすと満足げに鼻を鳴らし、頭をぐりぐりと擦り付けながら教えてやろうと思ってな、と口を開く。
「ラギ。お前、キャンプというのを知ってるな?」
「いいえ未知の単語です。当然、意味も用法も分かりません。その手紙ですね? 滅却しておきますのでお渡しください」
「嘘を! つくんじゃない!」
 嘘ではない。己の『花婿』の育成に対して、以後微塵も必要がない情報を削除せんとする、『傍付き』として当然の措置である。それは『当主』と『側近』という立場になったとしても変わらないことだ。なんだってそんな余計な単語が紛れ込んでくるのか。反射的な舌打ちをこらえながら、レロクがやだやだぜぇったいにお前に渡さぬやだったらやだ、と椅子の上に座り込んで丸くなり、おなかに抱えて隠そうとするもちゃもちゃとした動きを五秒放置して見守り、記憶に叩き込んで堪能して。ラギはふふ、と笑いながら、レロクの腕を引きはがし、やんわりと抑え込んで、その手紙を取り上げた。
 あーっ、りょがいものっ、ぶれいものっ、おまえっ、そんなことをおれにしていいとおもっているのか、とうしゅだぞとうしゅ、ばか、かえせ、やだやだばかっ、ばかーっ、と抵抗されるのをはいはいとなだめながら、ラギはレロクの手の届かない高さに、その手紙を掲げて観察した。手紙というよりは、紙片である。四つに折りたたまれた跡があるものの、机に封筒らしきものがなく、なにより検閲済みの判が押されていない。筆跡に覚えがなければ、不届き者を探し出して斬首を検討するような事態である。しかしながら残念なことに、ラギはその筆跡に見覚えがあったし、なんなら先日、同じようなものを目にしたばかりである。
 ふー、と息を吐き、ラギは遠い目をして、天井に向かって語りかけた。
「ソキ様、また帳面がどこぞへ漏れておりますよ……」
 誤配、とのことである。これは恐らく、つい先日巻き起こった『ソキのメモ、妖精の誤配事故による流出事件』の続きに他ならない。なぜなら今度こそ、その紙片に宛名はなく、内容も手紙ではなかったからだ。そこには『花嫁』らしい整った字で、キャンプ、お外、眠る、などの単語がちまちまと書き入れられていた。ひとから話を聞きでもしたのだろう。火でマシュマロを焼く、と。はちゃめちゃに興奮したのであろう、乱れて大きくなった文字が、その事実を伝えていた。ふ、と息を吐いて、ラギは紙片を手の中で握りつぶした。『お屋敷』で焚火など言語道断。そしてその食べ物はレロクには厳禁である。
 あっ、あぁあああおまえそれはおれの、おれのだぞおれのっ、あーっ、と怒りながら、もちゃもちゃとした動きで胸元を叩いてくるレロクをじっと見つめながら、ラギは穏やかな、柔らかく響く声で囁いた。
「なんのことでしょうか……? ええ、間違いなく、私はあなたのラギですが」
「お前ぇええええ! そういうことは! 俺にちょっとでも手を出したりなんだりしてから言ってみろ!」
 むぎいいいっ、と怒るレロクを見つめて、ラギは笑いながら身を屈めた。室内の。目を痛ませぬ程度に満たされた、穏やかな光が。遮られた、影が落ちる。身を、起こす。声もなく、じわじわと赤くなりながら。混乱して鼻に両手をあてるレロクに、ラギは心からの満面の笑みで、言った。
「失礼。立ち眩みを起こしました」
「た……た……? たち……? う……? た、たち、く……? か……噛んだ……噛んだ……? は、はな……いま、おまえ、はな、噛んだ……」
「噛んでませんよ」
 歯を当てたくらいである。赤くさえならない。噛んだうちになど含まれない。しれ、と断言するラギに、レロクは混乱しきった表情で口をぱくぱくさせている。それをじっくり見守って、キャンプ、という単語の存在やらなにやらを消し飛ばしたことを確認して。ラギはにこ、とレロクに向かって笑いかけた。
「すこし連絡事項ができましたので、退席します。三十分で戻りますので、執務の続きにお戻りください」
「う……うん? うん……。わかった……」
「はい。いいこですね、レロク」
 心から、告げて。頬を手でゆっくりと撫で、ラギはもう片方の手に取り上げた紙片を握りしめたまま、執務室から出て行った。戸口にて。二百個くらい言いたいことがあるのですが、という顔をした『運営』に、焼却処分をお願いしますね、と紙片を押し付けて、ラギは足早に郵便室へと向かう。速達で『学園』へ、知らせを走らせる為だった。当然のこと、宛先はロゼアである。



「ロゼアちゃぁあん! おてがみ? 誰から? なぁに? 誰から? なぁに? ねえねぇろぜあちゃぁあん!」
「……ソキ。身の回りのものを、一緒に確認しようか。リボンさん。郵便妖精の責任者を呼び出してください。すぐ」
『めんどくさいから探し出して処してくるわ』

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